夜会が始まる。戴冠式後の夜会だ。かなり規模が大きかった。私の横には誰も居ない。少し後ろにソフィアが控えている。
イービルの解毒薬を飲ませて貰った後、飲ませてくれたのがソフィアだと聞き、私は少し嬉しかった。そうか、ソフィアが。そう思った。イービルに侵され、薄れ行く意識の中でソフィアの声だけが頭の中に響いていた。意識を取り戻した後、一番最初に見た顔を覚えている。ソフィアは泣きながら私の顔を見ていて、そんなソフィアの顔を見て、私もホッとしたのだ。美しく愛しい人の顔を見て、あぁ、私はこのままソフィアを傍に置こうと決めたのだ。
リリーとの婚約を解消した後、リリーの為の宮を造ろうと決め、話を進めた。リリーとの婚約解消はずっと前から考えていたものだった。リリーの気持ちを知っていたから。そうするべきだと思っていたし、私との婚約を解消すれば、フェイロンも動きやすいだろう思ったのだ。思った通り、フェイロンは婚約解消後、私の所へ来て、今後の事を聞いて来た。きっと気掛かりだっただろう。私とて、何も考えずに婚約解消した訳では無い。
おそらく、リリーは初めての恋を経験している。私との婚約で足踏みしてしまっていたであろう、その恋を私は全力で応援したいと思っている。相手がフェイロンであるならば、相手にも不足は無い。きっとお似合いの二人だ。戴冠式の間もずっとフェイロンはリリーに寄り添っていた。リリーにはまだ戸惑いが感じられるが、フェイロンはそんなリリーに微笑み、包み込んでいる。これからもそうやってリリーを導いて行くだろう。
婚約解消したすぐ後、私はソフィアにそれを打ち明けた。そして自分の胸の内も打ち明けたのだ。ソフィアは驚いていたし、戸惑ってもいた。けれど、受け入れてくれたのだ。リリーにもちゃんと伝えなければいけないと思っている。
夜会が始まり、続々と貴族が集まって来る。その中でひと際目を引いている二人。それはフェイロンとリリーだ。二人とも揃いの深いターコイズグリーンの服装で、リリーの髪には白百合が飾られている。それを見てクスっと笑う。戴冠式のような国事の時、我々王族は国花である白百合を身に付ける。きっとフェイロンがリリーに渡したのだろう。少し離れた場所から見ても、本当に似合いの二人だ。
私とリリーの婚約解消の話は今や、社交界では噂の的だった。父上が亡くなり、戴冠式までの短い時間で婚約解消の話が出回った。良くない噂をする者たちはいつになっても口さがなく言うものだ。そんな悪い噂がリリーの耳に入らないように苦心した。リリーは心優しく、その無垢さ故に、自身を責めてしまうだろう。ヒソヒソと人々の口に上る噂たち。
リリー様はあの、モーリス家の次女だそうよ?
今回の騒ぎの主犯はモーリス家の御長女だったそうじゃない
何でも国王様の治癒に失敗したんだとか
だからフェイリップ殿下も婚約解消されたのでは?
なのに今度は第二王子殿下とご一緒に居るわ
次から次へと、はしたない…
聞こえて来る噂話にうんざりだった。人は見たいものしか見ない。今回の顛末もきちんと国民には知らしめた筈だった。だからリリーがどれだけ尽力し、私の命を繋いだのか、リリーがモーリス家とは無関係である事や、西の森の黒魔術師ディヤーヴ・バレドとの戦いや、悪意というものに支配された人間の仕業だった事も含めて、包み隠さず公表したというのに。囁かれる【悪意】を見て気分が悪くなる。
「フィリップ国王陛下。」
そう呼ぶ声に我に返る。私を呼んだのはソフィアだ。
「どうされましたか?ご体調、優れませんか?」
ソフィアは美しい金髪を揺らし、澄んだ碧眼で私を見る。その瞳を見ているだけで落ち着いた。
「いや、大丈夫だよ、ソフィア。ありがとう。」
私がそう言うとソフィアが下がろうとする。下がろうとするソフィアに手を伸ばし、言う。
「私の隣へ。」
言うとソフィアは少し恥ずかしそうに、そして遠慮がちに私の隣へ来る。私の隣に立つという事。それは私の伴侶になるという事と共に、この国の王妃になるという事だ。
「背筋を伸ばして、堂々と。君は美しい。」
ソフィアにそう囁く。ソフィアはクスっと笑い、息を吸い込むと、背筋を伸ばす。そうすると彼女は本当に美しかった。
「ソフィア、本当に綺麗…」
兄上の隣に立つソフィアを見て、リリー様がそう言う。そんなリリー様に微笑んでエスコートしているリリー様に耳打ちする。
「確かにソフィアは綺麗です。ですが私にとってはあなたが一番美しく感じます。」
リリー様は驚いて俺を見て、そして頬を染める。あぁ、なんて可愛いのだろう。可憐で純真無垢。全てのものから守りたくなる、そんなお方だ。なのに芯は強く、悪しきものには立ち向かう事の出来る、そんな勇敢な方でもある。
「リリー様。」
すぐ傍にソンブラが来ていた。本当にこの男は神出鬼没だ。この俺でさえ、その気配すら感じなかったのだから。ソンブラは少し微笑んで言う。
「あの、少しお時間よろしいですか?」
そして俺を見て言う。
「フェイロン殿下もご一緒に。」
ソンブラについて歩く。ソンブラは真っ直ぐにフィリップ様の所まで行く。そしてフィリップ様の居る壇上に上がる前に声を潜めて言う。
「フィリップ国王陛下のご様子が少し優れないようです。」
そう言われてフィリップ様を見る。微笑んではいらっしゃるけれど、本当に少しだけ疲れているようにも見える。
「では治癒を…」
そう言い掛けた私をフェイロン様が止める。
「いや、治癒では無く、祝福を。」
そう言われて私は少し戸惑う。
「祝福、ですか?」
聞くとフェイロン様が微笑む。
「そうです、リリー様が白百合乙女様である事を皆に知らしめる良い機会でもあります。祝福が降り注げば、兄上にも効果があります。そして皆に祝福も与えられるのです。」
フェイロン様はきっと私に対する噂話を気にしてくださっているのだろう。何をどう噂されているかは知っている。当然の話だ。私はモーリス家の次女で、今回の首謀者である西の森の黒魔術師ディヤーヴ・バレドに操られていたとはいえ、反逆罪を犯した家門の娘…。しかもその首謀者の毒で前国王様は亡くなったのだから。そして戴冠式の前にはフィリップ様から婚約解消をされた身。なのにそんな私が王宮に留まり、こうしてフェイロン様やソンブラに守られている。それに納得しない人間も居るだろう。たとえ私が白百合乙女だったとしても。不意にフェイロン様が私の頬に触れる。
「リリー様。」
呼ばれて私はフェイロン様を見上げる。
「リリー様は兄上の命を救った人です。そしてこの国も救ってくださった。そういう事実を公表してもなお、口さがない人間たちはリリー様の落ち度を探します。粗探しをするんです。」
フェイロン様の指先が私の頬を撫でる。
「そういう【悪意】にもリリー様の祝福は効果があると思うのです。」
フェイロン様は壇上にいらっしゃるフィリップ様を見る。
「そしてきっと兄上はそういう【悪意】に敏感に反応してしまうのでしょう。」
フィリップ様は高潔で聡明な人だ。でもそれ以上に繊細な人でもある事は私も知っている。
「ですから、今、皆の前に立ち、祝福をするんです。そうすればここに居る誰もがリリー様をそのような目で見なくなります。そしてそれは兄上の懸念事項を打ち消す事にもなります。」
フェイロン様にそう言われて気付く。そうか、フィリップ様は私の事もきちんと考えて下さっているのだと。フェイロン様はソンブラに頷いて見せる。ソンブラもそんなフェイロン様に頷き、壇上のフィリップ様に近付くと何かを耳打ちする。フィリップ様は少し微笑んで頷き、そして私とフェイロン様を見て微笑む。ソンブラが下がるとフィリップ様が立ち上がり、言う。
「皆に白百合乙女からの祝福を!」
フェイロン様に背中を押され、私は壇上へと上がる。人々の目が私に注がれる。
「リリー、いつものように。」
フィリップ様にそう言われて私は微笑む。