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第四話 ひとりで歌う合唱歌(5/6)


……そんな清音さんだったから、ボクは当日彼女の周りにグルグルもやもやが出てるのを見て、驚いてしまった。


「清音さんどうしたの?」

ボクが小声でたずねると、机に伏せていた清音さんはいつもより青白い顔でボクを見た。

ボクは慌ててランドセルをロッカーに入れて戻ってくる。

すると「おなかいたい」と書かれたメモ帳を見せられた。


「え、保健室行く?」

清音さんは顔を伏せたまま首を振る。

どうしよう。

朝の会が終わったら、体育館に移動になってしまう。その前に先生に知らせたほうがいいかな……。

「先生に言おうか?」

ボクがたずねると清音さんはハッキリ首を振った。


えー。どうしよう……。

「松本さんたちには言ってもいい?」

これにはコクリと頷きが返ってくる。


ボクは慌てて二人に声をかけた。

もしかしたら女の子にしか話せないような事かもしれない。と思ったから。


松本さんと川谷さんが、清音さんの席の周りでコソコソ話す。

「え、家でうんちが出なかった?」

「なーんだ、便秘かぁ」

清音さんが青い顔のまま、慌てて『しーっ』とする。


ごめん……。

清音さん、聞こえちゃってごめん……。


でもそっか、緊張すると出ないこともあるよね。

清音さんなりに今日は緊張してるんだろうな。


けど、そんなにお腹が痛いのに、本番大丈夫なんだろうか。

清音さんはまだまだ辛そうな背景だ。


「どうする? 一緒に行こっか?」

松本さんが声をかけた時、先生が入ってきた。


「はーい、席についてー。今日はいよいよお家の人に練習の成果を見せる日です」


先生は元気に声をかけて、今日の心構えや観覧態度についての注意をすると「移動は六年からだから、五組が出たらすぐ行くわよ」と廊下を覗きに行ってしまう。


ボクは思わず松本さんと川谷さんを見る。

二人もこちらを見ているけど、どうしようという顔だ。

だって、清音さんがトイレに行きたいみたいです。なんて皆の前で言えないよ。


「はい、廊下に並んでー」


皆はぞろぞろと廊下に出る。

えっ、清音さんも行っちゃうの?

ここに座ってれば先生が気づいて来てくれるかも知れないのに……。


清音さんは青い顔で俯いたまま列に並ぶ。


「移動するよー。皆静かにー」

ついに列が動き出す。ボクは思わず手をあげていた。

「せっ、先生っ! トイレに行ってもいいですか!」

「あらら、仕方ないわね。次はもっと早く行っておきなさいね」

「僕も、いいですか」

え?

手をあげたのは内藤君だった。

「わ、私もっ!」「あ。じゃあ私も……」

松本さんと川谷さんも手をあげる。

すると、清音さんも小さく手をあげた。

先生は表情を変えなかったけど、電球のマークがピコンと出た。


ボクたち四組の後ろには三組が並んでいて、二組ももう列を作りはじめている。

「じゃあ先生達は先に行ってるから、後ろからそーっと入ってくるのよ」


「はい」「はーい」と返事をして、ボクたちは列を離れた。

なのに、清音さんは近くのトイレに入ろうとしない。


「やっぱりやめとくってなんで!?」

「そんなお腹痛いままじゃ歌えないよ」

「え、恥ずかしい……?」


生徒がすっかりいなくなった三階は静まり返っていて、松本さん達ともめている小声がボクにも聞こえてしまう。

「五階の視聴覚室横のトイレはどうだ」

内藤君も聞こえたらしく、助言する。

「あそこは掃除が行き届いてないためあまり清潔ではないが、人は滅多に来ない。今のこのタイミングならまず誰も来ないだろう」


「そうだね。行こ行こ!」

松本さんと川谷さんが移動しようとするのをボクは慌てて止めた。

「待って、内藤君と松本さんと川谷さんは楽器の準備があるでしょ? そろそろ体育館に向かったほうがいいよ」

クラス別の合唱の前に、学年全体の合奏がある。

ボクと清音さんはリコーダーだから自分の首に下げてるこれだけで準備完了だけど、三人はそれぞれ違う楽器を担当していた。


「あ、それは……」

「だけど……」

松本さんと川谷さんは清音さんを振り返る。


「大丈夫。ボクが一緒にいるから! 行こ、清音さん」

ボクは三人を安心させたくて、清音さんの手をとって五階に続く階段を駆け上がった。


「ありがとー、二人も早く戻っておいでねー」「先行っとくからー」

「ご武運を!」


背中に三人の声を受けて、清音さんをチラと見る。急に引っ張っちゃってびっくりしてないかな。

清音さんはいつもの無表情……よりちょっとかたい顔で、階段をのぼっていた。


トイレの前に着くと、清音さんがまたモジモジし始めた。


「大丈夫、ボクが見張ってるから! 誰か来そうになったら、ここのトイレは今使えないから別のとこ行ってって言うから!」


『音、きこえたらはずかしい』と清音さんはメモ帳を見せた。


誰に? あ、ボクに!?


「じゃあ、ボクは大きな声で歌を歌っとくから!」


清音さんはボクの言葉に一瞬驚いた顔をしたけど、それならいいかと納得したのかようやくトイレに入ってくれた。


ボクは息を吸い込むと清音さんの安心のため、精一杯大きな声で南国のペンギンを歌う。一番、二番、最後の繰り返し。間奏は全部カットだ。だってちょっとでも静まり返ったら、きっと清音さんがハラハラしてしまう。


あれ、こんな特別教室しかない階に誰か来た……?

あの子もトイレが目的なのかな?

三年か四年くらいの体格をした女の子が、階段の端からチョロリと廊下に飛び出してきて、大声で歌うボクをみて、おかしな奴がいるみたいな怯えた顔をすると慌てて戻っていった。


うっ、これが不審者に向けられる眼差し……。

なんだかとてもショックだけど、ボクだってきっと廊下のど真ん中で一人で歌ってる人がいたら引くと思う。

いやでもほら、今日は音楽発表会だからさ、最後の秘密練習をしてるのかなって思ったりしてくれないかな?

……無理かな?


間奏抜きのハイペースで歌ってるとはいえ、歌が三巡目に入るとボクも焦ってきた。

清音さんまだかな……。

そろそろ校長先生の話くらいは始まってしまうだろうか。


……ボクはこんなところで一体何をしてるんだろう……。


いやいや、ダメだ。正気に戻っちゃダメだ。

ペンギンも歌ってるじゃないか、君のためならなんでもしようボクの大事な仲間たち、って。

四回目の南国のペンギンを歌い始めた頃、ボクの耳にようやく水音が聞こえた。


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