「疲れてはいないかい?」
夜の治癒の為、フィリップ様がお部屋に来てくださる。フィリップ様を治癒しながら、私は言う。
「はい、大丈夫です。ここまで来る間で色々な物を見聞き出来ました。東部がどれ程栄えているのか、周辺の村や町を見れば良く分かります。そして栄えていながらも東部は自然豊かで本当に美しい領地なのだと思いました。」
フィリップ様は微笑んで言う。
「王都も美しくはあるが自然の豊かさで言えば、東部の方が勝るからね。リリーには自然豊かな環境の方が合っているかもしれないね。」
治癒を終えてフィリップ様がお部屋を出て行く。
「ゆっくりお休みください。」
ソフィアがそう言ってお部屋を出て行く。部屋に一人になり、眠るまでの間、少し考える。明日には王都へ到着する。王都に入ったらすぐ王宮に行くのかしら…。フィリップ様は王太子殿下なのだから、それが当然よね…。私も王宮に滞在する事になるんだろうか。王都にはキトリーやソンブラも滞在している。きっとこの二人は王宮には居ないのよね…。私がフィリップ様と王宮に滞在する事になったら、キトリーは傍に付いてくれるかしら。そんな事を考えながら、眠りにつく。
翌朝、目が覚める。体を起こすとソフィアがすぐ気付く。
「おはようございます、リリー様。」
ソフィアはいつ部屋に来たんだろう。いつも起きると声を掛けてくれるけれど。背伸びをしてベッドから出る。
着替えをして部屋を出ると、丁度、隣の部屋に泊まっているフィリップ様も部屋を出て来たところだった。
「リリー、おはよう。」
いつお会いしてもこの方はキラキラしていて、その佇まいだけで高貴なのだと分かる。
「おはようございます、フィリップ様。」
言うとフィリップ様は私に手を差し出す。
「朝食に行こう。」
こうして誘って頂くのが、もう既に当たり前の事になっている。フィリップ様の手に自分の手を乗せて、歩き出す。
朝食を食べながら、フィリップ様が言う。
「このまま王都に入るけれど、王都に入ったら真っ直ぐに王宮へ向かうよ。」
朝食のパンは温かく柔らかい。
「はい。」
フィリップ様はサラダを食べながら微笑む。
「王都への滞在は王宮になるよ。リリーにはちゃんと王太子妃宮があるからね。」
そう言われて驚く。
「王太子妃宮…?」
フィリップ様は優しく微笑むと、頷く。
「うん、でもそんなに大袈裟に考えなくて良いよ。リリーが気持ちよく王宮で過ごせるように取り計らった結果だから。リリーの使う王太子妃宮は元々、母上の王妃宮の一つだったんだ。」
王妃殿下の使っていた宮…、何だか恐れ多い。
「大丈夫だよ、リリー。先に何人か人を送ってある。キトリーもそこでリリーを待っているよ。」
キトリーと聞いて心が晴れる。
「キトリーがもう先に?」
聞くとフィリップ様が微笑む。
「うん、先に入って貰っている。リリーを迎える準備を進めてくれているよ。きっとキトリーもリリーに早く会いたいだろうね。」
ホテルを出て、馬車に乗る。フィリップ様は私と同じ馬車に乗り、目の前に座っていて、それだけで気品が溢れ出している。食事の時にフィリップ様はさらっと教えてくれたけれど、王太子妃宮という響きに、私は自分の立場を今更ながら実感する。本当に私がフィリップ様の婚約者で良いのだろうか、そんな思いが拭えなかった。
王都に入り、馬車が進む。王城の入口で憲兵に止められ、手形を見せている。フィリップ様が窓から顔を出し、憲兵に言う。
「ご苦労。」
一言フィリップ様がそう言うと、憲兵はフィリップ様を見て直立し、慌てて馬車を通す。初めて見たかもしれない、フィリップ様が王太子らしく振る舞う姿…。“ご苦労”と一言、言うだけで憲兵の人が直立するのを見て、そう思う。今までは王太子だと聞いてはいても、それらしく振る舞うところを、少なくとも私は見た事が無かった。いつも優しく微笑んで手を差し伸べてくださる、そんな人だったから。
王宮へ入り、馬車を下りる。普通の人なら出入り出来ない所に私は今、居る。キョロキョロと周りを見回す。広く美しい庭園、見上げる程の豪奢な建物、大きな噴水に、出迎える使用人の数の多さ…。目が回りそうだった。その中で。
「リリー様!」
聞き覚えのある声。振り向くとそこにはキトリーが居た。
「キトリー!」
見覚えのある顔にここで出会えるのは心強かった。キトリーは私の前まで来ると私の手を取り、嬉しそうに言う。
「お待ちしておりました、リリー様。」
私も久々にキトリーに会えて嬉しかった。
「会えて嬉しいわ、キトリー。」
言うとキトリーはその瞳に少し涙を溜めて言う。
「お美しいお姿になられましたね。キトリーは嬉しゅうございます。」
そう言われて何だか少し恥ずかしくなる。
「互いに積もる話もあるだろうけど、話は中に入ってからにしよう。」
フィリップ様がそう言って笑う。
王宮の中を歩く。
「王宮はとても広いのです、リリー様が滞在される王太子妃宮はこの奥でございます。」
キトリーが案内してくれる。
「王太子妃宮の中は自由に歩き回ってくれて良いからね。」
フィリップ様が言う。
「はい。」
返事をするとフィリップ様は微笑み、言う。
「私が居るのは王太子宮になる。リリーの滞在する王太子妃宮のすぐ横だ。いつでも訪ねておいで。」
そう言われて思う。そうか、王宮に居る間は宮が分かれてしまうんだ。お屋敷の中で部屋が別々なのとはスケールが違うのだなと実感する。
「私からも訪ねるけれど、リリーから来てくれたら嬉しい。」
フィリップ様は少しも恥ずかしがらずにそう言えてしまうのだなと思う。
「分かりました。」
王太子妃宮に入る前でフィリップ様と別れる。
「私はこちらの宮で少しやる事がある。それが終わったら父上と母上に挨拶に行こう。」
そう言ってフィリップ様は侍従と共に王太子宮に入って行く。
「リリー様はこちらへ。」
キトリーに促されて歩く。振り返るとベルナルドが付いて来ていた。そうか、ベルナルドは私の護衛騎士だから、ここでも護衛に付いてくれるんだと少し安心する。ベルナルドと目が合う。ベルナルドが少し微笑んで小さく頷く。薔薇の庭園を抜けると、美しい建物が現れる。
「王太子妃宮です。」
キトリーが言う。ここが王太子妃宮…私が滞在する為に王妃殿下から賜った宮の一つ…。そしてこのまま行けば、行く行くは私がここの主になるという事…。何だか場違いな気がして来る。
「リリー様、大丈夫です。」
すぐ後ろに居たソフィアが言う。
「私たちがお支えします。」
ソフィアは優しく、そして力強くそう言う。曖昧に頷き、私は王太子妃宮に入る。
王太子妃宮に入って、部屋に案内される。御屋敷とは比べ物にならない程の広さと豪華さだった。入ってすぐに王太子妃宮に仕える侍女たちが私の前に揃う。
「ここ、王太子妃宮に仕える侍女たちでございます。」
キトリーがその侍女たちに言う。
「王太子殿下の婚約者様のリリアンナ様です。ご挨拶なさい。」
侍女たちが言う。
「王国の星、フィリップ殿下の婚約者様にご挨拶させて頂きます。」
無意識に侍女の人数を数えてしまう。今、居るだけでも10人。こんなに多くの侍女が私の為に動くのだ。
「侍女たちに何か不躾がございましたらすぐ、このキトリーにお申し付けくださいね。」
キトリーはここでも侍女長なのだろうか。
「まずはお召し替えをお願いします。」
そう言われて侍女たちに付き添われ、ドレスを着替える。持って来ていたテイラーの作ってくれたドレスを着る。
身支度を整え終わる頃、扉がノックされてキトリーが入って来て言う。
「フィリップ殿下がおみえです。」
振り返るとフィリップ様が部屋に入って来る。
「やぁ、リリー。」
もうそんなに時間が経ったのだろうか。何かやる事があると言っていたけれど、もう終えられたのかしら。
「もうやる事は終えられたのですか?」
聞くと、フィリップ様が微笑む。
「うん、もう終わったよ。確認だけだったからね、そんなに時間はかからないよ。」
そして手を差し伸べて言う。
「父上と母上に会いに行こう。」