「だ、大丈夫です……」
私は顔を真っ赤にしてそう返事をする。
「はっはっは!随分とおてんばな令嬢だ!」
「うぅ……」
恥ずかしすぎるっ!!
「全く……」
グレアス様は呆れたようにそう言って手を差し出してくる。
「あ、ありがとうございます……」
私は恥ずかしさに耐えながら、その手を取った。
「では、行くぞ」
「はい……」
グレアス様に手を引かれながら、私は城を後にした。
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城を出て、馬車に揺られること40分。
「着いたぞ」
私が馬車から降りると、そこには城までとはいかないが、公爵令嬢だった私の実家よりも遥かに大きい。
丁寧に手入れされた庭には噴水があり、美しい花々が咲き誇っている。
「すごい……」
「そうなのか?」
「ええ!私の実家よりも遥かにすごいですよ!」
「ふむ。これは私の力ではないから褒められてもあまり嬉しくはないな……」
グレアス様は顎に手を当て、少し複雑そうな表情を浮かべる。
「す、すいません……」
「いや、問題ない。これから私を知っていって貰えればそれでいい」
そう言って、スタスタと歩いて行く。
私もそれについていった。
グレアス様が玄関の扉を開くと、執事とメイドが奇麗に整列し、グレアス様の姿が見えると頭を深く下げて。
「「「お帰りなさいませ、グレアス様」」」
そんな圧巻の光景に思わず、唖然としてしまう。
「どうかしたのか?」
「帰ってきたらいつもこんな感じなんですか?」
「ああ。違ったのか?」
「少なくとも私の時はこんなことはなかったですね……」
「そうか……これは嫌か?嫌ならやめさせるが」
「そうですね……失礼ながら慣れていないですし、私は頭を下げられるほど有能な人間ではないので……」
「理解した。お前たち、これから出迎えは必要ない。私の婚約者に負担を掛けたくない」
「「「こ、婚約者!?」」」
従者一同は大いに驚いていた。
「何をそんなに驚く」
「し、失礼ながら申させてもらいますと、これまで浮いた話が一つもなかったグレアス様がいきなり婚約者を連れ帰ってくるものですから……」
「差し支えなければ、どこのご令嬢か聞いてもよろしいでしょうか?」
その従者の質問に”どうすればいい”といわんばかりに目配せをしてくる。
それに対し、小さく頷く。
「隣国のロレアス王国王子ジュエルド・ロレアス殿の元婚約者クレア・シークエンスだ」
「りゃ、略奪愛……!?」
「グレアス様!言い方!」
「なんだ?」
「グレアス様の言い方が悪いせいで変な誤解を受けています!」
「誤解……それは申し訳ないな。みな、訂正する。彼女は私が隣国から連れてきた」
「なっ!?」
それも変な誤解を与えかねないですって!
そう言いたかったが、これ以上何を言っても状況が悪化するだけだと判断し、私は口を閉じた。
「では、とりあえずお前の部屋に案内しよう」
グレアス様の言葉に従者たちの表情が曇る。
「あ、あの……」
「ん?どうかしたか?」
「何か言いたいことがあるんじゃないでしょうか?」
私は従者たちに手を向けてそう言ってみる。
「そうなのか?」
グレアス様の言葉に従者たちは頷く。
だが、グレアス様が怖いのか、なかなか言い出せずにいた。
そんな時、私たちと一緒に馬車に乗っていた女性が声を上げた。
「坊っちゃま、申し訳ありません」
「婆や?何故謝る?」
「坊ちゃまがあまりに急に婚約者様を連れてくるものですから、部屋の掃除が完了していません」
「そうなのか?」
そりゃそうか。
普段使わない部屋んて掃除は後回しになるだろう。
ましてや、こんなに大きな屋敷だと尚更だ。
「ふむ……それは困ったな……さすがに未婚の女性をベッドに連れ込むほど私はデリカシーが欠けているわけではないからな……」
グレアス様は手を顎に当て代替案を考えてくれる。
「あの!」
私の声に全員がこちらを向く。
「クレア、どうした?」
「良ければその部屋、見せてくれませんか?」
「構わないが……」
グレアス様は私を見て、少し口角を上げて。
「婆や。クレアを部屋に案内してやってくれ」
「しかし……」
「本人が行きたがっているのだ。私たちに拒否権などないだろう」
グレアス様の言葉に渋々頷き、私を案内してくれる。
「ありがとうございます。えっと……」
「ソフィーでございます。以後、お見知りおきを」
「よろしくお願いします。ソフィーさん!」
「呼び捨てで構いませんのに」
「いえいえ!そういうわけにはいきませんよ!」
「そうですか?気が向いたときにでも呼び捨てにしてくれて結構ですからね?」
「はい!」
「では、こちらがクレア様のお部屋になります」
そうして通された部屋は物置にこそなってはいなかったが、ほこりが溜まり、部屋の隅や照明には蜘蛛の巣が張っていた。
「おうふ……」
ここまで空き家のような状態だとは思っていなかった。
想定を軽く超えてくれる。
「ご覧いただいた通り、この部屋は全く持って掃除が出来ておりませんので別の部屋を……」
ソフィーさんの言葉を無視し、部屋に入っていく。
「クレア様!?洋服が汚れてしまいますよ!?」
ソフィーさんはそう言ってくる。
「では、汚れても問題ない服を持ってきてくれますか?」
「え?」
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「よ~し!やるぞ~!」
汚れてもよい服に着替え、靴を履いていると雑巾がけの時に滑るので足元は裸足だ。
「ク、クレア様?いったい何をなさるおつもりですか?」
「掃除に決まってるじゃないですか!」
「え?」
ソフィーさんは私の言葉が理解できないとばかりの表情を浮かべていた。
「じゃあ頑張りますね!」
「いやいや!お待ちください!何故、クレア様が自ら汚れてまで掃除をなさる必要があるのですか!?掃除は私たち従者のやるべきことです!あなた様は坊ちゃんの婚約者なのですからゆっくりしていてください!」
「そういうわけにもいきませんよ!だって、私が使う部屋んですから!自分で掃除しないと!」
服の袖を捲り、鼻息荒くそう言う。
そんな私の様子を見て、ソフィーさんは困惑していた。
「じゃあ、始めますね!」
私は固まってしまったソフィーさんを放置し、掃除を始めた。
掃除の基本は上からだ。
まず、窓を開け、部屋の隅や照明に救っている蜘蛛の巣を除外していく。
そして、上の方のほこりをはたきを用いて落としていく。
それをだんだんと下の方に下げていく。
次に開いた窓を磨き、サッシや格子も丁寧に拭き上げていく。
ここからはラストスパートである。
手始めに布団を一回部屋の外に出し、ベッドもほかの従者の協力を得て、立て起こし、床を完全に露出させる。
そして、机や椅子などを拭き上げ、あとは全力で雑巾がけをするだけだ。
「おりゃ~~~!!」
そして、部屋の掃除は大まか終わった。
裸足でやっていたことで私の足裏は真っ黒だ。
だが、これで終わりではない。
「次はお布団!」
私は布団を抱え、履物も履かず、裸足のままソフィーさんに教えてもらっていた洗濯場所へと向かった。
「さぁ、やるぞ~!」
私は布団の手洗いを始める。
貴族令嬢だと全く感じさせない格好の私に従者たちは目を丸くする。
私はそんなこと一切気にすることなく手洗いを続ける。
そして、手洗いを終えた後、他の従者についていき、干場へと向かい、布団一式を干した。
「ふぅ~!」
これで一応、部屋の掃除及び布団の選択が終了した。
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掃除を終えた後、ソフィーさんに捕まり、そのままお風呂に入れられた。
「落ち着かない……」
やはり、お風呂ですら王族は格が違う。
1人で入るにはさすがに広すぎる。
公衆浴場ほどのサイズのお風呂場であり、これまた公衆浴場みたく、お風呂も複数ある。
なので、私1人が入るにはさすがに広すぎる。
お風呂は気持ちいいのだが、落ち着かないせいで一向にリラックスできない。
グレアス様は色々と規格外だ。
あと、世間知らずである。
自分以外の基準を知らない。
これは基準というものを私が教えていかなければなるまい。
……私にそれが出来るだろうか。
今の私で本当に大丈夫なのだろうか。
もっと自分を磨かなければ選ぶどころか捨てられるんじゃなかろうか。
そんな不安が頭の中をぐるぐるとし、さらには頭がポワポワしてきた。
「なんか……眠く……」
マズい。
お風呂場で、しかも浴槽に使ったまま寝るのは自殺行為に等しい。
起きなければ。
そう思うが瞼は閉じていく。
長時間の移動と陛下たちとの謁見、部屋の掃除に布団の洗濯。
あれ?オーバーワークじゃね?
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「───っん、う〜ん……」
私が目を覚ませば、ベッドの上だった。
「目が覚めたか」
ベッドの傍を見遣れば、グレアス様が読書をしていた。
そんな彼が、本を閉じて聞いてくる。
「私確か……」
「風呂場で気を失っているところをソフィーが見つけた。全く……心配をかけさせるな」
グレアス様は本で私を軽く小突いてくる。
「す、すみません……」
「まぁ、今日は色々なことがあったし仕方がない」
グレアス様は私の頬に手を当ててくる。
「おてんばもほどほどにしてくれ。でないと、心臓がいくつあっても足りないからな」
グレアス様はそう言って柔らかく微笑んでくる。
「ひゃ、ひゃい……」
頬を赤く染めてそんなふんわりとして返事してしまう。
いやいや、顔近っ!
かっこいいって!
しかも、グレアス様ってそんな表情するんですか!?
普段のクールな感じとのギャップで死んでしまいそうですって!
もうすでに惚れてしまいそうになっている。
いや、むしろもう惚れているのかもしれない。
だが、まだ私はグレアス様のことを知らなさすぎるし、グレアス様も私のことをあまり知らないだろう。
この2年という時間でお互いに深く知っていきたい。
「グレアス様」
私はベッドの上で正座し、グレアス様に向き直る。
「どうかしたか?喉でも乾いたか?」
「あっ、はい」
私の返答を聞き、グレアス様は水を入れて渡してくれる。
「しっかりと飲んでおけ。風呂場で気絶したのだ。脱水症状になっては困るからな」
「はい。もちろんですとも」
私は受け取った水を口に入れる。
水分補給は大事だ。
人間として水分が不足するのはかなりマズい。
体内の水分の2%が失われれば運動能力が低下し、3%になれば強いのどの渇きにぼんやりとする、食欲不振などの症状が現れ、4~5%にもなれば、疲労感に頭痛、めまいなどの脱水症状が現れる。
そして、それらを越え、10%以上になれば死に至ることだってある。
これだけでも体内の水分の役割が大きいものだとわかる。
現在の私は回復しているとはいえ、3%ほどは失われているだろう。
「って、いやいや!そうではなくて!いや、喉も乾いていたんですけど、言いたかったのはそういうことではなくてですね?」
「そうか。では、なんだ?」
「これから私たちは婚約者同士ということじゃないですか?」
「そうだな」
「なので、改めて。これからの2年間、よろしくお願いします」
そう言って、深々と頭を下げた。
「ああ。こちらこそよろしく頼む。2年間といわず一生傍にいてくれてもいいんだぞ?」
「それは……2年間待ってください……」
「勿論だ。もともとそういう約束だったしな。……では、今日は一緒に寝るか?」
「えっ?」
私は少しの間フリーズして。
「えええええええええええええっ!?」
思わず大声を上げる。
「冗談に決まっている。万が一寝たとしても未婚の女性には手を出すつもりなんて毛頭ないので安心するといい」
そう言ってグレアス様はフッと笑った。
「揶揄ったんですか!?」
「ああ。クレアの反応が面白いものでな」
「も~~!」
私は頬をプクリと膨らませてグレアス様に抗議した。
「そう怒るな。揶揄い甲斐のあるクレアが悪い」
「私ですか!?で、でも、別にグレアス様ならいいです………」
頬を赤らめ、グレアス様から視線を逸らしながらそう言った。
こうして2年間の私たちのお試し同棲生活は幕を開けた。