合図だ。
ソンブラが地面を蹴って駆けて来る。下から剣を振り上げ、俺の剣を弾き、そのまま剣を振り下ろす。俺はかろうじてその剣を防ぐ…が、間に合わず、左腕でソンブラの剣を受ける。シナリオ通りだ。普段ならこの程度の傷では倒れないのだが、今は状況が違う。俺は剣を落として片膝を付き、左腕を押さえる。
「止め!!」
セバスチャンの号令が響く。
「フェイ様!」
すぐ後ろでエリアンナ嬢がそう叫び、息を飲んでいる。ここからが正念場だ。俺はエリアンナ嬢に振り返る。エリアンナ嬢は顔を引き攣らせている。早く来い、そうじゃないと意味が無い。俺がエリアンナ嬢と一緒に居る侍女を睨むと侍女がハッとして言う。
「エリアンナ様、すぐに手当てを!」
そうだ、すぐに手当てをするんだ。侍女に言われてエリアンナ嬢が演武場の中に入って来て、俺のすぐ横に来て言う。
「す、すぐに、手当てを…」
そう言いながら俺の左腕に手をかざす。仄かな光が手から出た。だがその光はすぐに消える。エリアンナ嬢は泣きそうになりながら、それでも手をかざす。何度試してもその光が俺の傷を癒す事は無かった。それを見て殿下の仰っていた通りだと実感する。この女には神聖力は使えないのだ。これではっきりした。俺は立ち上がってエリアンナ嬢を見下ろす。
「失礼する。」
そう言って歩き出す。
「大丈夫か。」
ソンブラが俺に歩み寄り、聞く。俺は少し笑って言う。
「あぁ、問題無い。」
こんな傷程度、大した事では無い。歩き出しながら視界に入るリリアンナ様。リリアンナ様は顔を真っ青にして、口に手を当てていらっしゃる。あぁ、そんな顔をしないで、大丈夫です、こんな傷、すぐに治ります、そう思っていた。ソンブラが俺をリリアンナ様の居る場所まで誘導する。俺はソンブラを見る。ソンブラは笑って俺に囁く。
「リリー様があんなお顔をされているんだ。リリー様に治癒して貰え。」
リリアンナ様は俺が近付くと俺に駆け寄って来て聞く。
「大丈夫ですか…」
そう言って俺の左腕を見る。左腕からは血が流れている。
「血が…」
そう言ってリリアンナ様は血の気の引いた顔で俺の左手を取る。手が触れた瞬間、白い光が俺とリリアンナ様を包む。光の球体の中で俺とリリアンナ様の二人になる。白い光が俺の傷付いた腕の傷を包むように小さな球体を作り、その光の球体が膨張していく。パーンと光が弾けて球体が破裂する。キラキラと金色の光の粒が舞う。
奇跡だ、そう思った。
この人は本当に聖女様なのだ。俺は自然とリリアンナ様に跪いていた。ふわっと風が巻き起こり、リリアンナ様の亜麻色の髪がその風になびく。聖女だなんていう呼び方ではまだ足りない。この人は女神だ、そう思った。
クラーク卿が治癒を受けているのを目の当たりにする。
「殿下。」
セバスチャンが耳打ちする。
「リリー様の刀傷の治癒は初めてですね。」
そうだ、今までは私の持病や父上の持病など、病に関しての治癒は見て来た。まだ覚醒前だが軽い火傷程度の傷も、治したのを見た。しかし、剣で切られた際の傷の手当ては初めて見る。立ち上がり、その様子を注意深く観察する。神聖力の出方はそれ程変わらない。ただ爆発的な光の破裂は、病の時よりも大きいだろうか。治癒が終わった後、クラーク卿がリリーの前に跪いた。リリーの神聖力の前には皆、ああなる。誰もが膝を付き、リリーに対して畏敬の念を持つだろう。あの力は
「セバスチャン。」
言うとセバスチャンもエリアンナ嬢を見ている。
「これから先も注視しなくてはいけない。」
そう言うとセバスチャンが頷く。
「御意。」
今日見た事を余すことなく報告書にまとめる。これを父上と中央神殿に渡せば、エリアンナ嬢の聖女という地位を剥奪出来るだろう。実際にエリアンナ嬢からもリリーからも治癒を受けたクラーク卿、そしてそれを目の当たりにしたソンブラに私、セバスチャン、リリーの侍女のソフィアが証人だ。どう足掻いても証人の口を塞ぐ事は出来ない。だがわずかだがエリアンナ嬢の手から光が漏れ出したのは事実だ。ペンを置く。時期尚早か。それとも神聖力はわずかでも残り続けるのだろうか。
彼が怪我をした時、私は気を失いそうだった。目の前で演武とはいえ剣で切られたのを見て、血の気が引いた。お姉様が彼の治癒をしているのをただ見守った。彼の傷を治せるなら誰でも良かった。お姉様の手から仄かな光が出ていた。治癒出来たの?そう思った。でも立ち上がった彼の傷は治ってはいなかった。ソンブラと共に私の方へ歩いて来るのを見て、私は思わず、駆け寄った。血が滴り落ちているのを見て、泣きそうだった。その手を取り、私は自身に命じる。
≪傷を癒すのよ、リリアンナ≫
光が溢れ出し、私と彼を包む。彼の腕の傷に光の球体が出来る。私はその時、初めて目を開け、明確に自身の力を目の当たりにした。腕の球体が膨らんでいき、弾けるのと同時にキラキラと金色の粒が舞う。あぁ、これが私が持っている神聖力なんだと自覚する。彼が私の前に膝を付いて私を見上げ呟く。
「私の女神…」
彼はそう言って私の手の甲に口付けた。
部屋に戻った私はホッと息をつく。彼の怪我が治って良かった。そして自身の手を見る。私は今まで自分の力を使う時、祈りを込める為に、そのほとんどの時、目を閉じていた。祝福をする時も同じだった。でも今日は明確に自身に命じたのだ、傷を癒せと。フィリップ様の治癒をする時はいつも自然と光が溢れ出して来る。だから祈らなくてもそれが出来た。今までは自然と祈りと共にそれが出来ていた。だから明確に力を使おうと思っていたのではない。でも今日は違った。私の中で沸き立つ感情が、確かにあった。彼を守りたい。彼の傷を治すのだと。それは治りますように、といった祈りでは無く、治す、治せという私の意志だった。こんなふうに自分の力を自分で調整して使えるのだと初めて知ったのだ。神聖力とは何だろう?こんなふうに病も傷も自身の傷でさえも治せてしまう私は何者なのだろうか…。
家に帰り着いた私は腹立たし紛れに部屋に置かれている花瓶を割る。散らばった花瓶の欠片。花瓶に入っていた水が自身のドレスに跳ねてドレスを汚す。息を切らして膝を付き、泣き崩れる。
どうして!どうしてあの子なの!
目の前で見たリリーの神聖力は信じられない程、大きく、強かった。離れていたにも関わらず、私の居る場所でさえ、その力の偉大さを感じ取れた。完全に私の負けだった。私がやった治癒は治癒とも呼べないようなもの。あの程度の力では擦り傷さえも治せないと自分でも思っていたけれど、それが明確になった。そしてさらに神聖力は弱まっている。
「どうして…どうして私だけ…」
そう呟くと不意に誰かの気配を感じる。ハッとして振り返る。誰も居ない、居ない筈なのに、気配がある。
「誰なの…?」
聞くと誰も居なかったそこに黒い
…力が欲しいか?
どこからともなく声がする。黒い
…このままで良いのか?
このままで良いのかって?良い訳無い。私の治癒が上手くいかなかった時の、フェイ様のお顔。心から軽蔑している瞳。そんな目で見ないで。
「嫌よ、このままじゃ嫌!」
言うと黒い
…じゃあたった今からお前が私の主だ
頭の中でそう聞こえた瞬間、集まった
…受け入れろ、私を取り込むのだ