宿屋に戻る。部屋はベッドと小さなテーブルと椅子しか無い簡素な部屋だった。それでもその部屋の方が何となく落ち着く自分に笑う。村長さんが治って良かった。私に出来る事であんなに喜んで貰えるなんて嬉しかった。不意にノックされる。
「はい。」
返事をすると扉が開く。部屋にフィリップ様が入って来る。
「やぁ、リリー。」
フィリップ様は微笑んで椅子に座ると言う。
「ベルナルドから報告を受けたよ。」
そう言われて何だか恥ずかしくなる。私の一存で決めてしまった事だったから。
「すみません、私がお話を聞くと言ったんです。」
フィリップ様の向かい側に座って言う。フィリップ様が笑う。
「責めている訳では無いんだ、むしろ人助けしたんだから、誇って良いんだよ。」
フィリップ様が聞く。
「ベルナルドに何か感じないか聞いたそうだけど、リリーは何か感じたのかい?」
あの時の淀んだ空気について、考える。
「村長さんの家に入った瞬間から何か空気が淀んでいるというか、空気が滞留しているというか、そんな空気を感じました。でも村長さんを治癒した後は感じませんでした。」
フィリップ様が少し考える。
「治癒した後は感じなかったのか…」
フィリップ様は考えながら言う。
「淀んだ空気や空気が滞留していたのは恐らく人の“気”の為だろう。」
人の気…。
「それを感じなくなったのはリリーの治癒で完治したのもあるだろうけど、リリーの神聖力で浄化されたんだろうね。」
浄化…。そんな事も出来るなんて知らなかった。
「浄化なんて、神聖力でそんな事も出来るんですか?」
聞くとフィリップ様が微笑む。
「神聖力に関しては未知な部分がまだまだ多いんだ。前にも話した通り、白百合乙女と呼ばれる聖女は国に、大地に恵みをもたらすと言われている。それが聖女の存在を起点にしているのか、聖女の思いで変わるのか、それも解明されていないからね。」
私が空気を浄化…?そんな事が出来るというの?でも確かに治癒を施した後、空気は澄んでいた…。フィリップ様が少し笑う。
「リリーの力でどこまでの事が出来るかは未知だけど、リリーはリリーだから。どこまで出来ようとも、逆に出来なかろうともね。」
翌朝、目が覚める。ソフィアが部屋に来て支度を手伝ってくれる。部屋を出て食堂に行くとフィリップ様が待っていてくださった。朝食を待っていると声を掛けられる。
「聖女様。」
急に声を掛けられて振り向く。そこには昨日治癒した村長さんと、男の子が居た。村長さんが深々と頭を下げる。
「昨日は本当にありがとうございました、お陰様でこのように自由に動けるようになりました。」
私は少し困ってフィリップ様を見る。フィリップ様は私を見て微笑み、頷く。
「いいえ、私は何も…」
その場に居た宿屋で働いている人たちが村長さんを見て驚いている。
「村長、治ったのかい?」
口々にそう言って村長さんを囲み始める。
「あぁ、すっかり良くなったんだ、昨日の夜、聖女様に癒して頂いたお陰でな。」
村長さんは私を見て改めて深々と頭を下げる。
「本当にありがとうございました。」
その場に居た人たちが私を見て驚く。
「聖女様だったんですか…」
まるで信じられないものを見るような眼差し。急に注目を浴びてしまい、戸惑って俯く。するとフィリップ様が私の背中に触れる。フィリップ様を見上げるとフィリップ様はふわっと微笑み、前を向くと言う。
「悪いが我々は王都へ向かう途中なのだ、少し先を急いでいる。申し訳ないが急いでくれると助かる。」
顔を隠さず、堂々と胸を張り、凛としている姿は、まさに王族といった雰囲気だった。そんなフィリップ様を見た村長さんが言う。
「さぁさぁ、皆の者、仕事にかかってくれ。」
村長さんがそう言うと皆、仕事に戻って行く。
「うまくいかなかったですって?!」
お母様が声を荒げる。お父様は溜息をついて、ソファーに深く座り込む。
「あぁ、国王陛下のご体調に変化は無かったそうだ。」
お母様が私の手を取る。
「ちゃんと力を使ったのよね?」
確認するようにお母様が聞く。私は俯いて言う。
「はい、お母様…」
何も言い返せない。体調が悪かったとか、調子が悪かったなんて言い逃れは出来ない状況だった。お母様はウロウロと歩き回りながら独り言を言う。
「エリアンナに治せないというのなら、きっと誰が治癒をしても、国王陛下のご病気は治せないのよ、そうよ、きっとそうだわ。」
そして立ち止まり、考え込む。お父様が頭を抱え込むように言う。
「これは王宮で耳にしたんだが、国王陛下の治癒にリリーが呼ばれるそうだ。」
瞬間、息をのむ。お母様が呟く。
「リリーが…?」
お母様がお父様に駆け寄って縋る。
「何故!一体、何故リリーが呼ばれるの?!」
お父様は力無くうなだれて言う。
「グリンデルバルト家の当主様はご病気を患っていて、余命幾ばくも無いという話は知っているな?リリーが婚約者としてグリンデルバルト家に行ってから、当主様の容態が快方に向かったらしいのだ。」
お母様がお父様に縋ったまま聞く。
「それがリリーのお陰だと言うの?!」
私の体から血の気が引く。リリーが王宮に呼ばれる…。私よりも光の強いリリーが…。
「グリンデルバルト家は王族の傍系だ。その傍系の当主が快方に向かったのだから、一縷の望みをかけて、という事かも知れん。」
お母様がお父様から離れて言う。
「他の手を打たないといけないわね…」
お父様が顔を上げて言う。
「それならもう考えはある。」
お父様は立ち上がり、私の手を取る。
「このままでは我が家門は掴みかけたものを逃してしまう。だからエリアンナ、お前がそれを引き寄せるんだ。」
私がそれを引き寄せる?一体何の事を言っているの…?
二日目の宿は一日目の宿よりも少し大きな町にあった。
「王都に近付くにつれて、町の規模も大きくなるんだよ。」
馬車から窓の外を見ていた私にフィリップ様が言う。前に泊まった村の宿屋は本当に簡素な宿だった。今回はその宿屋よりも少し立派に見える。中に入るとすぐにそこの主人であろう人が駆け寄って来る。
「ご宿泊のお客様でしょうか?」
そう聞かれてフィリップ様が言う。
「そうだ。」
主人であろうその人が頭を下げて言う。
「申し訳ございません、本日は貸し切りとなっておりまして…」
その人がそう言った途端、宿の奥から大きな声がする。
「おい!主人!」
そう言いながら現れたのは、いかにも貴族といった出で立ちの男性。フィリップ様よりも年上でふくよかな体型の人。
「こんな場所に泊まってやると言っているんだから、他の客は泊めるなよ!」
その男性は階段の上から私たち一行を見下ろしてニヤニヤしている。この人が貸し切っているという事なんだろう。フィリップ様は少し笑って聞く。
「この町には他に宿屋はあるのか?」
主人は頭を下げながら言う。
「この町には他に宿屋はございません。」
私は不安になってフィリップ様を見上げる。フィリップ様は少し考えて主人に言う。
「何とかならないだろうか。」
宿屋の主人は背後の階段の上から見下ろしている貴族の男性をちらっと見て言う。
「私共にはどうにも…」
確かにそうだろう。その男性が貴族であるなら、平民である宿屋の主人はその命に逆らえない。
「おい!何をしている!早く追い返せ!」
そう言いながらその男性が階段を下りて来る。さっきまで階段の上に居たから気付かなかったけれど、その男性は背が小さかった。その男性が私たちの前に来る。サッとベルナルドがフィリップ様とその男性の間に入る。その男性はそれを気にするでも無く言う。
「ここは今日、私が貸し切っている。私は貴族だ。平民なんかと同じ宿屋には泊まれん。さっさとどこかへ行け。」