つい一時間程前は、空は快晴の青空だったのに、いつの間にか空は雷鳴が鳴る程に曇り空へと変わっていた。
「なんだか変な天気だなあ」
リシュアは馬車の中から空を眺めながら呟く。
「変な天気ですね」
エシカも同意の声を上げる。
ラベンダーも含めて、三名は馬車の中でトランプを行っていた。幌の中ではやる事が殆どないので、イエローチャペルを出る際に雑貨屋で色々な暇潰しの道具を買ってきたのだった。
三人でポーカーに興じようと思ったが、エシカはルールが分からないと言ったので、ババ抜きをする事になった。エシカはラベンダーの手の中から、ババを引き当てないように神妙な顔をしていた。ちなみに、リシュアは早々にカードを揃えて、このゲームから上がった。馬車内の中央にトランプの束が積み上げられている。
どうやら、エシカはババを引き当てたみたいで、ラベンダーの方はゲームを上がったみたいだった。
「もう一度っ! もう一度、お二人共、勝負をしましょうっ!」
エシカは悔しそうに叫ぶ。
リシュアはタロットカードに関する本と、タロットのデッキも買ったので占いについて学んでいる処だった。リシュアはタロットの本を見ながら、先ほどまで一時間以上もやったババ抜きを再開するべきかどうか考える。
……エシカはババを引くと、顔に出てしまう。加えてリシュアとラベンダーの動体視力を持ってすれば、エシカの手の動きでどれがババか分かってしまう。ラベンダーに至っては、おそらくカードを混ぜた時に付いた細かい傷まで把握している。エシカには不利極まりないゲームだった。その為に、先ほどからエシカは七連敗もしている。
チェス盤も買っておこうか悩んだが、馬車内だと揺れて駒が倒れるだろう。紙製の駒で出来ているチェス盤が売っていればいいなとリシュアは考えていた。
どんな事を考えると、外は雨が降り出した。
あっという間に、大雨になっていくのでリシュアは急いで馬車の窓を閉めた。
「絵でも買って暇潰ししないか? エシカ。お前はちょっと弱過ぎるよ」
リシュアは、はっきりと言う事にした。
「運ですっ! たまたま運が悪かっただけですっ! 次こそは、次こそは負けませんからっ!」
エシカは悔しそうな顔をしていた。
リシュアは、はあっ、と、溜め息を付いた。
「それにしても、いきなりの雨が降ってきたな」
<雨の街、ポルカに近付いたからだろう。地図に書かれている情報によれば、魔法によって一年中絶え間なく雨が降り続けているらしい。行ってみるか>
ラベンダーは二人に訊ねる。
「そうだな。次の目的地の大神殿の街に向かう際に、かなり離れているのか?」
<いや。このルートなら、立ち寄ればすぐ近い。御者に言って、少しルートを変更して貰おう>
「幽霊や吸血鬼とかが住んでいる場所なら勘弁な。ゾンビならもっと駄目だ」
<そういう場所ではない。化け物の類は生息していないと地図には書かれている>
「そか。じゃあ、大神殿の街に辿り着く前に行ってみるか」
リシュアは御者に進路変更を呼びかける。
エシカは、しつこくババ抜きの続きを行うように叫んでいた。
†
ポルカの街に辿り着くと、不思議な景観が見られた。
先ほどまで、どしゃぶりの大雨だったのに、街に入った途端に小雨になっていた。空は相変わらず曇っていた。
リシュアとエシカは雨合羽を着込みながら、馬車の外に出る。ラベンダーは雨に濡れるのは億劫だという事で馬車の中で眠りに付いていた。
二人は街の中の散策を始める。
小さな町ではあったが、ちゃんと宿屋や雑貨屋。居酒屋や肉屋、雑貨屋などがあった。ただ、さすがに露店の類は無かった。
街の中を歩いていくと、公園が見えた。
公園の辺りで歌声が聞こえてくる。
女性的な甲高い歌声だったが、間違いなく男性の声だった。その声音は美しく、弦楽器の音と合わせてとても透き通った心地良さがあった。
吟遊詩人風の優男が、公園のベンチの上で楽器を弾きながら歌っていた。
‐空は暗く 光は閉ざされる それでも未来は訪れる
風は靡き 時間は過ぎる それでも希望は絶えない
人々は何処の彼方へ行くのか 人々は光の色と闇の色 どちらを選んで生きるのか
この地上 天空の下 運命は交差し彷徨い 人々は自分自身を求め続ける
この雨は止まない この雨の向こうには太陽と月の光が刺し込んでくる ‐
「良い歌だな」
リシュアは吟遊詩人の青年に声を掛けた。
吟遊詩人は被っていたフードを取る。
髪は透き通るように美しい金髪で、顔立ちは予想以上に女性的だった。顔は白鳥のように白い。美丈夫という言葉が似合う。
「あんたの名は?」
リシュアは訊ねる。
「僕はドォーハ。この街で歌を歌い続けている」
青年はにっこりと笑った。
「とても良い歌声でした。楽器の音色も」
「幼い頃から歌い続けているからね。でも、本当は僕は演劇の舞台に立ちたかった」
二人はドォーハの身の上話を聞いた。
昔、彼が幼い頃、この街に劇団がやってきたらしい。内容はありきたりの怪物退治の物語だったらしいが、途中の楽曲や歌声、ダンスに彼は魅了されたらしい。だが、劇団は一週間くらい街に滞在した後、街を去って何処かに行ってしまった。
ドォーハはずっと劇団員になって、世界中を旅したかったが、両親はそれを許さなかった。彼は街の薬屋の跡継ぎ息子だった。
「人生とは思うように上手くいかないものだね。でも、それでも希望は消えないし、時は流れ続けていく。僕は歌と楽器が好きで、此処で歌と楽器を続けている。初めて、僕の歌声を褒めてくれた友人達の為にね」
聞く処によると、十年近く前、金髪の髪の男と桃色の髪の兄妹がふらりと現れて、彼の音楽を称賛したのだと言う。その時、初めて彼の歌声が褒められたのだという。
「楽器の方は褒められなかった。もっと練習を重ねろと言われたね。だから毎日、欠かさず引いている。彼らにまた逢った時、聞いて貰えるようにね」
「その友人達の名は?」
リシュアは訊ねる。
「吸血鬼のアルデアルとローゼリアの兄妹だ。此処から離れた場所にあるお城で領主か何かをしているんじゃないかな」
意外な名前が出て、リシュアとエシカの二人は驚く。
「そうか。俺らも彼らの知り合いだ。今度、会う機会があれば、この街に訪れるように言っておく」
「そうなんだね。嬉しいな」
ドォーハは本当に嬉しそうな表情をしていた。
それから、この雨の街の概要を聞いてみた。
かつて半世紀程前に、この街は旱魃(かんばつ)続きの街で、作物がまるで育たなかった。人々は飢えと水不足に苦しめられていた。その時にいた著名な魔法使いが、強大な雨乞いの魔法を空へと解き放ったのだと言う。それ以来、ポルカは雨の止まない街へと変わった。
街の中央に行くと、雨音は音楽に聞こえるのだと言う。
街の中央には、偉大なる魔法使いの銅像が建てられている。
そこに降り注ぐ雨音は、美しい音楽となっているのだと、ドォーハは言った。
「行ってみて、聞いてみるといいよ。僕は雨音を模範して、楽器の音色を作っているんだ。雨は本当に美しい音楽だね」
「ああ。そうだな」
リシュアは笑った。
そして、リシュアとエシカの二人は、偉大なる魔法使いの銅像が建てられている場所へと向かった。少し丘の上にある場所だった。
しばらくして二人は銅像のある場所に辿り着いた。
銅像の頭部と左腕は破壊され、銅像にはびっしりと呪いの言葉が彫られていた。
いわく「災厄の魔法使い」「街を永遠の水浸しにした邪悪な男」「作物が枯れるどころか生える事も出来なくさせた男」「建物をカビ塗れにした男」「永遠の夜を作った悪魔」。
ありとあらゆる罵倒と呪いの言葉が描かれていた。
リシュアとエシカは、肩を竦める。
エシカの過去も、意外とこのようなものだったのかもしれない。善行を行おうとした結果、人々からは恨みを買う事になった。
「ラベンダーがお腹を空かせて待っております。食べ物屋さんに寄って、何かを買って帰りましょう」
「そうだな。しかし、街は未だに人々の息遣いがある。結果として、街は滅びる事は無かったみたいじゃないか」
街の所々には、ビニールで作られた庭園があった。
ビニールの中では、しっかりと作物が育っている。
家々も雨に強い耐水性の建造物になっているみたいだった。
二人はお菓子店で、甘いメロンとクリーム・パフェを買って、馬車へと戻る事にした。
今度、アルデアル達に会う機会があれば、一人、雨に濡れながら楽器を弾き続ける人間の青年がいる事を教えようと思う。ローゼリアの方は、興味深くすっ飛んで、彼の歌声と楽器を聴きに行くのだろうと思った。