ふと、目が覚める。ここは…どこだろう?視界には何だか豪奢なベッドの天蓋装飾が見える。私は何でここに居るのだろう。ここは自分の家では無い。ベッドの天蓋装飾が自室とは違う…。体を起こす。体が鉛のように重い。部屋には誰も居ない。部屋を見回しても、自室とは違い、その豪奢な様子に戸惑う。えーと、私は何をしていたんだっけ…。思い出そうと試みる。不意に流れ込んで来る記憶…。
そうだ、目の前でフェイロン殿下がイービルを飲んで…そのせいで解毒薬を作らないといけなくなって…せっかく作ったのにフェイロン殿下はそれをリリーに口移しで…。思わず俯く。サラリと落ちて来る自分の髪。その色を見て息を飲む。私の髪色は生まれた時からブラウンだった。ブラウンの髪にブラウンの瞳。だから一人だけ亜麻色の髪に翠眼のリリーが羨ましくて仕方なかった。サラリと落ちて来た髪色は亜麻色。ブラウンだった髪が亜麻色になっている。自分の体を見る。他には変化は無い。重い体を動かしてベッドを出ようと試みる。不意に部屋の扉が開いて誰かが入って来る。
「エリアンナ様!」
そう声を上げたのは一人の男性。見た事の無い人だった。その人は駆け寄って来て私に寄り添う。
「お体は大丈夫ですか?」
そう優しく聞かれて、何故か私は泣きたくなって来る。
「そのままでお待ちください、すぐにリリー様を呼んで来ます。」
その人は私の返事を待たずに部屋を出て行く。リリーが来る。この部屋に。…そうか、私は王宮に居るんだわ。フェイロン様に無理やり婚約を迫った。体内に居た誰とも分からない声に支配され、自分の中の憎悪や恨みの感情を爆発させた…。そうだわ、国王様が亡くなったと聞いた。フィリップ王太子殿下は無事だったのかしら…?私が最後に見た光景、それは眩い光に包まれたリリー。髪色も確か銀色に変わっていた筈…。そう思っていると部屋の扉が開く。
「お姉様!」
リリーの声。リリーは駆け寄って来て、ベッドに半身を起こしている私の所へ来る。
「お体の具合はどうですか?痛いところなどはありませんか?」
そう聞くリリーを見る。リリーは眩いばかりの光に包まれているように見えた。あぁ、これが本物の聖女なんだわ、心からそう思った。
「えぇ、大丈夫よ、体が少し重い気がするけれど。」
何だか自分が恥ずかしくなる。今まで何故、リリーを苛め抜いて来たのか、理由が分からない…いいえ、それは違う。私の中にあった羨ましいとか、ズルイとか、そんな感情が全て憎しみとなってリリーに向いていたんだわ。リリーは少し遠慮がちに私に触れる。
「お姉様さえよろしければ、治癒をしたいのですけど…」
聖女からの治癒…。今までは自分が聖女であったと思い込んでいた私には未知のもの…。
「えぇ、お願いするわ。」
言うとリリーは少し微笑んで頷く。リリーの手から光が溢れ出し、その光が私の体に広がり、光に包まれる。…温かい。こんなにも温かい光なのね。そう思うと涙が出て来る。重かった体が軽くなって行くのが分かる。涙を流しながらも、私は覚悟していた。私はきっと大罪人だ。国王様を亡き者にし、フィリップ王太子殿下を危険にさらし、更にはフェイロン殿下に婚約まで迫り、この王宮に悪しきものを入れたのだから。ふわっとほんの少し風が起こり、光が消える。
「どうですか?お体、少しは良くなりましたか?」
そう聞くリリーは幼い時から変わっていないなと思う。この子はいつも素直で真っ直ぐで、穢れを知らない子だった。
「えぇ、もう大丈夫よ。」
そう言うとリリーは少し嬉しそうに微笑む。こんなに良い子なのに、忌み子だからと私はずっと妹を虐げて来た。その罪は重い。私は恐る恐る聞く。
「倒れてしまってからの事を聞いても?」
聞くとリリーは少し真面目な顔になって頷く。
国王様が亡くなり、その後、フィリップ王太子殿下が戴冠され、国王となられた。フェイロン殿下は第二王子から王弟殿下になり、王妃様は後宮へ入られたのだという。そして語られる、我がモーリス家の闇。
私とリリーが生まれた頃に、西の森の黒魔術師ディヤーヴ・バレドが放たれ、お父様とお母様の体内深くに潜んでいた事、時と共にその影響力を拡大し、白百合乙女であるリリーをモーリス家から排除した事、その後、黒魔術に傾倒する者たちを操り、国家の転覆を狙っていた事、私はその影響で踊らされていた事…。お父様とお母様は屍のようになった状態から回復していないそうだ。
「全ては西の森の黒魔術師ディヤーヴ・バレドの仕業です。」
リリーがそう言う。本当にそうだろうか。私の中にあった悪意を汲み取ったとも考えられる。リリーが優しく私に触れて言う。
「今はお休みください。フィリップ様には私からお話します。」
そう言うリリーはもうかつての憶病なリリーでは無かった。堂々としていて、神々しく感じる。
「エリアンナ嬢が目覚めたか。」
兄上がそう言って少し考え込む。きっと今後の処遇について思いを巡らせているのだろう。
「フェイロン、お前はどう思う?」
聞かれて俺は少し笑う。
「そうですね、確かにエリアンナ嬢は今回の事の首謀者に見える。実際に体内にディヤーヴ・バレドを宿し、この王宮に入って来たのですから。」
あの毒々しい感じは今でも背筋がザワッとする。
「ですが、目覚めたのなら一度会ってみるのが良いと思います。エリアンナ嬢も被害者の一人でもあるのです。そしてリリーならきっと自分の姉を救うように兄上に進言するでしょう。」
そう言うと兄上が笑う。
「あぁ、きっとリリーならそう言うだろうな。心根の優しい子だから。」
そこで表情を引き締めてまた兄上が考える。
「だが、しかし。無罪放免にも出来ないだろう。どうするか…。」
そこでセバスチャンが咳払いする。
「何だ?セバスチャン、言ってみろ。」
兄上が少し笑って言う。セバスチャンが近付いて来て、ヒソヒソ声で言う。
体を横たえる。リリーが部屋を後にして、部屋に残ったのは最初に私に声を掛けて来てあの男性だった。
「お名前をお聞きしても?」
そう聞くとその人は少し微笑んで言う。
「これは失礼致しました。」
その人は私の前でほんの少し会釈しながら言う。
「私の名はウォルター・ディアスと申します。黒い騎士です。」
この王国の中でも最強と名高い黒い騎士様たちの一員なのかと思う。
「私の監視で、ここに?」
聞くとディアス卿は少し笑う。
「いいえ、ここに私が残っているのは私の意志です。」
そう言われて少し驚く。
「あなたの意志…?」
私がそう言うとディアス卿は微笑んで頷く。
「はい、そうです。」
朗らかにそう言い、微笑み、そして今は花なんかを活けている。何だか変わった人だ。私のような罪人に良くしてくれるなんて。
「今はお休みください。私はずっとここにおります。何かあれば何なりと。」
リリーからの治癒を受けたお陰で体は軽い。どこも痛くない。どこも調子の悪い箇所は自分では分からない。
そして。
こんな状況でもお腹は空くのだなと思う。でも私のような者がそれを欲しても良いのだろうか。
「エリアンナ様…」
呼び掛けられてディアス卿を見る。
「よろしければ、お食事をお持ちしましょう。」
私の心の内を読んでいるかのようにそう言う。
「えぇ、お願いしたいです。」
そう言うとディアス卿は微笑んで小さく会釈する。
「かしこまりました。」
「国王陛下、リリー様がお目通りをと。」
セバスチャンが言う。
「ん、入って貰ってくれ。」
そう言うとセバスチャンが頷く。ここはフェイロンと共に執務をこなしている執務室だ。隣にフェイロンも居る。きっとエリアンナ嬢の事だろうと思い、フェイロンを見る。フェイロンも私を見て頷く。部屋にリリーが入って来る。
「フィリップ様。」
リリーはそう言うと丁寧にお辞儀する。そしてフェイロンを見て微笑む。こうして見ているとリリーも成長したのだなと思う。
「どうしたんだい?リリー。」
聞くとリリーが言う。
「お姉様が目を覚ました事はご存知ですよね。」
リリーの表情は硬い。きっと心配しているんだろう。
「あぁ、知っているよ。」
そう言うとリリーがまた聞く。
「お姉様の処遇については、もうお決まりになりましたか?」
そう聞くリリーは少し怯えているようにも見えた。フェイロンが立ち上がり、そんなリリーに寄り添い、肩を抱く。本当にリリーは心根の優しい子だ。あれだけの事があったにも関わらず、少しも姉を恨んでいない。