クラーク卿が部屋に来る。
「お呼びですか、殿下。」
そう言われて私は考えていた事をクラーク卿に話す。
「実はね、リリーの姉上のエリアンナ嬢について、なんだが。エリアンナ嬢の聖女の地位を剥奪しようかと考えている。」
私にそう言われてクラーク卿が驚く。
「聖女の地位を剥奪するのですか?」
驚くのも無理は無いと思い、笑う。
「あぁ。そうだ。」
そう言って腕を組む。
「しかし、エリアンナ嬢は、その、神聖力を使えるのでは?」
そう聞かれて、そうか、と思う。
「クラーク卿は知らないのだったな。」
そう言ってデスクの中から書類を取り出し、それを差し出す。
「読むと良い。」
そこにはソンブラが聞いた大神官との話が書いてある。
「…転移…。」
クラーク卿が呟く。
「そうだ。」
そう言うとクラーク卿が顔を上げる。
「リリーとエリアンナ嬢の間では転移が起こったと思っているし、それで間違いは無いだろう。しかし、証拠が要る。」
椅子から立ち上がる。
「聖女の地位剥奪は今まで前例が無い。どれだけ力が弱くとも、どの聖女もちゃんと神聖力を持っていたし、それをずっと使い続ける事が出来たからな。だが。」
クラーク卿の前まで歩く。
「エリアンナ嬢は違う。その力はどんどん弱まっていると私は見ている。父上に治癒を行った時は、実際に治癒を受けた父上が、あれでは擦り傷も治せないと仰った。転移が起こっていたとすれば、エリアンナ嬢が力を使えなくなるのは必然だ。」
クラーク卿を見る。
「力が使えないのに、聖女だなんて言えないだろう?」
クラーク卿は私が渡した紙に視線を落としている。
「そこで、だ。」
クラーク卿が顔を上げる。
「君に協力を仰ぎたい。」
クラーク卿は私を見て頷く。
「私に出来る事であれば、何なりと。」
そう言われて微笑む。もう私の言わんとしている事は伝わっているなと思う。
「君にエリアンナ嬢の神聖力について検証して貰いたい。」
クラーク卿が考え込む。
「そうであるならば…私が演武の最中に怪我をするのはどうでしょうか。」
話が早いなと思う。
「私はモーリス家から縁談を持ち込まれている身。そんな私がエリアンナ嬢の目の前で怪我をすれば、治癒をしない訳にはいかないでしょう。」
自身の身を犠牲にして、検証をしようとしてくれているクラーク卿に聞く。
「君自身が痛い思いをするが、それで良いのか?」
クラーク卿は少し笑う。
「演武での怪我は良くある事です。ですが。」
そこでクラーク卿が挑戦的な笑みを浮かべる。
「私に怪我をさせるだけの実力を持った者が必要になります。なのでソンブラをお貸しいただけますか。」
そう言われて笑う。言う通りだ。クラーク卿は王国一の剣の腕を持っている。そんなクラーク卿に怪我をさせるだけの実力を持っているとするならば、それはソンブラしか居ない。
「セバスチャンでも貸そうかと思っていたが。」
そう言うとクラーク卿が笑う。
「殿下の大事な最側近をお貸し頂く訳にはいきません。怪我をさせてしまうかもしれませんので。」
クラーク卿の肩に手を乗せる。
「気に入った。」
そこでずっと黙って聞いていたセバスチャンが言う。
「まだまだ若造には負けませんがね。」
セバスチャンは胸を張っている。クラーク卿が言う。
「元騎士団長殿にはまだまだ敵いません。」
ひとしきり笑う。笑いながらクラーク卿の挑戦的な笑みを思い出す。そんな顔をするのだなと思う。ソンブラとは良きライバルであり、良き友人なのだろう。
「…ソンブラとは長い付き合いです、互いに太刀筋の癖も分かっています。打ち合わせなくとも演武は問題無く出来ると思います。」
阿吽の呼吸という事か。
「モーリス家の者は入宮出来ないのでは?」
セバスチャンに聞かれる。
「そうだな、禁止令を出してあるからな。」
そう言うとクラーク卿が言う。
「それならば、こうしてはどうでしょう。今回、特別に許可が出たと。それもエリアンナ嬢のみという条件で。」
なるほどなと思う。
「私との縁談が上手く進んでいると思わせるには、申し分無いかと。」
確かにその通りだ。
「しかも自分だけが許されたとなれば、エリアンナ嬢の虚栄心も刺激出来るな。」
言うとクラーク卿が頷く。
「見た所、エリアンナ嬢は虚栄心の強い所があります。それを逆手にとって利用するのです。」
クラーク卿は恐らく、禁止令を出したあの時にモーリス家の者たちを見て、辟易したのだろう。
「エリアンナ嬢は毎日、手紙を送って寄越します。私が王宮内に居るので、なかなか会えないのが不満のようです。」
そう言われて笑う。
「あれだけの失態を見せたというのに、手紙を寄越して来るとは。つくづく自分に自信があるのだな。」
クラーク卿の瞳に一瞬、嫌悪の感情が混ざるのを見逃さなかった。
「そのようですね。」
クラーク卿はそう言って少し笑う。
「すぐに取り掛かってくれ。」
言うとクラーク卿が頭を下げて言う。
「御意。」
ソフィアと話した事で少し落ち着いた私はやっと少しだけ眠る事が出来た。
…リリーはどうだい?
…今はお眠りになっています
…そうか、それなら眠らせてやってくれ
人の話す声が聞こえる。夢うつつの状態でもそれがフィリップ様とソフィアなのだろうと分かる。誰かが私の寝ているベッドに腰掛ける気配がする。薄目を開ける。
「…起こしてしまったかな?」
フィリップ様の優しいお顔。フィリップ様は私の頭を撫でて言う。
「寝ていて良いよ、リリーの体調が第一だ。」
フィリップ様の優しい言葉と手つきに何故だか泣きたくなる。涙が溢れて来る。
「泣かないで、大丈夫だから。」
フィリップ様は私の涙を掬って言う。私はそんなフィリップ様の手に触れる。白い光が溢れ出し、フィリップ様の体を光が包む。
「こんな時にも君は…、ありがとう。」
リリーの部屋を出て歩きながら思う。部屋の隅に置かれていた青い花。あれがブルースターか。クラーク卿とソンブラが調べ上げてくれた事。その報告書で私はクラーク卿がリリーに花を贈っていたと知った。リリーとクラーク卿の二人の間にどんな会話がなされたのかは知らないが、事務的な会話では無かったのだろうと思った。青い花の横には小さなハンカチが干してあった。ハンカチの隅にはF・Kのイニシャル。フェイ・クラーク…クラーク卿の物だ。リリーはきっとそのハンカチをクラーク卿に返そうと思っているのだろう。二人の間に聖女と騎士、私の婚約者と王国の護衛騎士という関係以上のものは今のところ無いだろう。だが心の内は誰にも分からないものだ。私の心の内が誰にも分からないのと同じように。私は心のどこかでホッとしていた。クラーク卿がリリーの支えになってくれれば良いと思う。東部でソンブラがそうだったように。
「フィリップ殿下!」
そう声を掛けられて一瞬、心が躍る。声の主は振り返らなくても分かった。パタパタと走って来る足音は私の背後で止まる。振り返る。
「ソフィア。」
言うとソフィアが息を整えながら言う。
「お話しておきたい事が。」
そう言われて私は微笑む。
「分かっているよ、大丈夫だ。」
そう言うとソフィアは一瞬、驚いたような顔をしたけれど、すぐに微笑んで言う。
「そうですか、それなら良かったです。」
私はソフィアに手を差し出して聞く。
「リリーは眠っているのかい?」
ソフィアは不思議そうに私の手を見て、返事をする。
「はい、眠っておられます。」
私は手を差し出したまま言う。
「では、少しの間、ソフィア、君を借りよう。」
ソフィアは少し戸惑いながらも私の手に自分の手を乗せる。ソフィアの手を引き、歩き出す。
「あの、フィリップ殿下、どちらへ…?」
聞かれて私は笑う。
「少し散歩するだけだ。付き合って欲しい。」
歩き出しながら私はこの事をソフィアに伝えるべきか、悩む。ソフィアが言う。
「フィリップ殿下、あの、手を離して頂いても…?」
私は笑う。
「大丈夫さ、私が君の手を取って歩いたところで何も起こらないし、誰も何も言わないさ。」
そう言いながらも確かに侍女であるソフィアの手を私が取っているのは、不思議な光景だろうと思う。