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第36話

モーリス家の親子が帰って行った。その後ろ姿を見送っていると、警備についていた騎士たちが言う。


「団長、ありがとうございました。」


俺は笑って言う。


「あぁ、良いんだ。」


モーリス家の人間を通すなと達しを出したのはフィリップ殿下だ。騎士たちももちろん俺もその命に従うのみだ。理由なんて聞けないし、聞かない。でもそれとなく事情は耳に入って来るものだ。


モーリス家は由緒正しい伯爵家だ。先代まではかなり評判が良かったと聞いている。しかし今の代になってからは先代までが築いて来た人脈を使い、更にそれを広げ、あまり良くない付き合いをしているのでは無いかと噂になっている。犯罪まがいの事をやる犯罪者崩れや、違法な物を取り扱う商会や個人、そんな輩と付き合いがあるかもしれないと。そんなモーリス家の人間が騎士団の見物に来たのは予想外だった。そして、リリアンナ様はモーリス家の双子の妹で、この国では忌み子と呼ばれる存在故に、忌み嫌われているのだろう。あの様子ではきっと家族からも煙たがられていただろうと予想がつく。グリンデルバルト家の当主の婚約者と言っていた…グリンデルバルト家と言えば、王族の縁戚の名だ。そしてフィリップ殿下が秘密裏に療養に行かれる為に隠れ蓑にしている家門。モーリス家の人間はフィリップ殿下とグリンデルバルト家の当主が同一人物だとは思っていないのだろう。俺は歩き出しながら頭の痛い問題について考える。


日々、国王陛下の護衛に目を光らせている俺の元に届けられた書簡。自身の家門であるクラーク家からだった。クラーク家は子爵位で爵位で言えば、平民に近い。そんなクラーク家で幼少の頃を過ごし、俺は自身の剣の才に気付き、磨いて来た。子爵位でありながら、騎士団に入る事が出来たのも快挙だった。俺は自身の腕一本で騎士団の中で努力を重ね、この年でありながら団長にまで上り詰めた。それでも、爵位というのはどこまでも付き纏うものだ。そんな子爵位のクラーク家に縁談が持ち込まれた。それがモーリス家からだった。聖女と認定されているエリアンナ嬢と騎士団長である俺の縁談。クラーク家としては有り難い話ではある。世間的にも聖女の認定を受けているエリアンナ嬢と騎士団長である俺の組み合わせは、耳触りが良いだろう。家門同士、それなりの利益のある話だ。


政略結婚。悪い話では無いと思った。


だから訓練場に来たモーリス家の人間と挨拶を交わした。しかし、その時に感じた違和感を俺は忘れられなかった。モーリス家当主の不遜な態度、見るからに俺を見下す物言い、そして値踏みされていると感じる程、不躾なエリアンナ嬢の視線。全てが不快だった。俺は自身の直感を信じている。だからこそ、挨拶を交わしたすぐ後からモーリス家について調べ始めた。調べて分かった事は少ない。思った以上にモーリス家当主は狡猾に動き回っていた。


このまま縁談を受けて良いものか、悩んでいた。黒とまでは行かなくても限りなく黒に近いグレー。怪しい動きもあると直感的に思っている。だからこそ、懐に潜り込むには縁談を受けるまでは行かなくても、付き合いは続けた方が良いだろうとも思っている。


「フェイ。」


急に呼び止められて振り返る。そこにはソンブラが居た。


「ソンブラ。」


彼の顔を見ると何だかホッとする。同じ騎士団の中で過ごした時間が長いせいだろう。


「誰かが来ていたようだが。」


ソンブラにそう言われて苦笑いする。


「あぁ、モーリス家の人間がリリアンナ様に会いたいと言って、衛兵に止められていたんだ。」


ソンブラはモーリス家と聞いて顔を顰める。表情を隠さないソンブラは珍しい。


「珍しいな、お前がそんな表情を隠さないなんて。」


ソンブラは鼻で笑う。


「モーリス家は色々ありそうだからな。それに王宮には出入り出来ないだろう?」


俺は縁談を持ち込まれている事を話した方が良いだろうかと一瞬考える。


「実は、モーリス家から縁談が持ち込まれているんだ。」


言うとソンブラがまた顔を顰める。


「縁談?お前とリリー様の姉上の、か?」


ソンブラは相当、モーリス家が嫌いらしい。


「あぁ、そうだ。」


言うとソンブラが少し考えた後、言う。


「実はモーリス家について少し調べようと思っていたところだ。あの家は何かある。」


やはりソンブラも何かを感じ取っているのかと思う。


「何か、とは?」


聞くとソンブラが首を振る。


「まだ分からない。これから潜入して調べてみるさ。」


潜入と聞いて少し驚く。


「潜入するのか?」


聞くとソンブラが手を見せて来る。中指にある指輪が目を引く。


「…アーティファクトか。」


言うとソンブラが頷く。


「フィリップ殿下から賜ったものだ。姿が変えられる。」


ソンブラはそう言うと、俺を人目の付かない場所まで促す。周囲を見回し、誰も居ない事を確かめてから、ソンブラがその指輪を稼働させる。見る見るうちにソンブラの容姿が変わって行き、俺も見た事が無い人物に変わる。


「それは誰なんだ?」


聞くとソンブラが言う。


「誰でも無いさ。特徴を持たず、人の記憶にも残らない、どこで何をしていても人目を引かない人物だ。」


確かに言われた通りではある。これと言って特徴は無い。ソンブラの特徴である漆黒の髪も、漆黒の瞳も柔らかい印象のブラウンに変わっている。目鼻立ちも特に印象には残らない、そんな人物だ。


「自分の意識でそれだけ見た目が変えられるのか?」


聞くとソンブラが笑う。


「あぁ、そうだ。この指輪さえしていれば、誰にだって見た目を変えられる。」


そう言ってソンブラはまた指輪に触れて、姿を変える。今度は目の前に俺が現れる。銀髪、銀色の瞳の俺。


「止めろよ、俺になんてなるな。」


笑ってそう言うとソンブラが姿を元に戻す。


「しかし、すごいアーティファクトだな。」


言うとソンブラが言う。


「あぁ、だから国宝なんだ。これを扱える人間は限定しないといけない。」


確かに言う通りだ。この指輪さえあれば、国王陛下にだって擬態出来る。そこでふと思い付く。


「もしかして、お前、フィリップ殿下の影っていうのは…」


そこまで言うとソンブラが笑う。


「あぁそうだ。とは言ってもフィリップ殿下がどうしても出られない時にだけ、だがな。」




ソンブラは颯爽と王宮を出て行った。これから本格的にモーリス家に潜入調査をするらしい。俺は自身がモーリス家から縁談の話を貰っている事を利用してみようとも思っている。ソンブラが言うように「何か」がありそうな気がしている。これは直感としか言い様が無い。王宮に戻る道を歩きながら、ソンブラとは少し連絡の頻度を上げた方が良いかもしれないと思う。




帰りの馬車の中でお父様は憤慨していた。リリーに取り次いでも貰えなかった事が想定外だった。何故、リリーに取り次いで貰えなかったのか、私にもお父様にも分からない。今日、王宮に来たのはリリーに会い、育ててやった恩を返せという圧力を掛ける事、そして王族への執り成しが目的だった。王太子殿下の婚約式まではあと4日。その間にどうにかしてリリーに会う必要があった。リリーならこちらが言えばちゃんと聞き分けるだろう。そう私もお父様も思っている。今日はフェイ様がいらっしゃってくださったのだ、明日になればきっと王宮入り出来るに違いない。そう思いながらもフェイ様がリリーの事をリリアンナ様と敬称を付けて呼んでいたのが気になった。あんな忌み子に様なんて敬称、必要無いのに。そう思ったけれど、仮にもリリーはグリンデルバルト家の御当主様の婚約者だ。グリンデルバルト家の御当主様は王族の縁戚。だとしたら忌み子であったとしても立場的にはフェイ様よりも上なのかもしれない。私は帰りの馬車に揺られながら、グリンデルバルト家の御当主様の婚約者という立場を蹴ってしまった事を後悔し始めていた。私が求められるままに婚約者になっていれば、今、リリーが居る場所に私が居たかもしれない。でも醜悪な見目の中年男の婚約者なんてやっぱり嫌だわ。


「お父様、クラーク家との縁談は順調に進むのでしょうか。」


聞くとお父様が微笑む。


「あぁ、問題無いだろう。向こうは子爵家、うちは伯爵家だ。爵位はうちの方が上なんだ。しかもクラーク卿は騎士団長、その騎士団長と聖女の婚約、結婚となれば、周囲も諸手を挙げて祝福するだろう。」


そうよ、私は聖女の認定を受けている。認定を一度受けた以上、取り消されるなんて事は今まで一度だって無い。王都では私が聖女である事は皆が知っている事。そんな聖女の私と騎士団長のフェイ様との婚約も結婚も、これ程までに美しく素敵なお話なんて無いもの。醜悪な中年男なんて、いくら王族の縁戚だとしても、やっぱり嫌。私のような聖女にはフェイ様のように見目麗しく、騎士団長を務めるくらいに強い人でなければいけないわ。


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