橘が欲しい。今すぐにでも抱かれたい――しかし、そんなこちらの意に反して、橘は目を逸らしたのだった。
「し、しません」
断られることはないと思っていただけに、諒太はぽかんとした。が、橘の顔は苦悩に満ちていて、何も返せなくなる。
諒太が黙っていると、橘は顔を手で覆いながら続けた。
「すみません。“初めて”は――ちゃんと、シラフの先生がいいです。もし先生が覚えてなかったら、すげーへこむと思うし」
そう告げられて、ようやく考えを理解する。
誠実な橘らしいが、自分とのセックスにそこまで特別な思い入れがあるとは思ってもみなくて、なんだかむず痒い気分になってしまう。
「わかった。きちんとした形で“初めて”の相手にしてくれるのを待つよ」
照れ隠しに言えば、橘は微妙な表情を浮かべた。
「それはちょっと、意味合いが変わってくるような」
「えー? だって君、童貞なんでしょ?」
「それはそっすけど」
「どっちの意味でも“初めて”なんだし……だったら、なおさら大切にしないとな?」
「先生が珍しくイジってくる……」
「イジってないって。嬉しいよ、俺とのこと大切に思ってくれて――ありがとう、橘」
顔を覆っていた橘の手を退けてしまうと、フッと笑って再び口づける。
「今日はお互いに我慢、だな」
軽いキスのあと、唇を浮かせて囁くように言ったのだった。
◇
翌朝。ズキズキという頭の痛みで、諒太は目を覚ました。
(いてて……二日酔いとか、いつぶりだ? さすがに昨日は飲みすぎたな)
眉間を指で押さえつつ、重い瞼を開ける。
――と、目の前にあったのは橘の端正な寝顔だった。
「~~っ!?」
一瞬にして頭が冴えて、声にならない声を上げる。途端、橘が身じろぎをした。
「ん……先生?」
橘はぼんやりとした様子でゆっくりと起き上がる。大きく伸びをしてから、改めてこちらに向き直った。
「おはようございます。早いっすね」
「おはようって……あっ」
ようやく昨晩の出来事が脳裏に蘇ってきて、諒太は硬直する。
自宅まで送ってもらい介抱されたこと。セックスこそしなかったものの、ベッドの上で誘ったこと――。
昨夜は酒の勢いで、普段の自分なら考えられないような言動を多々してしまった。思い出すだけで顔から火が出そうだ。
「帰ろうとも思ったんすけど……その、何も言わずに帰るの嫌だったんで。ああ、親にはちゃんと連絡したんで大丈夫っすよ」
「そ、そっか。それは嬉しいんだけど……さ」
「?」
「昨日あったことは……ほんと、忘れてほしい。いつもはあんなじゃないから」
力なく口にすると、橘はふっと表情を和らげた。
「わかりました。でも、先生が最初のお客さんになってくれるのは――約束、ですからね?」
そう言って、差し出してきたのは小指だ。何を意味しているのかはすぐにわかったけれど、さすがにこの歳になって恥ずかしすぎる。
「ゆ、指きりって」
「約束」
しかし、真っ直ぐに見つめてくる眼差しには到底勝てっこない。
橘と一緒にいると、いつも甘酸っぱい気持ちでいっぱいになる。まるで、遅すぎる青春を味わわされているようだ。
「――……」
おずおずと諒太が小指を差し出したら、橘はそれを優しく絡めてきた。
そうして、軽く指を揺らしながら見つめ合う。互いにどこか照れくさそうな笑みを浮かべつつも、いつか来るだろう未来に想いを馳せるのだった。