剣術の授業が始まる前、私は教室の片隅で自分の剣を確認しながら、胸の中で深呼吸を繰り返していた。
剣術は、この学校で特に注目される授業の一つで、全員がその技術を競い合い、貴族としてのプライドを示す重要な時間だ。
だが、私にとっては、その技術やプライドなど、関係のないものだった。
私はこの場に立つことそのものが、既に計画の一部だったのだから。
「今日も上手くやりますよ〜!」
私がここで達成すべきことはただ一つ。
“ドジな娘”として、いじめやすい印象を、完璧に維持し続けること。
それがこの学校で元々のいじめのターゲットを周囲から守られる唯一の手段だからだ。
私は強くなりたいとは思わないし、剣術でトップに立つ気もない。
ただ、彼女たちの視線の先に立ち続けるための仮面をかぶる。
それだけのこと。
まぁ、私は元々剣術なんて出来ないから殆ど演技じゃないけどね。
剣を手に取り、軽く握りしめる。
手のひらに冷たく感じる金属の感触に、少し緊張が走った。
剣なんて持ったのはほぼ初めてだ。
「おい、今日もこけるんじゃないの?」
背後から冷たい声が聞こえる。
振り返るまでもなく、誰の声か分かっていた。
リーグリスだ。
彼女は私が転入して来てからいつもこうして声をかけ、私のミスを期待している。
だが、それも私の計画の一部だ。
彼女たちが私を見ている限り、私は「失敗して当然」の存在として認識される。
それが狙い。
リーグリスの隣には、いつものようにアリシアとサラもいる。
彼女たちも私のことをからかうのが、楽しいらしい。
うむ、計画通り。
何か新しいことを思いついたような表情で、私をじっと見つめているのがわかった。
「今日こそ、剣をまともに持てるのかな?」
アリシアが嘲笑混じりに言う。
「いや、またこけるに決まってるわ。」
サラが続けて言う。
周囲の生徒たちは、そのやり取りを気にも留めない。
彼女たちが私に嫌がらせをしていることは誰の目にも明らかだが、ローズ様も含め、誰一人として介入しようとはしない。
私を助けるどころか、彼女たちの言動を見て見ぬふりをしている。
これもまた、予想通りの反応だった。
何せ、前のターゲットを誰も庇わなかった結果が今を招いているからだ。
私はその無関心な空気を利用して、計画を進めることができるのだ。
「それじゃ、授業始めるぞ!」
先生の声が響き渡り、私たちは一斉に動きを止めて整列する。
剣術の授業は、まず基本的な構えと動きの確認から始まる。
私はいつも通り、不器用な動きを見せる。
剣が軽く手から滑りそうになるのを抑えるような素振りをし、バランスを崩す。
……正直に言おう。
Hこれは演技などではなく、ほとんど素の状態だ。
「ほら、まただよ。」
リーグリスが冷たく言う。
その声には明らかに楽しさが混じっている。
私がドジな振る舞いをするたびに、彼女たちはそれを嘲笑う。
授業が進むにつれて、私はさらに計画を練っていく。
基本の動きから応用の動作に移るタイミングで、彼女たちは必ず何かを仕掛けてくるだろう。
私が焦ったり、困ったりする様子を楽しむためだ。
私はそれを計算に入れながら、わざとゆっくりとした動作で剣を握る。
「もう、見てられないよ。」
アリシアが大きな声で言った。
「そんなに怖いなら、剣術なんてやめちゃえば?」
サラが冷笑を浮かべて言う。
二人の言葉に、他の生徒たちは何も反応しない。
ただ、視線が一瞬だけこちらに向けられ、すぐに無関心な態度に戻る。
彼女たちが私に何を言おうと、周囲は関与しない。
庇ってしまえば次は自分がターゲットになるとわかっているからだ。
「もっとちゃんとやらないと、教官に怒られるよ?」
アリシアが笑いながら言った。
その言葉に私は、焦った表情を作り出し、剣を握り直す。
それでも、わざと不安定な姿勢を保ち、いつでもミスをする準備を整える。
すると、案の定、次の動作の瞬間に私はわざとバランスを崩して剣を落とす。
カシャンッ、と剣が床に当たって鈍い音を立てる。
「ほらね、やっぱり。」
アリシアがすぐに言う。
「剣すら持てないんだね。どうやって戦うの?」
リーグリスが皮肉たっぷりに笑う。
私は焦った表情を見せながら、すぐに剣を拾い直し、再び構えを取る。
だが、彼女たちの視線は依然として私に向けられたままだ。
先生が近づいてくる。
「もっと集中しろ。剣をしっかり握って、構えを崩さないように。」
彼の言葉に、私はうなずいて再び構え直す。
だが、彼女たちの笑い声は止まらない。
私が先生に注意されるたびに、彼女たちはその状況を楽しんでいるかのように振る舞う。
私はその冷笑を背中に感じながらも、心の中では冷静だった。
授業が進むにつれ、私は何度もバランスを崩し、剣を落としそうになる場面を繰り返す。
先生がそのたびに注意を与え、私はその注意を真剣に受けているふりをするが、内心では全てが計算通りだ。
「まただよ。」
リーグリスが、私がバランスを崩すたびに小さくつぶやく。
「ほんとに下手くそ。」
アリシアが続ける。
彼女たちは、私がわざとミスをするたびに、その瞬間を逃さずに冷やかしの言葉を投げかけてくる。
私はその言葉に表面上は戸惑ったり、恥ずかしそうな表情を見せたりしながらも、内心ではその状況を楽しんでいた。
彼女たちが私に注目し続けていることこそが、私の目的だからだ。
周囲の生徒たちは、見て見ぬふりを続けている。
彼女たちのいじめに対して何も言わず、ただ自分の訓練に集中している。
まるで、私がこの場に存在しないかのように振る舞っているようだった。
そりゃ、いじめのターゲットになりたい人なんて誰1人としていないだろう。
それが私にとっては好都合だった。
彼らが無関心でいる限り、私は自分の計画を進めることができる。
変に庇われ、頓挫するより遥かにマシだ。
授業が終盤に差し掛かると、いじめっ子たちの嫌がらせはさらにエスカレートしていった。
彼女たちは私の近くでわざとらしく動き、私がミスをするように仕向ける。
リーグリスが剣を振りかざすタイミングで、わざと私の足元に剣の刃先を向けてきた。
その瞬間、私は彼女がわざと足元に向かって剣を振り下ろしてくることを察知していた。
予測通りの動きだ。
彼女は普段からこうして、わざと私を転ばせようとするような小さないたずらを繰り返していた。
「ほら、気をつけてね。こけないように!」
リーグリスの声には、冷ややかな笑みが含まれていた。
私はわざとらしく焦った表情を浮かべ、リーグリスの剣が足元をかすめた瞬間、体勢を崩すようにして転ぶ。
剣を手から放して、地面に手をついてしまう。
先生が一瞬こちらに目を向けたが、特に言葉をかけることもなく、他の生徒たちを見渡していた。
「やっぱりね。」
サラが肩をすくめながら言った。
「彼女に剣術なんて無理なんだから。」
「これ以上授業を邪魔するなら、先生に言って追い出してもらわなきゃ。」
アリシアが楽しげにささやいた。
私は膝をついたまま、剣を拾い上げるふりをして、静かに立ち上がった。彼女たちの声はすべて予想の範囲内だった。
彼女たちが私を笑いものにしようとするのも、私がそれに合わせて演じる。
こっち側の方が手玉に取っている感じが出てすごく好きだ。
「大丈夫?転んだみたいだけど、痛くないの?」
リーグリスが、私の肩を軽く叩きながら嘲笑する。
「うん、大丈夫…」
私は小さな声で答え、あえて彼女の目を見ないようにする。
彼女たちが私の反応を楽しむように仕向けるためだ。
こうすることで、彼女たちはますます私に嫌がらせを仕掛けるだろう。
先生が授業の最後の指示を出し、訓練の終了を告げた。
「今日はここまでだ。次の授業では、もっと集中して訓練に取り組むように。特に、基礎がまだ十分でない者は、家での練習を怠らないように。」
先生の声が教室に響く。
その言葉は私に向けられたものではなかったが、アリシアたちはすぐに私を振り返り、皮肉げな笑みを浮かべた。
「基礎がまだ十分でない者…ね。誰のことを言ってるのか、分かるよね?」
アリシアがささやいた。
私はその言葉に反応せず、黙って自分の剣を片付けることに集中した。
彼女たちの言葉は私にとって予測済みであり、今さら何の感情も湧かなかった。
むしろ、彼女たちが私にこれほどの注目を続けていることに、計画が成功していると確信を持てた。
お腹空いたな〜……
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食堂に入ると、賑やかな声と匂いが漂い、誰もがそれぞれのグループで楽しそうに過ごしている。
私はその一角に、いつものように目立たずに座るために向かっていた。
静かに、できるだけ目立たずに、テーブルの端に座ることが私のルールだ。
今日もそのルールを守り、私なりに昼食を楽しむつもりだった。
だが、その計画はすぐに崩れることになる。
私が食堂に入って、ようやく自分の席に着こうとした瞬間、リーグリス、アリシア、サラの三人組が私の姿を発見した。
彼女たちはすぐにこちらに目を向け、わざとらしく楽しげに話し始めた。
その目は、私がどれだけ平静を装おうとしても、私に対しての嫌がらせの意思を隠しきれないほど鋭いものだった。
「おっ、また一人で食事?」
アリシアが、わざとらしく大きな声で言った。
「今日は誰も一緒じゃないの?」
「どうしてそんなに1人なの?」
リーグリスが、微笑みながら言った。
「きっと、何か理由があるんだよね?」
「もしかして、誰も君と一緒にいたくないってこと?」
サラが、楽しそうに言葉を続ける。
私は反応を顔に出さず、冷静にトレイを取り出して、食事を始める準備をする。
リーグリスたちは、私が座るのを見て、わざとらしく笑いながら近づいてきた。
彼女たちの動きは計算されており、私の周囲を取り囲む形で、自然にプレッシャーをかけるようにしている。
「ねえ、そのスープ、ちょっと変じゃない?」
アリシアが、私のスープに指を差して言った。
「昨日のスープとは全然違う味がするよ。」
その指摘に対して、私は静かにスープを一口飲み、“おいしいです。”とだけ答えた。
ここでの昼食は貴族のランクで分けられる。
私はかなり質素に近いものを食べている。
彼女たちの挑発には乗らず、冷静に反応することで、彼女たちの期待を裏切り続ける。彼女たちが私にどんなことを仕掛けてきても、私はその計画に乗らないようにしていた。
「本当においしいの?」
リーグリスが、スープの一部を自分のスプーンでつまみ、“う〜ん、どうかな。”と首を傾げる。
「こんな味、私のは全然違うけど?」
その動作に対して、私は内心で少しの動揺を感じながらも、冷静を保とうと努めた。
リーグリスがわざとらしく私の食事を試してみる行為は、私を意図的に困らせるものであり、私がどのように反応するかを見て楽しむためのものだと知っているからだ。
サラは、私のサラダをちょっと触り、わざとらしく“これ、落ちてるよ”と指摘してきた。
サラダが少しこぼれたが、私はそれに過剰に反応せず、ただ軽く直して、“大丈夫です”と答える。その反応が、彼女たちにとっては予想外だったのか、少し驚いたような表情を見せる。
「そんなに冷静でいるなんて、面白いね。」
アリシアが笑いながら言う。
「もしかして、これが普通の君の態度なの?」
その言葉に対して、私はただ無言で食事を続ける。
彼女たちの言葉に動揺せず、冷静に食事を楽しむ姿を見せることで、彼女たちの挑発に応じない姿勢を貫く。
食堂の中では、私たちのやり取りが他の生徒たちにも聞こえているのかもしれないが、彼らはただ静かに見守るだけで、何も言わない。
昼食の時間が進む中で、アリシアたちはさらに小さな嫌がらせを続けてきた。
彼女たちは、私の食事をわざとこぼしたり、私の目の前で大げさに食事を楽しんだりと、さまざまな方法で私を困らせようとしてくる。
だが、私はそれらの行動に対して冷静に対処し、できるだけ感情を表に出さないようにしていた。
「さあ、もうそろそろお昼も終わりだね。」
アリシアが時計を見ながら言う。
「楽しかったかな?」
その言葉に対しても、私は冷静に微笑みながら“はい、ありがとうございました”と答える。
彼女たちの挑発に対して反応せず、冷静に過ごすことで、彼女たちが私をさらにいじめる動機を削ぐことができると信じているからだ。
無反応というのはやってる側からすれば相当気に食わない。
だから、イジメが加速する。
昼食が終わり、食堂が徐々に静かになっていく中で、私はトレイを片付けながらアリシアたちが最後に私に向かって冷やかしの言葉を投げるのを聞いていた。
彼女たちは、わざとらしく私の食事に関するコメントをしながら、楽しげに去っていった。その姿を見送りながら、私は内心で今日の成功を確認していた。
昼食の時間は終わり、私は教室に向かうために足を進めた。今日もまた、計画通りに進んでいると心の中で確認しながら、冷静に次の授業に備えるのだった。