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第2話 元気の出し方/恋の予感(3)



    ◇



 美緒に橘のことを話したら、二つ返事で了承してくれた。「りょうたくんのおともだちなら、あってみたい!」とのことらしい。


 そうして迎えた翌週、日曜日。約束どおり、諒太の住む部屋に橘がやって来た。


「いらっしゃい。迷わなかった?」玄関で出迎えるなり、諒太は訊ねる。

「はい、大丈夫でした。それとこれ――お口に合うかわかりませんが、よかったら姪っ子さんと召し上がってください。……つっても、うちの親からなんすけど」


 橘が差し出してきたのは、洋菓子店の菓子折りだった。わざわざ親御さんが用意してくれたのかと思うと、申し訳ない反面、厚意がありがたくもある。


「悪いな、ありがとう。どうぞ上がって」

「お邪魔します」


 礼を言いつつ菓子折りを受け取り、橘をリビングに案内する。

 そこにはこちらの様子をうかがっている美緒の姿があった。橘を見ると、パッと諒太の方に駆け寄ってきて背後に隠れてしまう。


 橘はそんな彼女の前にしゃがみ込み、目線を合わせて微笑んだ。


「こんにちは」

「こ、こんにちは」

「橘大地です。初めまして」

「さかがみ、みおです。はじめましてっ」

「うん。よろしくね、美緒ちゃん」


 挨拶を交わして、橘が手を差し出す。

 すると美緒は戸惑いながらも諒太から離れ、橘と握手した。緊張しているのが伝わってくるものの、その顔には笑みが浮かんでおり、諒太はホッと安堵する。


「美緒ちゃん、可愛いっすね」

「だろ? よかったなあ、美緒。お兄ちゃんが可愛いって」


 橘の言葉に気をよくし、諒太も美緒に声をかけた。当の本人は照れくさそうにはにかんでいる。


「えへへ、かわいい?」


 うんうん、と二人して頷くと、ますます嬉しそうにする。美緒は人見知りをするタイプなので、こうして初対面の相手に心を開いているのは珍しいかもしれない。


 そうこうやり取りをしているうちに美緒の腹がぐうとなり、本来の目的を思い出した。


「さあ、今日はこの三人でご飯食べるぞーっ」


 諒太は腕まくりをして言った。橘もそれに続く。


「美緒ちゃんのリクエストで、みんなが大好きなハンバーグを作ります」

「ハンバーグっ! おひるからいーの?」


 目を輝かせて声を上げる美緒に、諒太も橘もふっと頬を緩める。事前に何が食べたいか訊いていたのだが、真っ先に出てきたのがハンバーグだった。まだハンバーグはうまく作れた試しがなく、出来合いのものを買うことが多い――ここは頑張りどころだ。


「今日はお客さんもいるから特別! 美味しいハンバーグ作るからなっ」


 意気込んでキッチンへと向かう。美緒を椅子に座らせ、手を洗ったところで橘に向き直った。


「それで、どうしたらいいか教えてください」

「先生が頭下げないでくださいよ。さっきまでの勢いはどうしたんすか」

「だって、ハンバーグって難しいだろ。前に作ったときなんか、表面焦げてるくせに生焼けだったし」

「そんな先生でも大丈夫ですよ、もともと煮込みハンバーグにするつもりでしたから。伝えておいた材料は揃えてありますか?」

「それなら抜かりなくっ」

「でしたら、玉ねぎをみじん切りするところから始めましょう」

「わ、わかった」


 橘の指示を受け、玉ねぎの皮を剥いてまな板の上に置く。みじん切りのやり方は料理教室で習ったばかりなので、順序よく刻んでいく……つもりだったのだが、


「大丈夫ですか?」

「っ、やっぱこれしんどい……」


 包丁を入れるたびに涙が出て止まらない。しかし、ここで手を止めたらもたついてしまいそうだ。なんとか最後まで刻み終え、今度はそれを――これまた橘の指示どおりに――フライパンであめ色になるまで炒める。


 橘はというと、その間にハンバーグの付け合わせを作っていた。人参やジャガイモといった彩り豊かな野菜を手際よく下処理したあと、電子レンジで加熱し、フライパンにバターを入れてソテーしていく。


「そんなに手際いいのに、料理教室通う必要ある?」


 気になって訊いてみたら、橘は苦笑を浮かべたあと、ぼそりと答えた。


「前に、いずれ実家の小料理屋継ぎたいって言ったじゃないですか。でも、親は見て覚えろって感じだから教えてくれないし、我流には限界があるしで……案外、知らなかった料理のコツがわかっていいんすよ」

「なるほど……熱心というか、すごいな」

「いえ、そんなことは。それにほら、調理師学校の面接ネタになるかとも思って。俺、ちゃんと免許取りたいし、経営の勉強だってしたい――やりたいこと、たくさんあるんです」


 橘の顔つきは真剣そのもので、おそらくは明確なビジョンを持って夢を思い描いているのだろう。そう思うと、あまりに眩しくて羨ましくなる。


(若い、っていいなあ)


 自分だってまだまだ若いつもりではいるけれど、十代のエネルギッシュさとは比べものにならない。思わずぼうっとしていたら、危うくフライパンの玉ねぎを焦がしそうになった。


「おっと、悪い」慌てて火を止め、玉ねぎを皿に移す。「そんで、冷ますんだよな?」

「はい。玉ねぎの荒熱を取っている間、肉の準備をしましょう。ああ、そうだ――美緒ちゃんもお手伝いする?」


 橘が声をかけると、美緒はパッと表情を明るくさせた。


「する! みおも、おてつだいしたいっ」


 駆け寄って、橘の足元にしがみつく。もうすっかり照れくささはなくなったようだ。


「美緒ちゃんにはこれを練ってもらいます」


 美緒に手を洗わせているうちに、橘が牛豚合い挽き肉をはじめとした材料を用意してくれた。途中、つなぎの玉ねぎやパン粉なども加えながら、美緒は一生懸命に練り混ぜていく。


「そう、美緒ちゃん上手」

「なんかね、ねんどみたいでたのしいかもっ」


 褒められた美緒はご機嫌だ。はたから見ていて、微笑ましく思えてならない。


(美緒にとっても、よかったかもな)


 諒太は心の中で呟いて、目元を細めた。

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