『私がお前と出会ったのは11年前のことだった。その当時、私はロレアス王国に来訪していた』
「なかなかいいところではないか」
俺が馬車の中から街の情景を見ながら婆やに呟く。
「そうですね。ジュベルキン帝国に引けを取りません」
「もっとジュベルキン帝国を発展させたいものだな」
『私はそれからロレアス王国を見て回った。それは特に問題は起きなかった。だが、問題は帰りに起きた』
「ふむ…雨が強いな……」
「この先は崖崩れが起きやすいですから不安ですね……」
婆やの表情が曇っていた。
俺が声を掛けようとしたその時だった。
馬車が大きく揺れ、ドアが開き、体が投げ出された。
「坊っちゃま!!」
婆やの焦った表情が目に入り、俺はそのまま転落していった。
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「そんなことがあったんですね……」
「ああ。これがその時の傷跡だ」
グレアス様が服を脱ぐと左肩に大きな切り傷のようなものがあった。
「酷い……」
私はその傷跡に触れて呟く。
ハッと我に返り、手を離す。
「す、すす、すみません!勝手に触ってしまって!」
「いや、構わない。この傷が特別痛むわけでもないからな」
グレアス様は服を着てそう言ってくださる。
それにしても、あの傷の位置、どこかで見たような……
「では、続きを話すとするか」
「はい。お願いします!」
グレアス様は再び語り始めた。
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『崖から転落した私は崖下で動けないでいた』
「ぐっ……」
左肩を見れば、出血が酷い。
他にも、小さな傷がある。
擦り傷、切り傷、打撲。
それに右足が動かない。
骨が折れている感じがする。
動けそうもないし、助けが来るまで待つしかないか……
だが、この大雨の中での捜索は時間がかかるだろう。
見つけてくれるまで生きていられるだろうか。
『私が生きることを諦めかけていた時に、お前が現れた』
「大丈夫!?」
目の前の少女は傘を投げ出し、俺に駆け寄る。
「ちょっと見せて」
少女は俺の服を捲り、傷を見ていく。
「持ち合わせでなんとか出来そうだからちょっと我慢してね」
少女は傘を俺の上に固定し、応急処置をした。
「これでよし!」
すると婆やの声が聞こえる。
「坊っちゃま〜!!坊っちゃま〜!!」
「お迎えが来たみたい!じゃあね!」
少女は足早に去っていった。
「坊っちゃま!無事ですか!?」
「あ、ああ……」
婆やは俺の姿を見て驚く。
「処置が完璧です……どうやって?」
「私と同じか、年下の通りすがりの少女がやってくれた」
「その方はどこに?」
「婆やの声を聞いて去っていった」
「そうですか……では、お名前は?」
「聞く間も無かった……」
「名も名乗らずに人助けとは……随分とお人好しなのでしょうね」
「そう、かもな……」
安心して緊張の糸が切れたらしく、俺の意識は沈んでいった。
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「……………………」
そうだった〜っ!!!
完全に記憶から消えていた……
っていうかあの時の子がグレアス様だったの!?
「思い出したようだな」
「は、はい……忘れててすみません……」
私は縮こまりながら、グレアス様に謝罪する。
「いや、別に構わない。数日一緒に過ごしてよくわかった。人助けはお前にとって自然で気に留める必要のないことなのだな」
「は、はい……」
「それにしても、なぜあの時お前はあそこに居たのだ?」
「それは……」
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『11年前のあの日、私は屋敷を抜け出して薬草を探すために一人森へと足を運んでいました』
「結構取れたかな!」
これならいっぱい薬を作れる!
その時、突然の大雨に見舞われました。
「今日は1日中晴れだと思ったのに!」
後にも先にもその日だけ、私の中での天気予報が外れた。
「早く帰らないと」
念の為に傘を持ってきていて正解だった。
『傘を差して、家に帰ろうとした時だったんです。私があなたを見つけたのは』
「大丈夫!?」
私は傘を投げ出して少年に駆け寄る。
「ちょっと見せて」
私は少年の服を捲り、傷を見ていく。
左肩の傷がかなり深い……
それに……
右足を軽く触る。
骨折してる……
今手元にある材料でなんとか出来る?
私は自分のカゴの薬草を見る。
これとあれの組み合わせで塗り薬が出来る。
骨折以外の部分はそれで大丈夫だろう。
怪我した時用の包帯は持ってきている。
あとは添木があれば……
私は周囲を見回す。
あった!
あの大きさなら添木として文句なしだ。
「持ち合わせでなんとか出来そうだからちょっと我慢してね」
私はすぐさま調合を開始する。
薬草をすりつぶし、よく混ぜ合わせる。
そして、少年の上に傘を差し、完成した塗り薬を体に塗り、その上を包帯や絆創膏で覆う。
更に、右足に添木を置き、包帯で巻きつけて固定した。
「これでよし!」
全ての処置が完了すると。
「坊っちゃま〜!!坊っちゃま〜!!」
少年を呼ぶ声がした。
これ以上ここに居てはマズいことになりそうだ。
私はそう踏んで、去った。
「お迎えが来たみたい!じゃあね!」
結局そのあと、抜け出したことを怒られ、その上風邪も引いた。
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「というわけでして……」
「昔からお転婆なのは変わらないのだな」
「なんですか、それ!バカにしてるんですか!?」
「いいや。そんなことはないぞ?今も昔も変わらず愛おしいと思っただけだ」
「……っ!?」
グレアス様の言葉に思わず顔を真っ赤にする。
「グ、グレアス様は最初から分かってたんですか!?」
「ああ。わかっていた。雨に濡れ、道に座り込んでいるあの時、一眼見て気がついた。あの時、私の命を助けてくれた少女だと」
「だったら、早く言ってくださいよ……」
「誰かさんが覚えていないせいで人違いなのかと思いそうになっていた」
「うぐっ!そ、それは……」
私は目を泳がせる。
グレアス様は顎に手を当てて。
「……二つ不可解なことがある」
「と、言いますと?」
「一つ、お前の天気予報が外れたことだ。お前の天気の予測能力はとんでもなく高い。ここに来て未だに外したことはないだろう?」
「そうですね。ですが、必ず当たるという訳でもなしですし、気にしすぎでは?」
「そうかもな」
「それでもう一つは?」
私が問うと、グレアス様は私に顔を近づけてきて。
「なぜ、公爵令嬢であるお前が薬草を探しに一人で森に足を運んだのか、だな」
めちゃくちゃ怪しまれてる!?
「れ、令嬢が薬草を探しに行ってはおかしいでしょうか……?」
「まぁ、実家が薬師なら理解できないこともない。だが、お前は違うだろう。ただの公爵家だ。王子の婚約者だからといって威張っているだけで、特に何の成果も出していない名ばかり貴族だとな」
「し、調べたんですか……」
グレアス様は済ました顔で。
「当たり前だ。そもそも素晴らしいお前を捨てている時点で、無能だろうと見当はついていたがな」
「辛辣っ!」
「なんだ?もう少し手加減して言った方がよかったか?」
「別にそういうわけではないですけど……」
特にあの家に未練があるわけではない。
控えめに言ってクズだ。
そんなものに未練はない。
「なら、問題ないな」
「そんな、無茶苦茶な!」
するとグレアス様に抱き寄せられる。
「お前は何も心配しなくていい。ここで望むままに自由に元気に過ごしてくれればそれで」
グレアス様は暖かかった。
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二日後。
「庭づくりしますか!」
自家製の黄色のジャージに身を包み、頂いた庭にやって来ていた。
ちなみにミーシャは今日も今日とて研修である。
まずは畑でも作るとしよう。
鍬を手に取り、土を耕し始める。
「うん…っ!んっ……っ!はっ…ん!やあっ…!!」
あまり得意ではない力仕事だが、頑張らないと!
そう思って耕していると。
「おい、クレア」
「ひゃい!」
グレアス様に背後から声を掛けられ、驚く。
「そんなに驚く必要はないと思うのだが?」
「す、すみません……」
「そこはいいとしよう。だが、さっきから発している不可解な声はなんだ?」
「土を耕そうと思いまして……」
グレアス様は手で目を抑えた。
「確かに“自由に元気に過ごせばいい”と言ったのは俺だが……」
「一人称崩れてますよ?」
「私としたことが……」
「いくら何でも動揺しすぎじゃありませんか?そんなに今の声が」
「ダメだ。卑猥だ。卑猥すぎる」
「即答!?」
グレアス様が食い気味に言ってくる。
「そのせいで仕事に集中出来ない者が大勢いる」
周囲を見れば、私を見てそわそわしている執事や騎士がいる。
「す、すみません……」
すると耳元でグレアス様が。
「言っておくが私もその一人だ。誘っているのか?だとしたらお盛んな令嬢だな」
「なっ……!?」
その言葉に顔を真っ赤にする。
「私も男だ。お前がいいと言うのなら、今すぐにでも食べてしまうが?」
「い、良いわけないじゃないですか!?」
「だったら、もう少し声を抑えるなりなんなりしてくれ。そうでないと、俺が持ちそうにない」
「ひゃ、ひゃい……」
グレアス様が頬に触れながら言って、踵を返して去っていった。
私はその場に崩れ落ち、しばらく動けなかった。
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それから、なんとか持ち直し、頑張って声を抑えてなんとか耕すことに成功した。
「ふぅ……」
力仕事もなかなか疲れる……
私はしゃがみ込み、土に触れてみる。
「ふむふむ……」
この庭の土壌調査を含めて耕してみたけど……
しっかりとふかふかであり、野菜が育ちそうだ。
「これなら出来る!」
野菜は何を植えようかな〜!
休憩がてら、ガゼボの椅子に腰掛けていた。
「それにしても暑いな〜……」
私がボソッと呟くと。
「そうですわね」
気がつけば目の前にドレスを来た女性がいた。
「うぇ!?」
あまりに突然すぎて、椅子から転がり落ちる。
「あら?そんなに驚かなくてもいいのに」
そう言って女性は手を差し伸べてくれる。
その手を取ろうとして気づいた。
「い、今汚いので触らない方が……」
「そんなもの気にしませんわ」
女性は私の手を掴み、立ち上がらせてくれる。
「あ、ありがとうございます……」
というか、この人誰なんだろう?
初めて見る……
「そういえば、名乗っていませんでしたわね」
女性は自らのドレスの端を摘み、カーテシーの体勢を取って名乗る。
「初めまして。私はシルフォン・ジュベルキンと申します」
「ジュベルキンって……お、王家の方!?」
「ええ。グレアスの姉ですわ!」
「グ、グレアス様のお姉様!?」
ってことは私の義理の姉になるかもしれない人!?
「まぁ、お座りなさって」
「は、はい……」
というかこんなジャージ姿で良いのだろうか……
「その服はなんですの?見たことがございませんわ!」
失礼とかではなく、興味津々らしい。
「ジャージというもので、動きやすいんですよ」
「じゃーじ……私にも一着頂けます?」
「構いませんが……色はいかがしましょう?」
「そうですわね……桃色がいいですわ!」
「わかりました!」
よかった……
特段怒られるとかそういうのはなくて……
そんなことを思っていると、メイドさんから紅茶が出される。
「どうぞ」
「ありがとうございます!」
「作業の後は喉がお渇きになるでしょう?貴族としての作法など気にせず、好きなだけ、ガブガブとお飲みくださいな」
シルフォン様からありがたいことを言って頂き、私はその紅茶を疑いもせずに一気飲みした。
「ぷはーっ!おかわりください!」
「はい。ただいま」
メイドさんはおかわりを淹れてくれる。
そして、それも一気飲みする。
さらにおかわりを続け、4杯目を飲み干した時だった。
「……?なんか…眠たく……なって…来ちゃいました……」
「眠ってもいいのですよ」
「そう、ですか……」
まどろみ始めた私にシルフォン様は優しく声を掛けてくれる。
その言葉に甘え、私は瞼を閉じる。
そんな私が最後に見たのは私を見て、歪んだ笑みを浮かべているシルォン様だった。