「清音さん? 同じ方向だったんだね」
清音さんは『!』を出して、何かジェスチャーを始める。
「……えっと、これはこっちに、置いといて?」
見たままを訳したつもりだったが、清音さんの上に出た残念そうなマークを見る限り違ったみたいだ。
清音さんはピコッと小さく電球マークを出すと、ポケットからメモ帳を取り出してサラサラと書いてボクに見せた。
「あ、引っ越し? へぇ、学区内で引越ししたんだね」
分かってもらえてホッとしたらしい清音さんが、背景だけは嬉しそうに、顔は真顔で、また何か書いてメモを見せる。
「ああ、あそこの新築マンションかぁ。ずっと工事してるなーと思ってたけど、すごくおっきいマンション建ったよね」
「って事は、清音さんの家はボクの家からそんなに遠くないね。だって、ボクの家から工事の音がずっと聞こえてたよ」
はたから見ればボクが一人で喋ってるみたいだけど、清音さんは無表情のままクルクルと背景を変えてボクの言葉に応えてくれるし、時々走り書きのメモも見せてくれるから、ボクにとっては十分会話だった。
「へえ、同じクラスの子もいるんだ?」
言われて後ろを振り返れば、確かにこっち方面じゃなかったはずの子も混ざっている。
そっか、皆夏休みの間に引っ越してたのか。
ボクは休み明けからしばらく地面ばっかり見て帰ってたから、気づかなかった。
すい。と清音さんが前の方を指さした。
清音さんの指は細くて長くて綺麗だ。そんな関係ないことを思いながら、ボクはその先を見る。
そこには内藤君がいた。
「あ、内藤君だ」
内藤君はボクより背の高いスラっとした体を、縮めるように俯いて歩いている。
一人で帰るのが寂しいのかな。なんて、勝手に親近感を感じた瞬間、内藤君の頭上にピココココココッッ! と電球が大量発生した。
な、なんで内藤君っていつもあんなにたくさん閃いてるんだろう。
一体何を考えてるのか、全くわからない。
聞いてみたいと思う反面、あまりに予測できなくて、聞くのが怖いような気もする……。
ボクが声をかけようかどうしようか悩んでいる間に、清音さんが何かサラサラと書いたメモ用紙を破ってボクにくれた。
「ん? 何これ、何かの暗号?」
その暗号のような文字の下には、動画サイトの名前が書かれていた。
「え、動画のアドレス!?」
暗記してるなんて、よっぽどオススメの動画なのかな?
そう思って顔を上げたら、清音さんがメモ帳を見せていた。
「え『歌ってみた』を投稿してるの? 清音さんが!?」
思わず大声を上げたボクに、清音さんはあわあわと汗のマークを散らしながら『しーっ』と唇に人差し指を当ててジェスチャーする。
仕草は可愛い。でも顔が怖い。ギロリと睨まれている。
もしかして清音さんのこの顔は、こわい顔じゃなくて、かたい顔なのかな?
力が入るとこうなっちゃうのかも知れない……。
うん、そういうことにしておこう。普通に睨まれてるとしたら怖いから。
ボクは声を抑えて言う。
「すごいね清音さんっ」
途端、ぽわんと嬉しそうに花が舞う。
この『人の周りに舞う花』って人によって全然種類が違うんだよね。
何の花なのか全然わかんないのもあるけど、清音さんのはボクにもわかる。
これはスズランだよね。小さくてかわいい白い花がほんわか揺れるのが、清音さんに良く似合ってる気がしてボクは気に入っていた。
ふと清音さんが足を止める。
気づけば僕たちはマンションのエントランス前についていた。
なんだかあっという間だった。
「清音さん、今日は一緒に帰ってくれてありがとう」
清音さんは、ひらひらと手を振って玄関の自動ドアへと向きを変える。
「歌、帰ったら絶対聞くよ。また明日ね」
清音さんはボクを振り返ると、恥ずかしそうにほんの少しだけ笑って、バイバイ、と唇を動かしてドアの向こうへ消えた。
それは、ボクが初めてみた清音さんの笑顔だった。
やばい。なんかドキドキする。
いやだって、ほら、レアだから。
米倉さんの笑顔がRだとしたら、清音さんの笑顔はSRはあるよね?
いや、米倉さんはいつもニコニコしてるから、レア度はNくらいかな?
って大事なのはそこじゃないよ。
大事なのは、清音さんがボクに笑ってくれたってことだ。
きっと、ボクじゃない他の人に向けた笑顔なら、たまたまその顔を見ただけなら、こんなにドキドキしないと思う。
ボクは家に向かって歩き出しながら、なんとなく落ち着かない気持ちで空を見上げる。
空の半分は背の高いマンションで埋まっていた。
そして、頭の端っこで、もしかして亮介も毎日こんな気持ちなのかな。と思った。