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第52話

「リリー様、ハンカチに刺繍をしてはどうでしょう。」


ソフィアが言う。


「刺繍?」


聞くとソフィアが私に耳打ちする。


「そうです、クラーク卿にお返しする前に、ほんの少しだけ。」


東部に居る頃からソフィアには貴族子女のたしなみとして刺繍を教えて貰っていた。着実に上手くはなっているけれど、まだ人に渡せる程の腕では無い。


「でも、私が刺繍をしたらクラーク卿にご迷惑にならないかしら。」


言うとソフィアが微笑む。


「リリー様は聖女様です。その聖女様が自ら刺繍をすればそれはきっとクラーク卿のお守りになると思います。」


お守り…そう聞いて何だか嬉しくなる。早速ハンカチを手に取り、イニシャルが入った箇所へ針を刺す。




「リリー、もう体調は良いのかい?」


そう聞かれて私は頷く。


「はい、もう大丈夫です。」


言うとフィリップ様が微笑む。


「それは良かった。心配したんだよ。」


夕食を一緒に頂きながら、そんな話をする。


「衣装の方はどうだい?」


そう聞かれて私は近くに居たソフィアを見る。


「ソフィアとテイラーが力を尽くしてくれています。」


言うとフィリップ様はソフィアを見て微笑み、私を見る。


「リリーもちゃんと意見を言っているかい?」


聞かれて私は少し笑う。


「はい、ちゃんと。」


フィリップ様は満足そうに微笑んで言う。


「そうか、それなら良いんだ。」


セバスチャンがフィリップ様に何かを耳打ちする。フィリップ様はそれを聞いて少し頷いてセバスチャンに言う。


「ソンブラには戻るように伝えてくれ。」


そして私を見て微笑んだまま言う。


「今日の午後の演武で、クラーク卿を治癒したね。」


そう言われて心がざわめく。


「はい…」


何故か何だか申し訳ない気持ちになり、俯く。


「リリー、下を向かないで。君は良い事をしたんだ。」


顔を上げるとフィリップ様は優しい顔で言う。


「正直言うとね、リリーの傷の治癒を初めて見て、私はそれを観察していたんだ。」


観察していた…。フィリップ様はバツが悪そうな顔をして言う。


「リリーの力がどのように発揮されるか、見たかったのもある。」


確かに、私の力でどの程度の事が出来るのかは、誰にも分からない事だ。もちろん、私自身にも。


「ここ何日間かで君は黒魔術に触れたソンブラを浄化し、解呪に使った物を浄化し、それに微かに触れた手袋まで浄化した。普段から父上の治癒と私の治癒をしている以外に、だ。」


フィリップ様の真面目なお顔…。そのお顔を見て普段の優しいフィリップ様とは違い、一国の王太子のお顔になっているなと思う。


「君は私たち神聖力を持たない者からしたら、その想像を遥かに超える存在だ。しかも君には白百合乙女という更に上の存在である可能性もある、もしかしたらもっと上かもしれない。」


白百合乙女でさえ大聖女と言われているのに、更にもっと上…?そこでふっとフィリップ様が微笑む。


「あくまで可能性の話だよ。」


フィリップ様はそう言い、微笑んでいる。そんなふうに見ていた事を正直に私に話してくださるフィリップ様はやっぱり優しいのだなと思う。わざわざ私にそんな事を言わなくても良かったのに。


「君の力でどの程度の事が出来るのか、今まで存在していた神聖力を使える神官や聖女たちとどの程度違うのか、見極めなくてはいけない。今のところはリリーの力が他の誰よりも強いという事しか分からないからね。」


確かにそうだと思う。私は自分の力を他の聖女や神官たちと比べた事は無いけれど。ソフィアが教えてくれた聖女の話では、フィリップ様を治癒してその後二日間ほど、寝込んだと聞いた。けれど私はフィリップ様を治癒しても、国王様を治癒しても、寝込む事は無い。もっと言えば治癒したからこそ、私はもっと元気になり、更に色んな事が出来ると分かった事で自信にも繋がっている。


「一緒に居ると分かるんだよ、リリーが自信を日々、獲得していっていると、ね。」


そう言われて何だか恥ずかしくて俯く。


「私はね、リリー。」


そう話し出すフィリップ様を見る。


「リリーが加護を与えてくれる、そんな存在だと思っているよ。そしてその加護は私のみならず、国中に広がれば良いと思っている。」


国中に広がる加護…。そんな事を私が出来るのだろうか。


「君は黒魔術のかかっているものを浄化したんだ。黒い物を白くした。それは今まで誰にも出来なかった事だ。」


黒い物を白くした…。


「黒魔術は秘術だ。公には禁術でもある。そして中にはソンブラのように意図せずそれに触れてしまい、何らかの影響を受ける事もある。」


フィリップ様がほんの少し息をつく。


「黒魔術はね、完全なる“悪”なんだ。そこに当事者の意志が無い場合も大いに有り得る。そして時には人の“悪意”に感応するんだ。」


悪意に感応…。


「それは元々、そういう資質を持っていた、という事ですか?」


聞くとフィリップ様が微笑む。


「うん、そうだね。」


そういう資質を持っている事…その悪意が感応して更に悪いものを引き寄せる…考えただけでも怖い。


「食事中なのに、こんな話題は良くないね。」


フィリップ様はそう言って微笑み、話題を変える。




その日の夜、私はテラスに出て考え事をした。良くない事を考える人たちが居る…そしてその良くない考えが更なる悪意を呼び寄せる…そこに救いはあるのだろうか。悪意に染まってしまっては苦しいだけではないのだろうか。それとも良くない事を考えざるを得ない程の辛い状況だったりするのだろうか。


星空を見上げる。私はここ王都で、モーリス家に生まれて、下女のように扱われ、屋敷の外の小屋で生活していた。夏は暑く、冬は寒い、そんな小屋。寒さに震えて眠れない事も数え切れない程あった。どんなに働いても全てを無に帰するような事もあった。それでも私は今までそれは私が忌み子だから仕方ないと思っていた。実際に屋敷でもそう扱われた。屋敷の外に出る事は無かったけれど、時折、捨てられている新聞の端切れで、本で、私は文字を学び、世の中は広いのだと知る事が出来た。


キトリーが屋敷に来てからは、キトリーに何でも教えて貰えた。今、思えばキトリーはフィリップ様に仕えている人だもの、知っている知識の量はモーリス家の人たちとは比べ物にはならないわよね、そう思って少し笑う。私を支えてくれているソフィアやテイラー、ソンブラやベルナルド、セバスチャンやキトリー、そしてフィリップ様。私と関わりのある人たちが少しでもそんな悪意に晒されませんように。そう願い、私は祈る。




「フィリップ殿下!」


不意にセバスチャンが部屋にやって来る。


「何だ、どうした…」


言葉が消えたのは、目の前のセバスチャンが光を帯びているからだ。セバスチャンはその輪郭を金色に光らせている。そしてもしかして、と思い自分自身を見る。私自身も金色の光に包まれている。


「…リリーだ。」


そう呟く。セバスチャンも私を見て微笑み、言う。


「白百合乙女様のご加護でしょう。」




居宅に戻った俺は明日の予定の変更を余儀なくされていた。明日はモーリス家へ向かわなければならない。気が重かった。不意に扉が勢い良く開き、ソンブラが駆け込んで来る。


「おい、見ろ。」


そう言われてソンブラを見る。ソンブラはその体を、体全体を金色に輝かせていた。


「お前も、か。」


そう言われて俺は自身を見る。俺自身も金色に包まれている。二人で顔を見合わせ笑う。


「リリアンナ様か。」


言うとソンブラが頷く。


「あぁ、そうだ。こんな事が出来るのはリリー様だけだろう。」


キラキラと光る俺たちは互いに互いを見ながら笑う。


「こんな姿では諜報活動は出来ないな。」


言うとソンブラが俺を小突く。


「リリー様の加護なんだ。文句言うな。」


不意に雨の降り出す音がする。窓の外に目をやる。


「さっきまで晴れていたのに。」


そうソンブラが言う。窓に近付き、空を見る。不思議な空模様だった。薄く雲が出ているのに、星の輝きが見える。星の輝きが見えるのに雨が降っている。


「女神のなせる業だな…」


そう呟くように言うとソンブラが俺の肩に手を置き言う。


「まさしく、女神のなせる業だ。」


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