「ただいまー」と家の玄関に入る。
「おかえりー。手を洗ってきなさいね、おやつあるわよ」とお母さんの声がする。
ダイニングをのぞくとお母さんと妹の
ボクが自分のコップを持って席につくとお母さんが麦茶を注いでくれる。
「お母さん、動画が見たいんだけどスマホ貸してもらっていい?」
「良いけど、沙耶が使ってるから終わったらね」
お母さんの視線を追うと、電源がついたままの電子ピアノの横にお母さんのスマホはあった。
「使ってないじゃん」
「今休憩中ー。これからやるのー」
ボクの文句に、紗耶がボリボリおせんべいを食べながら反論する。
仕方ないなぁ、じゃあその間に宿題でもやろうかな。と、ボクは諦めながらおせんべいに手を伸ばす。
「お兄ちゃん何の動画見たいの?」
「友達が動画を投稿してるから、見てほしいんだって」
「えっ、どんなの?」
「そんなの見てみないと分かんないよ。多分女の子が一人で歌ってるんじゃないかなぁ?」
ボクが精一杯の予想を伝えると、お母さんと妹が同時に立ち上がった。
「「女の子!?」」
……え、そこ?
「女子なの!? お兄ちゃんって女子の友達とかいたの!?」
「どんな子なの!?」
「見てみよ見てみよ!」
「それが早いわね!」
妹はあっという間にスマホを取ってテーブルに戻り、お母さんはボクの差し出したアドレスを一瞬で入力する。
そうして、ボクよりも興味津々の二人に挟まれて、ボクは清音さんの動画を見た。
***
「あっ、清音さんおはよう! 見たよ! すごかったよ!!」
翌朝、隣の机にランドセルが置かれると、ボクは夢中で話しかけた。
清音さんは『!』を出すと、周りをキョロキョロ見てからまた『しーっ』とジェスチャーした。
「ごめんごめん、ついテンション上がっちゃって……」
ボクが謝ると、清音さんはちょっとこわい顔……じゃなくてかたい顔で、でもほんわかした背景を背負う。
どうやら許してくれたみたいだ。
「あれって『編集』してるんだ?」
ボクは小さい声でたずねる。清音さんは小さく頷いた。
清音さんの歌は、エコーみたいな効果もしっかりかかってて、まるでプロみたいだった。
「ボク、もっとアカペラっぽいのかと思ってたから、びっくりしちゃったよ」
清音さんはボクの方を見ないまま、教科書を机に入れたり、ランドセルをすぐそばのロッカーに置いてまた戻ってきたりしている。
「お母さんも妹もすごいって言ってたよ。あ、ボクの妹、四年生なんだけど、妹はファンになったって。チャンネル登録させてもらっちゃった」
でも清音さんはボクの話をちゃんと聞いてるみたいで、恥ずかしがったり、驚いたりと背景がくるくる変わって面白い。
ストン、と隣の席に座ると、清音さんはメモ帳にサラサラと何か書いて差し出した。
『知ってる。名前が佐々田だった』
へー。チャンネル登録って、した人のことが分かるんだ。
動画には清音さんの姿は映ってなかったけど、アイコンはマイクを持った写真になっていて、あの綺麗な手は確かに清音さんの手だな。と思った。
ボクは隣に座る清音さんを上から下まで眺める。
あんなすごい歌を歌える子が同じクラスにいたなんて。
それなのに、今まで知らずにいたなんて。
目からウロコっていうんだっけ?
ものすごくびっくりして、急に世界が広がったような気がした。
ボクが知らないだけで、このクラスには他にも清音さんみたいにすごい特技を持った人がいるんだろうか。
そうだよね、同じクラスの子って言っても、よく話す子なんて数人だ。
せっかく縁があって、同じ年に生まれて同じクラスになったのに、顔と名前を知ってるだけなんてもったいないよね。
話しかけるきっかけなんて、たくさんあるのに。
神様にこの能力をもらえたのはきっと、大事なキッカケだ。
ボクはなんだか急に、同じクラスの人や通学路で会う人達ともっと話してみたい、一人一人をもっと知りたいと思ってしまった。
どうしよう。ワクワクする。
昨日清音さんの歌を初めて聞いた時みたいなドキドキが、もしかしたらこのクラスの人数分隠されているのかも知れない。
そう気付いたら、すごくドキドキワクワクしてきた。
まるで、最高に面白い漫画を読んでる時みたいだ。
こんな未知のドキドキは漫画の中にしかないと思っていたのに。
本当はボクの近くにもあったなんて、知らなかったよ。
「清音さん、本当にありがとう!」
思わず大きな声になってしまったボクに、サッとクラスの視線が集まった。
『!』の並ぶ教室に、ちょっと恥ずかしくなる。
清音さんは眉をしかめて『しーっ』とジェスチャーした。
これは緊張してるんじゃなくて、流石にボクにイラッとしたんだって事が背景からわかる。
「ごめんごめん。本当にごめん」
ぺこぺこ謝ってから、ボクは小さい声でたずねた。
「もしかして、皆には内緒にしてるの?」
清音さんはイライラを引っ込めて、メモ帳に答えを書いて見せてくれた。
『別に。でも言いふらしたくはない』
「そかそか、そうだよね。ごめん。えっと……、じゃあボクが友達に清音さんの動画を教えるのは大丈夫なの?」
清音さんは少し考えてから、ペンを動かす。
『佐々田君が大丈夫って思う相手だったら』
それって、僕の判断に任せるよって事……?
え、ボクのこと信頼してくれてるんだ?
……うわぁ、どうしよう。嬉しい。胸の真ん中がむずむずしてしまう。
もしボクみたいに見える人がこの教室にいたら、今のボクは恥ずかしいくらいポワポワした効果に包まれてるんだろうな。
清音さんの信頼を裏切らないように、ボクも気を付けようっと!
ボクは自分の両手をぎゅっと握って気合を入れた。