「どうした?具合でも悪いのか?」
ソンブラにそう聞かれ苦笑いする。
「いや、大丈夫だ。」
そう言ってソンブラに向き合う。
「殿下の傍に居なくて良いのか?」
聞くとソンブラが少し笑う。
「殿下は今、自室で調べ物をされている。邪魔は出来ないからな。」
調べ物、か。そう思い、今日の事を思い出す。
「そう言えば、今日、エリアンナ嬢に会って来たが。」
ソンブラが俺を見る。
「何かあったか?」
ソンブラに聞かれて俺は指先を見る。
「馬車に乗り込む時に手を貸そうと差し出したんだが…弾かれた。」
ソンブラが立ち上がる。
「弾かれた?」
俺は自身の指先で感じたあの痛みを思い出す。
「あぁ、それほど強い力では無かったが、パチンと反発する感覚があった。」
ソンブラが考え込む。俺と同じ結論に達するだろうと思いながら言う。
「あれが何かは分からない。だが、祝福を頂いている俺の手が弾かれたのなら…」
そこまで言うとソンブラが俺を見て言う。
「そういう事だろうな。」
俺はソンブラに頷いて見せる。
「殿下にお伝えしないと。」
そう言ってソンブラが歩き出し、俺を見る。
「お前も来い。」
殿下のお部屋の前まで来る。ソンブラと顔を見合わせ、ノックする。返事を聞き、扉が開く。セバスチャンが俺たちを迎えてくれる。
「ソンブラ、クラーク卿、二人揃って、どうした?」
殿下は手元の本を閉じて、俺たちを見る。
「お伝えしたい事がございます。」
俺がそう言うと殿下が微笑んで聞く。
「何かな?」
その微笑みを見て、この人は本当に優雅な人なのだと思う。半面、心の中が読みにくい人でもあった。常に微笑み、その微笑みの下では他人には計り知れない程の思案があるのだろう。
「今日、エリアンナ嬢に会って来ました。」
そう切り出すと殿下はデスクの上で肘を立て、両手を口元で組む。
「それで?」
微笑みが消え、その瞳に鋭さが混じる。
「モーリス家へ迎えに行ったのですが、何と言うか、居心地の悪さを感じ、更に馬車に乗り込む際、エリアンナ嬢に手を差し出したのですが、エリアンナ嬢の手が私の手に触れた瞬間、弾かれました。」
そう言うと殿下はほんの少し考えるように視線を下げる。そしてすぐに視線を上げ、言う。
「なるほど…痛みはあったかい?」
聞かれて俺は言う。
「パチンと弾かれただけなので、それ程、痛みを感じませんでした。その後は何も。」
殿下がまた考えるように視線を下げる。ソンブラが言う。
「恐らくは俺が黒魔術にかかった紙に触れた時と同じだと思われます。」
殿下が手を下げデスクにその手を置いて、また聞く。
「その時のエリアンナ嬢は?」
そう聞かれて思い返す。
「弾かれた時に驚いてエリアンナ嬢を見ましたが、彼女も同じように驚いていたと記憶しています。」
殿下が腕を組む。
「なるほど…、その後エリアンナ嬢には触れたかい?」
聞かれて俺は首を振る。
「いいえ。」
殿下が少し息をつく。
「そうか…。」
そう言って立ち上がる。
「エリアンナ嬢は父上の治癒に失敗し、クラーク卿の治癒にも失敗している。そういうタイミングでリリーの祝福を受けている君の手が弾かれたんだ。恐らく私たちの考えている事で間違いは無いだろう。クラーク卿への治癒が失敗し、リリーがクラーク卿に治癒を施した際のエリアンナ嬢の憎悪とも言える表情を私は見ている。そういう意味ではエリアンナ嬢の憎悪の対象はリリーで間違いない。」
殿下がゆっくり歩を進める。
「更にそんな失態を犯した直後でも、クラーク卿に手紙をしたためていた事、その手紙の中で明日の婚約式のエスコートや着て来る衣装の色を揃えたいと言い出した、その厚顔無恥さはちょっと異常だと言って良い。」
殿下が俺たちの前に来る。
「クラーク卿の治癒に失敗した直後に何かあったとみるのが自然だろうな。」
殿下にそう言われて俺は考える。
「そうであればモーリス家に何かがある、と?」
殿下が微笑む。
「うん、私はそう思っているよ。それが何なのかは分からないが、クラーク卿が居心地の悪さを感じたのも関係あるだろうね。」
殿下がソンブラを見る。
「明日は婚約式があり、その後は夜会になる。」
そして殿下は俺を見る。
「二人とも、心して取り掛かってくれ。」
二人が部屋を出て行く。溜息をついてソファーに座る。
「厄介な事になって参りましたね。」
セバスチャンが言う。
「あぁ、そうだな。」
今、報告を受けたところによれば、エリアンナ嬢の手が弾かれた。リリーの祝福を受けているクラーク卿の手と触れ合った瞬間に。それはソンブラが黒魔術のかかった紙に触れた時と同じ反応だろう。だとするならば、エリアンナ嬢の体自体に黒魔術がかかっているのか、それとも彼女自体がそうなのか。それはまだ判断するには材料が少ない。明日にはクラーク卿がエリアンナ嬢をエスコートして夜会にやって来る。あれだけ憎悪の感情を隠す事もしなかったエリアンナ嬢の事だ。当日、何があるかは予測が出来ない。エリアンナ嬢の感情の矛先は間違いなくリリーだろう。そういう意味では我々、王族はそこまで警戒しなくても良いのかもしれない。
だが、万が一、リリーがエリアンナ嬢に狙われるとして…。私たち神聖力という特別な力を持たない人間が太刀打ち出来るのだろうか。リリーを守る事が出来るのだろうか。それともリリー自らの力で自分自身を守る事が可能なのだろうか。
「フィリップ殿下。」
セバスチャンに声を掛けられ、セバスチャンを見る。
「もう今日はお休みなられた方がよろしいかと。」
セバスチャンの顔は慈愛に満ちている。
「そうだな、そうしよう。」
そう言ってはみたけれど、眠れそうにないなと思った。
翌朝、早くから婚約式の為の支度に取り掛かる。中央神殿に行くのかと思っていたけれど、王宮の中の神殿で婚約式が行われるそうだ。
「王宮の中にも神殿はあるのですね。」
言うとキトリーが微笑む。
「はい、ございますよ。その用途のほとんどが何かの祭事や神事に使われるだけですけれど。」
キトリーは手早く私の支度をと整えて行く。
「二人きりで行うとフィリップ様に言われましたけど、本当に二人きりなんですか?」
聞くとキトリーが微笑んで言う。
「神殿なので、神官様はいらっしゃいますよ。今日は大神官様がいらっしゃるそうです。」
大神官様…私が聖女として認定を受けた時にいらっしゃった方だ。
「神殿前までは私たち使用人も同行致します。」
そう言ってキトリーが微笑む。
「さぁ、リリー様、仕上げをしてしまいましょう。」
キトリーはそう言うと私の髪を結い始める。鏡に映る自分を見る。真っ白なドレス。シンプルだけど、手の込んだドレスだった。胸元とドレスの裾に繊細な刺繍がされている。髪を結われ、髪飾りは真珠だった。自分のそんな姿を見ながら、今日はあの白百合の髪飾りは付けられないなと思う。同じ理由でブレスレットも外した。けれど私の手元には昨日頂いたハンカチがあった。これなら今日でも持っていて違和感は無い。
王宮の神殿にやって来る。婚約式の準備が整っている。私は神殿に入り、大神官を探した。大神官は神殿の祭壇の前に居た。
「ハビエル大神官。」
呼ぶと大神官が私を見る。
「フィリップ王太子殿下。」
大神官は祭壇から下りて来て私の前に来る。
「本日はおめでとうございます。」
大神官はうやうやしく挨拶する。
「婚約式の前に話したい事がある。」
そう言うと大神官は顔を上げて私を見る。
「話したい事とは?」
私は周囲を見回す。何人か神官が居た。その神官たちに視線を送ると大神官が言う。
「フィリップ王太子殿下と二人きりに。」
大神官がそう言うと神官たちが下がる。
「それで、お話とは?」
聞かれて私は言う。
「リリーの事なんだが。」
切り出すと大神官が微笑む。
「聖女様の事で、何か?」
聞かれて私は聞く。
「リリーは白百合乙女であると私は考えているが、ハビエル大神官はどう考える?」
大神官は微笑んだまま言う。
「私もそう考えております。…というよりは確信しております。」
大神官が祭壇を振り返る。
「あちらにあります水晶をご覧ください。」
大神官に指し示された祭壇には光り輝く水晶が置いてある。
「あの水晶はフィリップ王太子殿下もご存知の通り、リリアンナ様の聖女認定の際に使ったものでございます。」
大神官は私を祭壇にいざなう。
「聖女様と認定させて頂いてからずっと、このように光り輝き続けているのです。」