俺は厳かに会議室に足を踏み入れた。
暗い雰囲気が漂い、重たい空気が場を支配している。
俺の眼前に座っているのは、リーグリス、アリシア、サラの三人。
そして、証拠を握りつぶした教師であるレイモンドもそこに呼ばれていた。
クレアは未だに目を覚ましていない。
あのダンジョンから救い出して以来、彼女は深い眠りの中に閉じ込められているかのようだった。
医師たちは“傷がかなり深く、意識を取り戻すまでどれだけ時間が掛かるのかはわからない”と口を揃えていた。
最初はローズ殿の従者を頼ったが重傷すぎて治療は難しいと言われた。
今はクレアを信じる他ないのだ。
そんな不確かな状況にもかかわらず、俺は心の中で静かに怒りの火を燃やしていた。
クレアに起きたこと、そして、その背後にあるいじめの真実を明らかにするためには、どうしても彼らと向き合わなければならなかった。
「さて、今日は重要な話がある」
俺の声が低く冷たく会議室に響く。
その言葉に反応したリーグリスたちは、一瞬怯えたような顔を見せたが、すぐに平静を装い、嘘を塗り固めるように振る舞い始める。
彼らの態度は予想通りだったが、これ以上のごまかしは許さない。
「今日、君たちをここに呼んだ理由はわかっているだろう。君たちがクレアに対して行ってきた一連のいじめ、そして、その事実を握りつぶそうとした教師もここにいる」
俺はリーグリスたちの方をじっと見つめた。
彼らは目を逸らし、落ち着かない様子で座っていた。
俺が話し続けると、リーグリスは無理やり笑みを作りながら、言い返す。
「そんなのは嘘じゃないですか、殿下?私たちはただ…リーシュン、いえ、クレア殿が自分で転落しただけで、何もしてませんわ!」
アリシアも同調し、サラも同様に首を縦に振る。
彼らの言葉は空虚で、嘘だと見抜けない者はいない。
俺は彼らの無神経さに冷ややかな目を向けた。
「嘘をつくのはやめろ。お前たちのいじめに関する証言は、他の生徒たちから大量に集まっている。クレアの行動が、君たちに対して声を上げる勇気を彼らに与えたんだ。それに、クレアが目を覚ませば全てわかる」
「身内贔屓ですか?」
「面白いことを言うな?お前達の普段の素行を知っていて信じる人間が何処にいるといんだ?」
リーグリスたちはその瞬間、明らかに動揺を隠せなかった。
証言が大量に集まっているという事実を前に、言い逃れができないことをようやく理解したようだった。
だが、それでも彼らは最後の抵抗を試みる。
「そんなの…!嘘に決まってます!他の生徒たちが嘘をついてるんです!クレア殿だって、自分がちょっと目立ちたいだけで、私たちを悪者に仕立て上げようとしたに違いないです!」
リーグリスが声を荒げると、アリシアもすぐに同調した。
「そうよ!私たちは悪くない!彼女が勝手に被害者ぶっているだけ!そもそも、あんな何もできないやつが私たちに文句を言うなんて、滑稽な話だわ!」
「私たちに逆らうなんて、生意気よ!」
サラまでもが怒りの表情で言葉を吐き出した。
彼らの態度は今まで隠されていた本性を完全に曝け出していた。
これまでの冷たい仮面が剥がれ落ち、醜悪な本心が明らかになったのだ。
彼らの罵詈雑言に加え、いじめの事実を握りつぶしたレイモンドまでもが彼らに同調する。
「ええ、彼らの言う通りです。クレア殿下がただの被害妄想で、このような騒動を起こしているに過ぎません。私はこの学校の秩序を守るために行動していたにすぎませんよ」
教師の言葉には冷たい自己保身しかなかった。
彼はクレアの名を出し、彼女が騒ぎを大きくしたとでも言わんばかりの態度であった。
それが俺の限界を超える瞬間だった。
彼は一瞬のうちに剣を抜き、その冷たい刃をレイモンドの首筋にスレスレで当てた。
会議室は一瞬で凍りついたかのように静まり返る。
リーグリスたちもレイモンドも、息を呑んで動けなくなっていた。
「お前たちの言葉に耳を貸す者など、ここにはいない」
俺の声は静かだったが、その静けさには底知れぬ怒りが込められていた。
瞳は鋭く光り、剣を持つ手は微動だにしない。
「クレアを侮辱する発言を繰り返すならば、その命を持って責任を取らせることになるだろう」
教師は震えながら、何も言えずにいた。
リーグリスたちも完全に怯えきっており、立ち上がることすらできなかった。
彼らの顔は蒼白で、まるで地獄の門が開かれたかのように恐怖に染まっていた。
「どんなに足掻こうとも、お前たちの未来は変わらない」
グレアスは一言、冷酷にそう言い放つと、剣を下ろした。
その瞬間、レイモンドはその場に崩れ落ち、リーグリスたちも完全に力を失っていた。
彼らの目にはもはや絶望しか映っていない。
この事件は、ここで終わりだ。
彼らの運命は既に決まっている。
グレアスは冷静にそれを理解していたが、心の奥底にはまだ怒りが渦巻いていた。
しかし、俺はこれ以上感情に流されることなく、悠然とその場を立ち去った。
クレアを守り、彼女の名誉を回復することが今の俺の唯一の使命だった。
いじめ事件はこれで幕を閉じたが、被害者の心に残る傷はまだ癒えることはない。
「クレア……」
お前が目覚めてくれれば、俺はそれでいい。
────────────────────────
グレアスはクレアの病室に足を運んだのは、これで何度目になるだろうか。
彼女が意識を取り戻すその瞬間を、彼はひそかに心待ちにしていた。
クレアはダンジョンでの戦いの後、辛うじて命を取り留めたものの、深い眠りに閉ざされていた。
彼女が目覚める日がいつ来るのかは誰にも分からなかったが、グレアスは毎日のように彼女の病室を訪れ、ただ傍にいることしかできなかった。
病室は静かで、淡い光が差し込んでいた。
クレアの寝顔は穏やかで、その表情には痛みや苦しみが感じられない。
しかし、彼女の体はまだ完全に回復しておらず、肌に残る怪我の跡が彼女がどれだけの苦境を乗り越えてきたのかを物語っていた。
「君がいない間、色々なことがあったぞ」
グレアスは独り言のように呟いた。
リーグリスたちの処罰は済み、いじめ事件は終息を迎えた。
だが、彼の心の中には未だ消えない疑問があった。
クレアが何故、あのような無茶をしたのか。
何故、自分に頼らず、あの危険な道を独りで進もうとしたのか。
それを知りたかった。
彼はふと、部屋の隅で眠り続ける子犬を見た。
子犬は、クレアを守るために力を使い果たし、その後ずっと目を覚ましていなかった。
クレアも彼も、この小さな命を救うために、どれほどの苦労をしたか知っている。
だが、子犬もまた、目覚める日は遠いようだった。
時間が経つのを忘れるように、グレアスは静かにクレアの寝顔を見つめていた。
しかし、彼はそろそろ立ち去るべき時間が来たことに気づいた。
まだ彼にできることはないのだ。
心の中で寂しさを感じながらも、グレアスは静かに立ち上がった。
「また明日来る、クレア。ゆっくり休んでくれ」
彼はそう言って病室の扉に手をかけた。その時だった。
「グレ、アス…様……?」
かすかな声が彼の耳に届いた。
驚いて振り返ると、クレアが薄く目を開けて彼を見つめていた。
彼女の声はまだ弱々しいが、確かに彼の名前を呼んでいた。
「クレア…!目が覚めたのか!」
グレアスは駆け寄り、クレアの手をそっと握った。
彼女はまだぼんやりとしている様子だったが、少しずつ状況を理解し始めているようだった。
「…どこでしょうか…?ここは…」
「病院だ。ダンジョンでのあの事故の後、君はずっと眠っていたんだ。けれど、今はもう安全だ。心配しなくていい」
グレアスは優しい声で説明しながら、彼女の手を軽く握り返す。
クレアは少しずつ力を取り戻しながら、彼の言葉に耳を傾けていた。
彼女の目にはまだ疲れが残っていたが、意識を取り戻したことに彼は安堵を感じた。
「そう…私、無事だったんですね…」
クレアは小さく笑った。
その笑顔を見た瞬間、グレアスの心は一瞬で軽くなったような気がした。
彼女が生きていることを実感出来た。
それだけで、彼の心の中にあった重圧は一気に解けていった。
それから数日が経ち、クレアの体調は驚くべき速度で回復していった。
まだ無理はできないものの、少しずつ話せるようになり、食事も取れるようになっていた。
グレアスは毎日彼女を見舞い、彼女の元気な姿を目にするたびに安堵していた。
だが、そんな彼の心の中にはまだひとつ、消えない疑問が残っていた。
それは、クレアがなぜあれほどまでに無茶をしたのか、そして彼に頼らずにすべてを一人で抱え込もうとしたのかということだった。
ある日の夕方、グレアスは病室で再びクレアを訪ねていた。
彼女の回復が順調であることを確認した後、彼は少し真剣な表情でクレアに話しかけた。
「クレア、説教の時間だ」
「うげっ」
クレアはその言葉に顔を歪めるが、グレアスの真剣な表情を見て、静かに頷いた。
「君は、なぜあんなに無茶をしたんだ!俺に相談してくれれば、もっと安全な方法で助けられたかもしれないのに……!何故、君は自分の命を捨てるような行動を取ったん!」
「ご、ごめんなさい……」
「君にずっと聞きそびれていたことがある」
「なんでしょうか?」
「クレア。お前の魔法はなんだ?もし、戦闘に向いているのであれば、私がkお前を鍛える」
グレアスの問いに、クレアはしばらくの間沈黙していた。
彼女の表情は複雑で、何か深い思考に沈んでいるようだった。
そして、やがて彼女はゆっくりと口を開いた。
「私の魔法は戦闘には向いていません。ダンジョンで私を守ってくれたのはあのわんこですから」
「じゃあ、お前の魔法は……」
「(そろそろ話すべきだよね……)」
グレアスはその言葉を聞いて身を乗り出した。
彼の心の中で、クレアが何か重大な秘密を抱えていることを感じ取っていた。
「自分の魔法について、私はまだ誰にも話したことはありません。ですが、今なら、あなたなら話してもいいと思います。グレアス様、私の魔法は…“輪廻転生”です」
グレアスはその言葉を聞いて驚いたように彼女を見つめた。
輪廻転生——それはただの伝説であり、ほとんどの人が信じていない、古い神話のようなものだった。
しかし、クレアは真剣な顔で続けた。
「私はこれまでに、何度も何度も生まれ変わってきました。いくつもの人生を経験して、いろんな世界を見てきました。だから、普通の貴族令嬢が持つような知識以上のことを知っていますし、戦いのことも、魔法のことも、そして…不幸についても」
クレアの目には、長い年月を生き続けてきた者だけが持つような重みが宿っていた。
彼女が語る言葉には真実があり、彼女の過去がどれだけ壮絶なものだったかが、グレアスにも伝わってきた。
「そうか…それで、お前はあんなに冷静で、そして、時折自分の命を軽んじるような行動を取っていたんだな」
グレアスは納得の表情を浮かべた。
クレアがなぜ、あれほどまでに強く、そして時に危険な賭けに出ることができたのか、その理由がようやく理解できた。
「君がこれまでどんな経験をしてきたか、私には完全には理解できないかもしれない。でも、それでも俺は…」
グレアスは一瞬、言葉を選ぶように黙ったが、やがて彼女の目を真っ直ぐに見つめながら続けた。
「それでも俺は、どんな君でも好きだ。君が“輪廻転生”の力を持っていようが、どんなに不思議な力を持っていようが、俺の気持ちは変わらない」
その言葉に、クレアは驚いたように目を見開いた。
彼女は今まで自分の秘密を誰にも話してこなかった。
それを知った時、グレアスがどう反応するのか、彼女は密かに不安を抱いていた。しかし、彼の言葉はその不安を一瞬で吹き飛ばした。
「私が、怖くないんですか…?」
クレアは恐る恐る尋ねた。
しかし、グレアスは微笑みながら首を横に振った。
「全然怖くない。むしろ、君という人をもっと知りたくなった」
彼の言葉は真っ直ぐで、揺るぎない信念に満ちていた。
クレアはその真摯な眼差しに引き込まれるように、彼の顔を見つめた。二人の距離は徐々に近づいていき、唇が触れ合いそうな瞬間——
「クレア様!お見舞いに来ました!」
突然、病室の扉が勢いよく開かれ、ローズが明るい声で飛び込んできた。
クレアは驚いて顔を真っ赤にし、グレアスを突き飛ばした。
「ロ、ローズ様!? な、なにを…!」
クレアは慌てた様子でベッドの上で、ローズを迎えた。
グレアスは不意を突かれたものの、苦笑いを浮かべながら立ち上がり、さりげなく体勢を整えた。
「お見舞いに来てくれてありがとうございます、ローズ様。私は大丈夫ですから…」
クレアは顔を赤らめながらも、友人の来訪に感謝を伝えた。
グレアスはその様子を見守りつつも、心の中で次の機会を狙うことを密かに決めていた。