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エシカはいつものように悪夢によって、うなされているみたいだった。
リシュアには彼女の苦しみが分からない。
彼女に対して、何もする事も出来ない。
リシュアには分からないのだ。エシカがかつて沢山の人間を殺し、国々に災厄をもたらしたという事に。リシュアは、今のエシカしか知らない。エシカはよく過去について想い出そうとしているみたいだった。けれども、よく想い出せないみたいだった。
遠くで雷鳴が聞こえた。
エシカは汗だくになって起きる。
「大丈夫か? エシカ」
リシュアは訊ねる。
「はい……………………」
エシカは曇った顔をしていた。
「よく分かりませんけれども」
ローゼリアは少し口を開いて邪悪な笑みを浮かべた。彼女の口元から尖った犬歯が見えた。吸血鬼特有の牙だ。
「私達、ヴァンパイアは、時には残酷に別種族を殺す事もありますの。もちろん、それが人間だったりもしますわ。ですから」
ローゼリアはツインテールにした、桃色の髪を自ら撫でる。
「罪悪感というものが分からない時がありますの」
「てえと、どういう事だ?」
リシュアは首を傾げる。
「エシカさんは、あんまり気になさらないでもよいのではないかと思いますの。過去の知らない自分が人を沢山、殺めただとか。人を沢山、不幸にしただとか。それは別の人間でしかないと思いますの」
「うーん……………。でも、まだ短い付き合いだけどさ。考えちゃうのがエシカなんだよな」
リシュアはエシカの気持ちを察するように言う。
ラベンダーは小さな体躯で窓の外を眺めていた。
<もうすぐ、新しい街に着くぞ>
「今度はどんな街なんだっけ?」
<亡霊の街と呼ばれる場所だ。亡くなった者達の多くが幽霊(ゴースト)となって存在しており、生きている人々と共生している。生者と死者が混ざり合う街だな。その街からもう少しだけ先に進むと、戦争跡地がある。その場所は廃墟と化していて、沢山の幽霊が出るらしいな>
「そうなのか……少し怖いけど」
リシュアは口元に手をあてると。
「なんだか、面白そうだな」
彼は少年特有の好奇心に満ちた表情を見せた。
エシカにはリシュアの無垢さが眩しくなる時がある。
『亡霊の街 ルブラホーン』。
その入り口に馬車は辿り着こうとしていた。
気のせいか、何か荒涼とした不気味さのようなものが漂っていた。
†
この街で現地調査を行うように、吸血鬼アルデアルからの依頼で訪れた。
街の人々は何処か陽気だった。
エシカもリシュアも彼らの様子に対して、意外な顔をする。
亡霊の街と呼ばれるからには、もっと陰気なイメージを持っていた。
街中でダンスを踊っている者もいる。
曲芸を行っている者達もいた。
まるで毎日がお祭りのように思えた。沢山の屋台がある。
「何か。みなさん明るいですね」
「そうだな。みな楽しそうだ」
時間は日中だ。
吸血鬼であるローゼリアは真昼の太陽に、うんざりした顔をしていた。此処はエトワールの霧の街と違って、太陽が燦々と輝いている。基本的に太陽の光は吸血鬼には毒なのだ。
「わたくしは日光は得意では無いですので、馬車の中にしばらくいますわ」
ローゼリアはそんな事を言って、馬車の中で不貞寝していた。
「ちょっと行ってみようか。エシカ。あそこでお祭りのようなものをしている」
リシュアはエシカを誘う。
「は、はい。リシュア」
エシカは手を握られる。
温かい手だ。
エシカはうっとりとした表情になる。
広場では、子供達が集まっていた。吟遊詩人のような者達が歌ったり、楽器を奏でたりしている。大きなハープを奏でている少女もいれば、小さなギターを奏でている青年の姿もあった。
最近は陰鬱な場所ばかりに行っていたので、リシュアはそれらを見て、とても楽しい気持ちになった。リシュアが楽しいそうな顔をしていると、エシカもなんだか楽しい気持ちになる。
みなでダンスのようなものを踊っていた。
リシュアは見ず知らずの女性と一緒に踊る。
エシカは何だか嫉妬のような感情が湧いてきて、見ず知らずの男性と手を組んで踊った。
しばらくの間、二人は踊り続けていた。
めくるめくる、不思議な感覚に誘われ、ダンスは続いていく。
やがて空が夕日に包まれていく。
リシュアとエシカは踊りに疲れて、宿を取る事にした。
日光が苦手であるローゼリアも現れる。そして、同じように馬車の中でずっと昼寝をしていたラベンダーも現れる。
「ねえ。お二人共、一体、誰と踊っていたんですの?」
ローゼリアは不思議そうに訊ねた。
「誰って、見ず知らずの人ですよ」
エシカは答える。
「そう? エシカもリシュアも一人で踊っていたように見えたんだけど…………」
ローゼリアは不思議そうな顔をしていた。
そう言えば、此処は“亡霊の街”だ。
もしかすると“生きていない何者”かと、ずっと踊り続けていたのかもしれない。
ローゼリアの言っている事を聞いて、リシュアは少しぞっ、とする。そう言えば、自分と踊っていた女の顔を想い出せない。一体、自分は誰と何時間も踊っていたのだろうか。まるで分からない。
とにかく、四名は宿を取る事にした。
リシュアはラベンダーと。
エシカはローゼリアと同じ部屋に泊まる事にした。
<一体、誰が生者で誰が死者なのかも分からない街なのかもしれないな>
ラベンダーはそんな事を告げた。
「なんだよ。怖い事を言うなよ…………」
リシュアはベッドに横になりながら、溜め息を付く。
<怖いのか? 幽霊が>
「どうなんだろう。吸血鬼の娘とも旅をしているし。何よりエシカは魔女と呼ばれる存在だ。今更、幽霊なんて怖くないのかもしれないけどさ」
リシュアは考え込む。
「先ほどまで踊っていた人物が、まるで得体の知れない者だったってのは、何だとなく、やっぱり不気味に感じるかな」
<それが自然な感覚だろう>
ラベンダーは小さな翼をはためかせながら、毛布に包まった。