「───っん、う〜ん……」
私が目を覚ますとそこは知らない天井だった。
「ここは……」
起き上がろうとすると、ガチャンという音と共にベッドに引き戻される。
「何……?」
首を動かして上を見てみれば、両手首が一括りにされ、手枷をされ、ベッドに鎖によって繋がれていた。
「服も違う……!?」
よく見れば、先程までジャージ姿だったというのに、白色のワンピースを着せられていた。
ベッドの端にはスポーツサンダルが置かれており、それに呼応するかのように足元は裸足である。
「足枷はない……」
足は自由にさせてくれているらしい。
とりあえず、状況を察するために上半身で唯一動かせる箇所といっていい、首を動かし、部屋を見る。
明かりは無いが、ゴージャスな感じが伺える。
よく見れば、机の上に私の着ていたジャージや靴下が、その下には靴が置かれていた。
しかも、泥だらけだったはずなのに、洗濯され、綺麗になっている。
よくよく考えれば、私自身も汗臭さはなく、むしろフローラルな香りに包まれていた。
「ふむ……」
どーしよ。
いや、どうしようもなくない!?
これでなんとか出来ると思うの!?
これ、誘拐だよね!?
そういえば誰に連れ去られたんだろ……
自分の記憶を辿ってみる。
畑を耕して……ガゼボに行ってそれで……
「グレアス様のお姉様……」
シルフォン様のメイドさんの出してくれた紅茶をガブ飲みして……
そうだった。
ガブ飲みして意識無くなったんだった……
「ええ……?」
私は困惑していた。
何故私がシルフォン様に誘拐れされなければならないのだろうか。
普通に会いにくればいいのではないだろうか。
もしかして知らない間に虎の尾でも踏んでしまったのだろうか。
と、そんなことを考えていると、ドアが開いた。
私は身構える。
そんな私とは裏腹に。
「クレアちゃ〜〜ん!!」
シルフォン様は私に向かって飛び込んできた。
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「静かすぎる」
俺は外からクレアの作業の音が無くなったことに疑問を感じていた。
今朝、クレアは“1日庭づくりします!”と俺に力説していたというのに。
「何かあったのか……?」
いや、何かあったのなら婆やがすぐに来るはずだ。
となると、休憩しているだけか?
あり得る。
クレアはドジだ。
疲れてそのまま昼寝、なんてことがあるかもしれない。
きっとそうだ。
俺は無意識に1つの選択肢を外していた。
───なかなかに奇天烈で狂気を感じる姉上のことを。
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「な、なんですか!?」
現在、私に向かって飛び込んできたシルフォン様に頬擦りをされていた。
「ようやく私のお家に来てくれましたわね!」
「来たというか、連れてこられたって感じなんですけど……」
「歓迎します!いらっしゃい!」
「お邪魔してます。……それで、これ外してくれませんか?」
私はガチャガチャと音を立てて、手枷を示す。
「え?嫌ですけれど?」
「何故!?」
「だって、クレアちゃんは私のものなんだから」
「な、何言ってるんですか!?」
シルフォン様は私の体をねっとりと触ってくる。
「な、なんか手つきがいやらしいんですけどぉ!?」
「だって、いやらしいもの♡」
「語尾にハートついてそうな言い方やめてくださいよ!?」
や、やばい。
この人、めちゃくちゃやばい人だ……!!
シルフォン様はハートの浮かんだ瞳で私を見て、舌舐めずりをした。
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俺がクレアのことを頭から除外して、仕事に精を出していると、ドアがノックされた。
『坊っちゃま!緊急事態でございます!』
「婆やか?入れ」
俺がそう言うと、ドアが開かれ、婆やが入ってくる。
「坊っちゃま!クレア様が屋敷中、どこにもいらっしゃらないのです!」
「なんだと!?」
また勝手に抜け出したのか!?
「失礼します!」
ミーシャが入ってくる。
「どうした?今は取り込み中なのだが……」
「多分、関係があります!というより、犯人です!」
「犯人?」
「ガゼボの机の上にこれが」
ミーシャは一枚の紙を持っていた。
俺はそれを受け取り、目を通す。
「最悪だ……」
俺は頭を抱えてしまった。
「どうなさったのですか?」
「これを読んでみろ」
俺は婆やに紙を差し出す。
「『クレアちゃんは貰っていきますね!シルフォン』……」
婆やも遠い目をしていた。
「え?え?シルフォン様ってそんなにやばい人なんですか?」
何も知らないミーシャが聞いてくる。
「ああ……クレアは姉上の好みのタイプだからな。なおさらマズい」
「好みのタイプって……」
「姉上は男も女もどちらもいける」
「マ、マジっすか……」
ミーシャもマズいと感じたらしく、口調が崩れてしまっている。
「私が行ってくる」
「ですがお仕事が……」
「婚約者の危機に黙って仕事など出来るわけがないだろう?」
「私もお供します」
真面目な表情のミーシャが言ってくる。
「確かに、お前はクレア専属のメイドだな。いいだろう。行くぞ」
俺とミーシャは姉上の邸宅へと向かった。
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「ちょっ、待っ、ダメですって!まだお互いのこと何も知らないじゃないですかぁ!」
私は必死にシルフォン様に呼びかける。
その呼びかけに、眼前まで迫っていたシルフォン様の動きが止まる。
「そうですね!まだ何も知りませんね!知らない状態でやるのはよくないことですね!」
「そういうことじゃないんですけど……」
「では、改めまして。シルフォン・ジュベルキンと申します。歳は……いくつに見えます?」
質問が厄介なおばさんっ!!
ここは実年齢より若く言った方がいいよね……
「に、21歳!」
「……お世辞が必要ですね」
しくじったあああっ!!
「そんなに年相応に見えます?」
しかもドンピシャかい!
「え、ええ!年相応に美しいと言いますか、煌びやかと言いますか!あと、えっと……」
「うふふふ!」
急に笑い出したシルフォン様に私は困惑する。
「ど、どうなさったんです?」
「いえ。あまりに懸命に取り繕うものですから面白くって」
シルフォン様は涙を指で拭いながら言ってくる。
「シルフォン様、クレア様を揶揄うのもその辺にしてください」
「はいはい、わかりましたよ〜」
「か、揶揄ったんですかぁ!?」
「いい反応してくれますからつい!」
シルフォン様はテヘペロをして言ってくる。
「それ、シルフォン様の顔がいいから許されるんですよ?」
「あら、そうなのですか?」
「そうに決まっているじゃないですか」
メイドさんも私に同意してくれる。
「………というか、いつまで私に馬乗りになってるんですか?」
「あなたを美味しくいただくまでですよ?」
「え?」
「え?」
「冗談ですよね?」
「そんなわけないじゃないですか」
目がマジだということを悟った瞬間、逃げなければならないと感じた。
私は暴れる。
「暴れ馬ですか?そういうのを乗りこなすのもそそりますわ!」
やばい!!
この人何してもそそるじゃん!!
「ちょっ、この鎖頑丈すぎじゃないですか!?」
「特別製ですから」
「そんなのにしないでしてください!!」
ガチャガチャと音を立てるが音が立つだけで、手枷がゆるくなったり、鎖が摩耗したりする気配は一切ない。
え、これマジで食べられるんですけど!?
「それでは……」
シルフォン様が私に手を伸ばしたその時だった。
「姉上、私の婚約者に何をしている」
酷く冷たい声が響いた。
その声に、シルフォン様は動きを止める。
「グレアス君、来たんですね?」
「ああ。招待状をいただいたんでな」
グレアス様は紙を投げてそう言ってくる。
「じゃあ、そこで見ててくださいね!あなたの婚約者が抵抗出来ずに私に寝取られる姿を」
そう言ってシルフォン様は私に迫る。
ちょいちょいちょいちょい!!
暴れるが脱出出来る気配がない。
やばい。
本当にやばい。
このままでは私の初めてが何もかも奪われるっ!!
そんな時だった。
私に迫っていたシルフォン様が壁に向かって吹き飛んだ。
「へ?」
「姉上。調子に乗りすぎだ。この私がみすみす婚約者を寝取られるわけがないだろう」
宙に浮いたグレアス様がそう言った。
「え?な、なんで宙に浮いてるんですか……?」
「言っていなかったか?私の魔法は“空中浮遊”だ」
ゆったりと地面に降り立ちながら説明をしてくれる。
「悪いクレア。遅くなってしまったな」
「い、いえ……」
手枷を外すために顔が近づき、思わず頬を赤らめる。
「ミーシャ。クレアを頼む」
「はい。お任せを」
ミーシャは私の元に駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?クレア様」
「は、はい……」
「手首を少し痛めているようですね」
ミーシャは救急箱を取り出し、消毒と包帯を巻いてくれる。
「ありがとうございます」
「無事でよかったです……」
ミーシャは私に縋り付くように言ってくる。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ?」
「いやいや、めちゃくちゃ心配しましたし、グレアス様も相当心配していましたし、お怒りでしたよ」
苦笑まじりに言ってくる。
「そ、そうですか……」
「なんか嬉しそうですね?」
「へ?い、いや!そんなことないですよ!?私のために怒ってくれるグレアス様がカッコいいとか思ってませんから!」
そこまで言って私は自分の口を抑える。
そして、みるみるうちに顔が暑くなる。
そんな私を見て、ミーシャはニヤニヤとしていた。
私の言葉が聞こえていたらしく、ガタッという音がする。
ふと見れば、グレアス様が椅子にぶつかっていた。
ど、動揺してる……!
グレアス様は咳払いし、シルフォン様に詰め寄る。
「姉上。説明を願おうか?どういう了見で私の婚約者を寝取ろうと言うのだ?」
「普段の敬語はどうしたのです?」
「今の姉上に敬語は不要だ。返答次第では、ただではおかん」
「殺すと言わないのですね?」
腹部を抑えながらシルフォン様が言う。
「それに、蹴りもて加減したでしょう?」
あれで手加減してたの!?
結構えげつない音出てたけど……
「やはり、グレアス君は優しいですね」
「今、私が問題を起こせば、1ヶ月後の婚約発表パーティーに影響が出てしまうからな」
そうなんだ……
「……って、婚約発表パーティー!?しかも1ヶ月後ぉ!?」
思わず立ち上がって言ってしまった。
「ああ。言ってなかっただろうか?」
「私、聞いてないですよ!?」
「ふむ。伝えていなかったか……1ヶ月後に婚約発表パーティーを行う」
「今言ったからって無罪放免になるわけないでしょう」
するとグレアス様は顎に手を当て、少し考える素振りを見せる。
そして、私の方に向き直り。
「なら、謝罪の代わりに私を好きなようにするといい」
「ふぁ!?」
頭がボンと音を立てるんじゃないかと思うほど、顔が熱くなる。
「お前の望みをなんでも叶えてやろう」
グレアス様はそう言って私の頬に触れてくる。
「な、なんでも!?」
「ああ。構わないぞ」
じゃ、じゃあ、あんなことやこんなことも!?
「クレア。お前は案外、むっつりなのだな」
耳元で囁かれて私は恥ずかしさのあまりに気絶した。
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「機嫌を直してはくれないか?」
馬車の中、私はグレアス様にそっぽを向いていた。
私を困らせたんだから、グレアス様も困ればいいわ!
「グレアス様、揶揄いすぎはよくなかったですね」
「ああ。そのようだ……」
グレアス様は頭を抱えていた。
すると、石にでも乗り上げたのか、馬車がガタンと跳ねる。
「うわあっ!」
私はグレアス様の方に転がる。
「クレア!」
グレアス様が抱き寄せてくれる。
「大丈夫か?」
「……っ!!」
ち、近い……!!
顔が近すぎる!!
「どこか痛むのか?」
「だ、大丈夫です……」
思わず視線を逸らしてしまう。
「クレア、揶揄いすぎたのは謝罪する。だから、許してくれないだろうか」
「み、耳元で囁かないでください!」
私は離れようとするが、グレアス様が強く抱きしめているせいで一向に離れることが出来ない。
「クレア。こっちを見てくれないか?」
見れるかあああああっ!!
良すぎる顔が近すぎて死んでしまうわ!!
そんな心のツッコミを口に出すことはない。
「クレア。私は君の可愛い顔が見たいのだが」
「かっ、かわ!?」
思わずバッと、グレアス様の方を見てしまう。
「やっとこっちを見たな」
そう言って柔らかく微笑んでくる。
その顔が美しく、そして、可愛げがあり、思わず声にならない悲鳴をあげる。
「どうした?」
「にゃ、にゃんでもにゃいです!」
噛んでしまった。
「慌てるクレアも可愛いぞ」
グレアス様はそう言って頭を撫でてきた。
限界を迎えた私は再び気絶した。
──────────────────────────────
「やりすぎてしまっただろうか」
「ええ。とても」
クレアが気絶した後、ミーシャに聞くと頷かれる。
「クレア様はとても繊細で可愛らしい方なのでもう少し手加減というものを覚えた方が良いかと思いますよ」
ミーシャは膝の上で眠るクレアの頭を撫でながらそう言う。
「そういうものなのか……」
恋とは難しいものだ。