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第23話 王子降臨


わんこに導かれながら、私は足を引きずってダンジョンを進んでいた。

深い闇と重い空気が漂う中、何度か道に迷いかけたが、わんこが私を守ってくれるおかげでここまで無事に来られた。

しかし、道中で遭遇したモンスターたちとの戦闘は容赦なかった。


「本当に、大丈夫なのかな…」


自分の呟きに答えるものは何もない。

わんこも、モンスターとの戦いで少し疲れているように見える。

彼はこれまで幾度となく私を守ってくれたが、そのたびに私は傷を負い、体力を消耗していった。

傷だらけの身体は重く、痛みが全身を駆け巡る。

もう右腕の感覚はほとんどないし、足首も痛みすぎて逆に痛くなくなってきている。

かなりマズいと自分でも思っている。

それでも、ここで立ち止まるわけにはいかなかった。


「わんこ、まだ進める…?」


私は彼の姿を見つめる。彼は私に一度振り返り、大きな目で静かに頷いたような気がした。

私たちは再び前に進むが、わんこの足取りも徐々に重くなっていることがわかる。

彼もまた、疲労の限界に近づいている。

かなり深くに落ちたんだな……

もう少し下だったら私の命はなかっただろう。

ファサッと、カツラも落ちる。

変装もほぼ解けている。

こんな状態で見つかったらグレアス様にバレちゃうなぁ……

出口は遠くないはずだ。

あの吹き抜けから落下した時点で、ダンジョンの構造上、上層に戻るには複雑な道を通らなければならないことは理解しているが、わんこの案内があればなんとかなるという希望を胸に進んでいた。

しかし、事態は次第に悪化していった。

モンスターの襲撃がさらに激しさを増し、わんこも全力で私を守ろうとしてくれたが、彼一匹では限界がある。

何度か彼がモンスターを撃退してくれたものの、その都度、私は何かしらの攻撃を受け、さらに傷が増えていく。

くっ…これ以上、耐えられないかもしれない…

心の中でそう呟きながらも、必死に歩みを止めないように意識を保っていた。

しかし、目の前に立ちふさがった巨大なモンスターを前に、フェンリルの体力も限界に達していたのが明らかだった。

わんこが私の前に立ちはだかり、低く唸り声を上げた。

彼の銀色の毛並みが逆立ち、体全体から強大な気配を放っている。

対峙しているのは、教科書で見たことのある巨大なリザード。

長い尻尾が地面を叩き、鋭い爪を光らせている。

その目は血走り、今にも私たちに飛びかかろうとしていた。


「わんこ…頼んだよ…」


私は弱々しく呟いた。

足に力が入らず、その場にへたり込んでしまう。

けれど、わんこは一歩も引かず、むしろその牙をむき出しにしながら、モンスターに威嚇の姿勢を取っていた。

リザードが動いたのは、まさに一瞬だった。

鋭い爪が空を切り、わんこに向かって猛スピードで迫ってくる。

だが、わんこは素早くその爪をかわし、地面を蹴って横に跳ぶ。

リザードの爪は地面に突き刺さり、轟音が響き渡った。

大きな爪が地面に深く食い込み、岩肌が砕け散る。


「すごい…」


わんこは素早くリザードの側面に回り込み、次の瞬間には反撃に転じていた。

鋭い牙が光り、モンスターの足元に食らいつく。

銀色の閃光が走り、リザードの硬い鱗に深い傷をつけた。

リザードは痛みに叫び声を上げ、体を激しく揺らしてフェンリルを振り払おうとするが、わんこはがっちりと食らいつき、離れようとしない。

その勇敢さに私は目を見張った。

わんこは私のために、命がけで戦ってくれているのだ。

しかし、リザードはその圧倒的な力でわんこを地面に叩きつけた。

彼の体が宙に舞い、ゴロゴロと転がる音が耳に届く。

わんこはすぐに立ち上がろうとするが、その体には明らかにダメージが蓄積されていた。

彼の呼吸が荒く、歩みも少しずつ重くなっている。

ここまで私を守り続けてきたのだ。

疲労が溜まっていないわけがない。

リザードは再び攻撃を仕掛けてきた。

今度はその尾を振り上げ、わんこを叩き潰そうとする。

わんこはまたもやその攻撃をかわそうとするが、今度は避けきれず、尾の先端が彼の体に直撃した。


「わんこ!」

私は叫んだが、何もできない。

わんこは力なく地面に倒れ込み、震えるように呼吸を繰り返していた。

彼が立ち上がろうと努力している姿が、痛々しくて胸が締め付けられる。

わんこは、最後の力を振り絞って立ち上がった。

彼の銀色の毛は血に染まり、その輝きは失われかけていた。

それでも、彼は私を守ろうとして、再びリザードに向かって走り出す。

しかし、体が限界だったのだろう。

フェンリルの足元がふらつき、その瞬間、彼の体が縮み始めた。


「わんこ…?」


驚きと共に私はその場で凍りついた。

わんこの巨大な姿が、見る見るうちに子犬ほどのサイズにまで縮んでいく。

魔力を使い果たし、彼はもう、戦う力を失ってしまったのだ。


「え…?」


その瞬間、私の目の前で力強く雄々しかったわんこが、子犬ほどの大きさにまで変わってしまった。

まるで、これまでの激闘で彼の魔力が限界に達し、もう力を保てなくなったかのように。


「わんこ…?」


私は震える手で彼を見つめる。

彼は弱々しく鳴き声を上げ、足元に力なく倒れ込んだ。

もう、彼には戦う力が残されていない。

それを理解した瞬間、背筋に冷たい恐怖が走った。


「こんな時に…!」


わんこが力を使い果たした。

しかし、いまだにリザードが、私たちの前に立ちはだかっていた。

わんこが今の状態では戦えないことを理解した私は、心の底から恐怖を感じた。


「もう、無理かもしれない…」


その言葉が頭をよぎった瞬間、私は静かに目を閉じた。

逃げることも戦うこともできない。

これ以上、わんこに無理をさせるわけにはいかない。

私は、ここで終わるのだろう。


「ごめんね、わんこ…」


わんこを撫でながら、私は死を覚悟した。

次の瞬間、鋭い牙が私に襲いかかるだろう。

そう思って、ぎゅっと目を閉じた。

しかし、その瞬間――


「ギャアアアアア!」


耳をつんざくような、リザードの叫び声が響いた。

私は反射的に目を開けた。


「え…?」


目の前にいたはずのリザードが、地面に崩れ落ちていた。

その巨大な体が、一撃で倒されたかのように、力なく倒れ伏していた。


「何が…?」


頭が混乱している私の前に、一つの影が現れた。

その影が近づいてくるにつれて、私の心臓が激しく鼓動を打ち始めた。


「クレアッッ!!!」


その声――私はその声を忘れるはずがない。

震えるような感覚とともに、私はその影を見つめた。


「…グレアス様?」


目の前に立っていたのは、私の婚約者であるグレアス様だった。

彼は真剣な表情で私を見つめ、すぐに私の方へ駆け寄ってきた。


「無事でよかった…」


彼の言葉に、私は何も答えることができなかった。



────────────────────



俺は冷静を装っていたが、内心はひどく乱れていた。

転落した生徒が誰であれ、ダンジョンでの負傷は常に命に関わる危険がある。

だが、資料に残された手がかりや筆跡が、彼女――クレアだという可能性を指し示したとき、心臓が凍りついた。

自分の婚約者であり、彼が最も守りたいと誓った彼女が、どんな理由でこんな場所にいたのか、それすら分からない状況で。

だが、今は考えている暇はなかった。

まずは彼女を救わなければならない。

剣を抜き、モンスターを倒すと同時にクレアが抱えていた緊張が一気に解けたのだろう、彼女は力を失い、その場に崩れ落ちた。

子犬を抱きしめ、静かに目を閉じた。

気を失った彼女の顔は安らかだったが、その全身は傷だらけで、服は血で染まっている。


「クレア…」


俺は、彼女の名をそっと呼んだ。

しかし、返事はない。

だが、脈はある。

死んではいない。

彼は剣をしまうと、そっとクレアを腕に抱き上げた。

お姫様抱っこのように軽々と持ち上げるが、その彼女の体の軽さが、より彼女の弱さを感じさせた。

普段は芯の強さを見せる彼女が、今は無防備な姿を見せている。


「帰ったら説教だな」


その言葉は誰にも届かず、虚空に消えた。

俺はダンジョンの出口に向かい、静かに歩き出した。

子犬、まだ彼女の腕の中で安らかに眠っていた。

その姿を見て、彼はほっとする。

だが、なぜこんな場所に子犬が……?

今はそんなことよりもくれあだ。

彼女の傷の状態を見れば、すぐにでも治療が必要だ。

傷は深く、モンスターの爪や牙の痕が生々しい。

何故彼女がここにいたのかは後で考えればいい。

今は彼女を安全な場所へ連れ帰ることだけに集中する。


ダンジョンの出口に着いた頃、すでに緊急対応の一部が動き出していた。

教師や護衛が集まり、点呼が行われていた。

その中で、ローズ殿が彼に気づき、目を見開いて駆け寄ってくる。


「クレア様!クレア様、どうして…!」


彼女はその姿を見るなり、涙をこぼしてクレアにすがりついた。

ローズ殿の涙声は感情の奔流となって彼の耳に届いた。


「私が…巻き込んでしまったから…ごめんなさい、ごめんなさい、クレア様…!」


彼女の言葉は断片的で、感情的だった。

俺は静かに首を横に振る。


「ローズ殿、彼女は死んでいない。無事だ」


優しく、しかし確信に満ちた声で言った。

ローズ殿はその言葉に一瞬息を呑み、目を見開いた。


「本当…ですか?本当に…?」

「ああ、彼女はまだ生きている。ただ、すぐに治療が必要だ。安心しろ、このドジ娘のことだ。必ずすぐに元気になる」


その言葉に、ローズ殿は再び涙を流しながらも、今度は安堵の涙で顔を覆った。

彼女は俺の言葉を信じ、頷く。

そして、静かにクレアを見つめた。

心配の色が浮かんでいるが、どこか安心感が漂っている。

全く、俺の知らないところで何を企んでいたのやら。



その時、リーグリスとその取り巻きたちが俺の視界に入った。

彼女たちは、驚愕と不安を隠しきれない表情で近づいてきた。

クレアがどのような立場にあるか、彼女たちは知らなかったに違いない。

しかし、彼女たちの態度には違和感があった。


「わ…私たち、リーシュンさんが転落した時、すぐに助けを呼ぼうと…でも、間に合わなくて…」


リーグリスは涙を浮かべながら、震える声で説明を始めた。

ダウト。

いじめの報告を受けていたし、それにコイツは明らかに動揺している。

まるで被害者ぶっているかのような口調で、彼女は必死に言い訳を並べ立てる。

アリシアとサラもその横で頷き、同じく涙を浮かべていた。

だが、その涙が本物でないことは、俺にとっては明白だった。

虫唾が走る。

あれだけのいじめをしておいて、自分たちを被害者に落とし込めるとでも思っているのだろうか。

俺は鋭い視線を彼女たちに向けた。


「本当に、そうか?」


俺は冷静でありながらも、どこか鋭さが混じった声をあげる。

その一言だけで、リーグリス達の体が硬直するのが分かる。

俺は彼女たちの魂を見透かすかのような視線を送る。


「この私に、リーシュンもとい、クレアの婚約者である私に嘘をつくつもりか?」


その言葉に、彼女たちは明らかに動揺した。

リーグリスが口を開くも、その言葉は震え、まともに話すことができない。

アリシアとサラも同様に、何も言えなくなった。


「後で話を聞かせてもらう。全て、正直にな」


その言葉はまるで命令のように響いたことだろう。

俺はクレアの治療を優先するべく、この場ではそれ以上追及せず、彼女たちを冷たい視線で見下ろしながら、クレアをしっかりと抱きしめてその場を離れた。

俺が悠然と去っていく背中を見つめるリーグリス達は、もはや言葉を失い、ただその場に立ち尽くすしかなかった。

俺は、ここまでのやりとりで何が起こっているのか全てを理解していた。

だが、今はクレアを安全な場所へ連れて行くことが最優先だ。リーグリス達の嘘はすぐに暴かれるだろう。

その時まで、俺は冷静に対処する覚悟ができていた。

クレアの小さな体を抱きしめながら、俺は静かに、しかし確固たる決意を胸に秘めて歩き続けた。

彼女を守り、そして真実を暴くことが、俺の次なる行動だった。


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