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第27話 王国決断

冷たい風が、王城の窓から入り込んで、室内の暖かさをかき消していくように感じた。

ジュエルドは玉座に腰かけながら、静かながらも胸を蝕む不安を抱えたまま、手元の報告書に目を落としていた。


「…収支の悪化が予想以上に進んでいる…。それに、地方の治安も著しく乱れていると…」


淡々と読み上げる参謀の声に対し、ジュエルドは眉間にシワを寄せた。

先代の父王から王位を継いでからというもの、国が抱える問題が次々と明るみに出てくるように感じられた。

治安の悪化、収支の不足、国民の不満───すべてが、重苦しい影のようにジュエルドの心に覆いかぶさっていた。

一度は選んだ道だったはずだ。

クレアとの婚約を破棄し、彼女の妹であるレイルと新しい生活を始めることで、かつての束縛から解放されるつもりだった。

しかし、思い描いていた未来とはかけ離れた現実が、ジュエルドを冷ややかに迎えていた。


「ジュエルド陛下、今後の方針について、何かご指示をいただければと…」


参謀の言葉に、ジュエルドは静かに頷いたものの、明確な指示が頭に浮かばない自分自身に苛立ちを感じた。

机の上で書類に目を通していたジュエルドは、深いため息をついた。

最近、あまりに増えた悩みごと───そのうちのひとつが、婚約者であるレイルのわがままぶりだ。

姉よりも優れているとして育てられてきたレイルは、幼い頃から誰よりも自分を優先してもらうことに慣れていた。

ジュエルドは、彼女が王家の家柄にふさわしい自覚を持ってくれる日が来ることを信じていたが、期待はいつしか苦悩へと変わっていた。

彼が国政のために奔走し、刻一刻と変わる情勢を相手に苦心している間も、レイルは相変わらず日々の遊びや贅沢にふけっていた。

貴族としての自覚を持たせようと何度も諭してみたが、彼女は一向に聞く耳を持たない。


───────────────


ある日のことだった。

王宮の控えの間で次の会合の準備をしていると、突如として扉が開き、レイルが小走りで入ってきた。

豪奢な装飾をあしらったドレスをまとい、彼女は少し不満げな顔で兄を見つめていた。


「ジュエルド様、今日の舞踏会のために、新しい馬車を用意してくださいな。」

「新しい馬車? つい先月、新しいものを用意したばかりではないか。」


ジュエルドは驚き、眉をひそめた。

レイルの望む馬車は、どれも王宮の規定を超える贅沢なもので、国庫にも少なからぬ負担をかけていた。


「そうですけれど、あれはもう古く感じるのです。私にはもっと素晴らしいものがふさわしいと思いませんか?」


レイルは頬をふくらませ、じっとジュエルドを見上げた。

その瞳にはまるで、彼が当然その要求に応じるべきだと言わんばかりの強い期待が込められていた。


「レイル、贅沢にも限度がある。それに、今は国が厳しい状況にあることもわかっているだろう。少しでも無駄を省き、民のために資金を使うべきだ。」


彼はできるだけ穏やかに、そして説得力を持たせようと努めて答えた。

しかし、レイルは頑なにその考えを受け入れようとしなかった。


「でも、民のためなんて、私には関係ありませんわ!私は女王になる者ですもの。そんなことを気にする必要はありません!」


その言葉を聞いたジュエルドは、胸の奥に苛立ちがわき上がるのを感じた。

だが、それを表に出すことはできない。

彼女はまだ若く、成長の余地があると信じている自分もいたからだ。


「レイル、君はお次期女王として、民の模範になるべき存在だ。そのためにも――」

「ジュエルド様は何でもわかっているつもりなのでしょう?でも、私の気持ちは少しもわかっていませんわ!」


レイルは彼の言葉をさえぎるように叫び、感情をあらわにした。

彼女の顔には涙が浮かんでおり、いつの間にかジュエルドへの不満が募っていたことがうかがえた。


ジュエルドはため息をつき、心の中で葛藤を抱えつつも、妹のわがままにどう応えるべきかを模索し続けていた。


───────────────


ジュエルドは短く息を吐き、再び報告書に目を戻した。

しかし、視界に入るのは、ますます厳しくなる国の情勢に関する記録ばかりで、どれも自分を責めるような内容ばかりだった。


「治安維持には、軍の増強が必要です。」


参謀の声が響くが、ジュエルドの頭は別のことでいっぱいだった。


「(俺が…あの時、あの婚約を破棄しなければ、こんなことにはならなかったのではないか?)」


その一瞬が、心の中で何度も繰り返される。

クレアとの婚約を破棄して、レイルとの未来を選んだ自分が、今どれほど愚かな選択をしたのか痛感していた。

レイルは確かに魅力的な女性だったが、彼女にはやはり、クレアほどの存在感はなかった。ジュエルドは机に頬杖をつき、ふと、以前の生活を思い返した。

クレアは物静かで控えめだったが、その芯には確かな意志があり、ジュエルドの意見に耳を傾けながらも、必要な時にはしっかりと支えてくれた。

彼女といると、どんな問題も一緒に解決していけるという安心感があった。

だが今、レイルとの生活には、そのような安らぎや信頼が欠けている。

彼女は常に自分の欲求を優先し、ジュエルドの意見をほとんど顧みることはなかった。

朝食の席でも、政務で疲れ果てた夜でも、レイルはジュエルドの気持ちを汲むことはなく、ただ己の希望を押し付けてくる。

例えば、彼が仕事に没頭しているときでも、突然『買い物に付き合って』と言い出し、拒むと怒り出す。

その奔放さに、ジュエルドは疲弊を感じるようになっていた。

そして、彼の中ではクレアに対する憎悪が彼の中で渦巻き、日に日に強くなっているのだ。


「…戦争も視野に入れなければならないか。」


無意識に口をついて出たその言葉が、ジュエルド自身を驚かせた。

国家の情勢を安定させるためには、隣国との対立を煽り、戦争を引き起こすことが最短の道なのではないか────そんな思考が彼の中で膨らんでいた。

ジュエルドは長い間、窓の外を見つめると、ようやく参謀に目を向けた。


「このままでは、いつか国が崩壊する…。」


その言葉には、自分が抱えていた焦燥感と、責任を感じている思いが凝縮されていた。

参謀は、しばらく黙ってジュエルドを見つめていたが、やがて口を開いた。


「ジュエルド陛下…戦争に踏み切るのは、最も危険な選択です。今、この国に戦争を始める余裕はありません。」

「だが、どうすればいいのだ?」


ジュエルドの目は鋭く、焦りが見え隠れしていた。


「国民は怒っているし、民間では犯罪が蔓延している。経済も停滞し、軍隊の士気も低下している。このままでは国が崩壊する一歩手前だ。何もしなければ、全てを失うことになる。」


参謀は言葉を飲み込み、しばらく黙った後、少しだけ沈んだ声で答えた。


「それでも、戦争に突入すれば、その影響は計り知れません。隣国であるジュベルキン帝国との戦争は、私たちにとっても大きなリスクを伴います。」


ジュエルドは静かに頷いた。

それはもちろん、彼も分かっていた。

しかし、心のどこかで、戦争が解決への近道だと思ってしまう自分がいた。

何せ勝てばいい。

軍隊の士気を上げ、勝利すれば全てが解決する。


「(もし戦争を引き起こせば、少なくとも私たちの内政問題から目をそらせることができる。それに、ジュベルキン帝国なら、十分に戦える)」


その時、ジュエルドの頭の中で、クレアの顔がふっと浮かび上がった。

彼女の瞳、そして、あの時の冷徹な表情。

それを見た瞬間、心のどこかで彼女が反発し、拒絶していることを感じていた。

あの一度の選択が、今の彼をこのように追い詰めているのだという思いが、どんどん強くなる。


「クレア・シークエンス……っ!!」


ジュエルドは、憎悪を込めて彼女の名を呼んだ。

そうして、目を閉じ、あの日のことを思い返していた。


───────────────


数時間後、ジュエルドは自分の判断を決めることになった。

その夜、彼はひとり城の大広間に向かう。

視察の準備が整ったからだ。

彼は、いわゆる『視察』という名目で、街を見に行くことにした。

国の現状を肌で感じ、民衆の怒りがどれほど根強いものか、そして自分の立場がどれほど危険なものか、もっとよく理解したかった。

街は、想像以上に荒れていた。

城を出て少し歩くと、道端に溢れる無気力な人々が目に入った。

何もかもが薄汚れ、街全体が活気を失っているようだった。

犯罪も増え、治安はすでに崩壊しているかのように見えた。


「…これが、俺が作った国の姿か?」


ジュエルドは胸の内で深くため息をついた。

彼の目の前で、商人が行き交い、物乞いの姿が見える。

時折、物を盗む者、暴力を振るう者が目立ち、そうした光景に胸が締め付けられた。

その時、突然、何人かの青年たちが通りすがりに大声で叫び始めた。


「国王が何もしてくれない!我々は貴族の支配下に置かれて、もう我慢できない!」

「俺たちがどれだけ酷い生活をしていても貴族の連中は普段通りの生活をしてるんだろ!?」

「そんなのが許されるわけないだろ!!」


ジュエルドはその言葉に顔を顰める。

それが本当に民衆の本音だとは信じたくなかったが、街の人々がそれを感じていることは確かだった。


「俺のせいだ…」


ジュエルドは呟くように思った。自分の無能さが、こうした状況を作り出している。

『何がいけなかった?』

『どこで選択を間違えた?』

答えの返って来ない自問自答を繰り返す。

その夜、ジュエルドは決断を下す。


「……ジュベルキン帝国に戦争を仕掛けよう。」


彼は覚悟を決めた。

どんなに国が荒れても、どれほど人々の心が冷めても、国の名誉を取り戻すために、戦争を始めることこそが必要だと、無意識に思い込んでいたのだ。

彼はもう、後戻り出来ない。

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