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 怒りとは違った。悲しさが飽和したのか、遣る瀬なさが堰を切ったのか。ともかく、溜め込んだものが弾けた。首の折れた弦楽器は、無感情に私を見ていた。そうして私は母から見放してもらえ、その年のクリスマスに父からタブレットをプレゼントされた。

 バイオリンが嫌なわけではなかった。私が弾くと無惨に軋むような音も、好きな演奏者が弾くと背筋が震えるほど美しかった。でも繰り返し教室に通ううち、先生に指導されるうちに、その音色も母の金切り声と重なるようになった。わざわざ他でバイオリンを聴かなくなったから、記憶にあるのは私の下手くそな掠れた音と、先生の奏でる一聴美しい、けれど苛立ちや満ち満ちる自信が時々に見え隠れする音ばかり。それでもあの美しい楽器には、悪感情を抱いてはいなかった。

『もうこの子たちと遊ぶのはやめなさい』

 小三の頃だった。大人というのはどうしてこう、愚かで残酷なのだろうと思った。そんなことを友達の前で言われればどうなるのか、想像さえできないのだ。レッスンを二回さぼったのは怒られてもしかたないと思った。でも自分たちで服に刺繍をするくらい、許してほしいと思った。手が傷付くことをとても嫌う母だったから、嫌がるだろうともわかっていた。わかっているから気を付けていた。リスクも承知の上で、私は友達との時間を取ったのに。母はわざわざ友達にも、バイオリンがあるからあんまりそういうことには誘わないでとお願いをした。私も私で従順で、母が怒るから、レッスンがあるからと誘いを断ることが多くなって、次第に私は孤立した。

 絵を描く楽しさを知ったのは同じ年の、学校の授業でだった。初めて絵の具を使って、色をのせていった。お世辞にも上手いとは言えなかったけれど、先生はその絵を褒めてくれた。それが嬉しくて父に話すと、よかったなと笑ってくれて、おばさんも絵が上手いぞと教えてくれた。

 それが、契機だった。

『お、お姉ちゃんの娘』

 母の妹である彼女は、母にとても嫌われていた。正月に挨拶をするくらいで、母からあまり話すなと言われていたから、あんまりいい印象はなかった。

『なんでこんなとこに。怒られるんじゃない?』

『絵、上手いって、お父さんが』

『見に来たの? やめとけばいいのに』

 アトリエという場所を訪れるのは、それが初めてだった。置かれたたくさんの画材、描かれたいくつもの絵。どれも強い主張のない、静かな絵だった。深い闇もなければ、押し付けるような光もない。でも、なぜか私は、それらに強く惹かれた。絵の描き方を教えてほしいとせがんだら、まずはたくさん絵を描きなと言われた。だから、レッスンがない日はひたすら絵を描くようになった。描いても描いても楽しかったけど、描けば描くほど、あのアトリエで見た絵との差が気になって、同じ絵を何度も描き直した。それから一年して、おばさんは教えることを承知してくれた。

『お前も大概見る目ないね、私たち姉妹と似ちゃってさ』

 私が私に表せる最大の喜びをどうにか表現してる傍らで、絵を描く手を止めないまま、おばさんはそう嬉しそうに呟いた。

『言っておくけど、私は暮らしてくのもやっとでお姉ちゃんにも迷惑掛けてるし、それでも描き続けてる穀潰しなんだよ。ろくでもないのに習うんだってこと、ちゃんとわかってて』

 おばさんは売れない画家を自称していた。私はこんなにすごい絵を描くのにと半信半疑だったけど、母の文句をちゃんと聞いてみると、どうも母からお金を借りたりしてるのは本当のようだった。それでもやはり彼女の絵は美しく、私は教わるたびに上手くなり、描くことは楽しかった。通い詰めると隠しきれなくなり、ばれたときは当然あんな人に会うのはやめなさいと怒られたけど、父が珍しく絵を描くくらい許してやれと口を出してくれて、そのまま通うことが許された。学校のコンクールで銀賞を取った時は、母も少し満足した様子だった。心はバイオリンからどんどんと離れて、私は絵にのめり込んでいった。レッスンに行くのが今まで以上に苦痛になり、小六には先生からもはっきり下手になった、上の空だと指摘されるようになった。母もどんどん不機嫌になった。怒られれば怒られるほど、もう見捨ててくれればいいのに、と思うようになった。

 そして、母の我慢が限界を迎えた。

『レッスンだって言ってるでしょう!』

 小六の夏休みだった。読書感想画の宿題をこなしていた。読む本もちゃんと選んで、どういう絵を描くか決めて、何日もかけて丁寧に仕上げていた。母に認めてほしくて、コンクールで金賞も狙っていた。絵の具を載せる段階で、描く工程で色を載せるのが一番好きだった。だから、レッスンへ向かうぎりぎりの時間になっても描き続けてしまい、母の苛立った言葉にも生返事で返していた。母は私の手元から急に画用紙を取り上げ、載せた筆がひどい線を生んで、私はそれに恐怖し、怒りが湧きかけて、けどその感情の動きを認識する前に、画用紙の破かれる悲惨な音を聞いた。心が裂かれた。母は何度か画用紙を破き、呆然とした私にはっとした様子になり、服に絵の具が付いたからもう間に合わない、今日はキャンセルするから、と私に怒鳴って、部屋を出て行った。

 だから、私のための怒りは、あのときに使い果たした。悔し涙も流し尽くして、私は母に二度と心を開かなくなった。絵を破かれたことは父にもおばさんにも言わなかった。それから一年とすこしが経った頃。中学一年の半ば。どうしてか、何がきっかけかはもう、わからないけど。ふつりと糸が切れるように私はバイオリンを床に叩きつけて、母は私を見放してくれた。そしておばさんはそれ以降、絵を教えてくれなくなった。その年のクリスマスに私はタブレットを買ってもらい、デジタルでも絵を描くようになり、やがて、ネットに作品を発表するようになった。

 何度描いても現実にも、おばさんの描く絵にも届きはしなかった。それでも、絵を描くことは、楽しいままだった。お前に出逢うまでは。




 新規キャンバスは空白のまま。描く絵をじっと考えるうちに、お前のことに思考が巡って、そうしてしばらく固まっていた頃だった。間抜けな音とともに通知が来て、お前からチャットが届いた。通知の小さな枠でさえ十分な、新しい絵描きました、の短い文。私はじっと固まって、ゆっくりキャンバスを閉じた。SNSを開いて、お前のアカウントに飛んだ。

「…………」

 投稿されたのは二八分前。悩んだ時間をそのまま表しているようで、心の奥に溜まった汚泥が重さを増した。明度の高い絵。わかりやすく、綺麗な絵だった。向日葵畑と、ポニーテールの少女。燦然と溢れる光に、熱を孕んだ大気まで匂い立つ。お前は景色と、少女が好きだった。光に溢れる、好きの詰まった絵を描いた。綺麗なだけ、なんてことは、決してない絵を。

 じっと眺める。丁寧に見つめる。私自身がよく、よくわかっていた。細部まで丁寧だった。色も選び抜かれていた。一見して軽やかでいて、泣いているような切なさが滲んでいた。居並ぶ畑から伸びた一輪の向日葵。そこに重なった小さなレンズフレアが、まるで涙の滴に見えた。ひまわりは太陽に背を向けていて、少女は目立つ向日葵にも目を向けないで、ただ道の先を見ていた。

 その絵に込められたものが確かにあるのも、私に送られたチャットの意味も、私は知っていた。

 胸をじり、と焼かれるような心地があった。お前の絵に浮かぶ、感情を上書きするような。拒絶と、無力感。その記憶。

 バイオリンを叩き壊した幼き私は、いっそ吹っ切れたような心地でおばさんにそれを報告した。おばさんはそれをよくやったと言ってくれて、好きに生きなと背を押してくれた。でも、それから首を振った。

 ただ、悪いけど会えるのは今日が最後。叶がバイオリン嫌いになったのは私のせいだって言われてね。会うとお金借りられないんだわ、ごめん。私人気ないから、お姉ちゃんがいないと暮らしてけないんだよね。

 色んなものを、一斉に否定された気になった。バイオリンを折ったことも。私が惹かれたおばさんの絵も。私が母を拒絶することも。私より母を取った、とも、思ってしまった。人気ないから、のあっさりした言い方が、酷く痛かった。

 そして私は、今度こそ独りになった。作品を発表する場は美術部での少ない機会と、SNSだけになった。そこに描いた絵を載せていくにつれ、どうしておばさんが人気がなかったのか、なんとなく、わかるようになった。

 おばさんの名前で調べた時にも、いつかに開設した質問系サービスに届いた悪意にも、あった言葉。おんなじような絵、ばっかりですね。

「…………」

 拡大して、タブレットの表面に指先で触れて、青空のグラデーションを、向日葵の輪郭をゆっくりと辿る。背景の茫洋があつい大気にぼやけ、背の伸びた一輪は凜と輪郭を澄み渡らせている。少女はほんのりと曖昧に、微かに遠くにあるように薄らいでいる。全体の印象として見ると主役はのっぽの向日葵で、愛歩の絵にしては珍しい。

 お前の絵を見ながら。チャット欄に、いくつか書いてみていた。ここがいいとか、この色遣いが綺麗だと思うとか。そして、書いて、消してを繰り返していた。幾度目かのその文章を打ち込んだまま、しばし眺めた。

『今までで一番好きかな』

 語尾を無意味に変えたり、「今」と「これ」を差し替えたり、悪あがきを続けては結局消す。アプリをSNSに切り替えて、じっと絵を眺めて、確かめる。確かめると、どうしても好きとは言えないままの私がいる。

 おばさんの名前で調べたあのとき。似たような絵しか描かない、と書かれていて、はらわたが煮え繰り返った。言い様もない怒りが湧いて、誰かのためにここまで怒れることに自分で驚いた。画用紙を破られたときよりも、純粋に怒っていた。そして同じ言葉が私に届いたとき、私は何一つ、言葉を返せなかった。ただ黙って、その匿名の悪意をブロックしただけだった。

 描いていくにつれ、肥えていくにつれ、どういう絵がどういう風に見られるか、段々とわかっていった。おばさんは作風に貴賤なんかあるかと言っていたけど、彼女を貶したその半匿名の批評家気取りが賞賛する絵たちを、私は本能に近い部分で嫌っていった。

『お前の絵で一番』

 書きかけの言葉を残したまま、画面を暗くして、タブレットを放置して、ベッドに逃げた。朝。朝にしよう。朝になれば、ちゃんと向き合えるかもしれない。それともやっぱり、無理かもしれない。いずれにしても、明日の私に委ねてしまおうと。目を瞑っても、お前のこと、おばさんのことが、頭の中をぐるぐるとしていた。

 去年のいつだか。私が何一つ返せなかったあの悪意がお前にも届いて、お前は真正面から、底抜けに答えていた。

『ぜーんぜん一緒じゃないです、どれも込めてるものが違いますー! ただ描かれてるものとかのぱっと見だけで判断しないでください! ちゃんと私の絵を見てください!!』

 頬を気持ちよく、はたかれたようだった。同時にぐさりと、それが刺さった。私もまた、お前の絵を、似たような絵を描くと無意識に思ってしまっていた。私好みではない、おばさんとは正反対な、大衆受けしそうなだけの絵、だと。違うことは知っていたはずなのに。私も同じ言葉でむかついたはずなのに。それに気付かされた。

 そうして見れば見るほど、お前がどういうつもりで描いてるのか、どこを工夫したかとかが、一層わかるようになった。つられて、心のどこかが、動かされるようになった。けれど私は、ちっぽけなままだった。

 お前の絵を知れば知るほど、自分の描いている絵が、描きたい絵がわからなくなった。色を載せるのが前ほど楽しくなくなった。それが怖くなって、お前の絵に浮かぶ感情をはっきりと否定し始めた。嫌いだと、思い込む度に雁字搦めに縛られて、筆がどろりと重たくなった。

 朝になって目が覚めて、私はもう一度、お前の絵を見た。私の中のどこかが確かに、それに身じろぎをした。私はそれを無視してただ、いいんじゃない、とだけ返した。

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