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第19話

グリンデルバルド家の執事セバスチャンがお茶を入れてくれる。


「急な話だったのは謝ろう。こちらとしても色々事情があってね。」


領主様は隣に居るリリアンナ様を見て微笑む。


「まず、この婚約は先代からの約束事でね。先代というのは私の父上の更に上の代、という事になるのだけれど。」


お茶の良い香りが応接間に漂う。


「いわば、ずっと前から決められていた婚約という事になる。つまり私にとっては急な話でも無かったんだよ。それに、私の婚約はウェーバー侯爵家と言えど、口を挟める問題では無いと思うのだけどね。」


微笑んでいらっしゃるのに、瞳の奥は笑っていない。背筋が冷えて行く。


「しかし!こちらと致しましても、王都を支える貿易領と言っても過言では無い東部の領地、その領主様のご婚約者が双子の忌み子というのは…」


お父様はそこまで言って言葉を失くす。お父様を見る。お父様は真っ青な顔をして領主様を見ているようだった。恐る恐る領主様を見る。領主様は微笑みを消し、お父様を見下ろしている。冷たい視線、凍る空気…。


「フィリップ様。」


不意にリリアンナ様からお声がかかる。途端に凍っていた空気が溶け出す。領主様は溜息を一つついて言う。


「私の持病のせいでこの東部の執務をウェーバー侯爵、貴殿に半分ほど任せていたな?」


お父様は俯いていて、その額には薄らと汗をかいている。


「はい、領主様。」


領主様のお声は変わらず冷たく響く。


「それについては感謝しよう。私の至らなさを良くカバーしてくれていた。」


領主様がティーカップを持ち上げる。


「その功績に免じて、先程の発言には目をつぶる。」


お茶を一口飲んだ領主様はふわっと微笑む。


「二度目は無いと思って欲しい。」


お父様と並んで座っている私にも分かる程の威圧感。重苦しい空気。


「この際だから話しておこう。」


空気が軽くなる。やっと息をつける。


「私の体調が回復したのはリリーのお陰なんだ。」


そう言われて驚く。領主様の体調の回復がリリアンナ様のお陰?


「それは、どういう…」


お父様が恐る恐る聞く。


「そのままの意味だよ。」


そう言って領主様はリリアンナ様に手を差し出す。


「リリー。」


領主様はリリアンナ様にお声を掛ける。リリアンナ様は微笑んで領主様の手に自分の手を乗せる。次の瞬間、白い光が領主様の手を包み、キラキラと金色の粒が舞う。これは、まさか…。


「なんという事だ…」


それを見たお父様が呟く。


「リリー、ありがとう。」


そう言って領主様がリリアンナ様から手を離す。リリアンナ様と領主様は白い光によってかたどられ、金色の粒がその輪郭を輝かせている。領主様はテーブルに両肘を付き、顔の前で手を組むと、言う。


「ウェーバー侯爵、貴殿は既に私の正体を知っているね?」


領主様の正体…?お父様を見る。お父様は苦笑いして頷く。


「はい、殿下。」


お父様は今、殿下と言った。今、この国で殿下と呼ばれるのは王妃殿下と王太子殿下のみ…。


「私は療養の為にこの東部に来たが、貿易領とも呼ばれるこの領は我が王国にとって、とても重要な領地だ。だからこそ私が取り仕切っている。」


キラッと光る領主様の、王太子殿下のカフスボタンは美しい翠色…リリアンナ様の瞳の色…。


「その私が持病のせいでベッドから起き上がれず、貴殿にも苦労をかけたと思っているよ。」


王太子殿下は腕を下ろして言う。


「勿体ないお言葉にございます。」


お父様を包む雰囲気が変わる。


「今はリリーに治癒をして貰って、こうして動けるようになった。ウェーバー侯爵、貴殿に任せていた執務を私がやっても良いのだが。」


王太子殿下がふわっと微笑む。


「これからも変わらずウェーバー侯爵に任せたいと思っているんだよ。」


先程までとは打って変わって柔らかい雰囲気が包む。


「私はいずれ、王都に行かなくてはいけなくなる。そうなった時、この東部を任せられるのは貴殿しかいないと思っている。」


領主様が王太子殿下であるならば、いずれはこの東部を離れる。そうなった時、この広大な領地をお父様に任せたいと仰った…。


「今からでも私の執務を引き継ぎしておきたい。」


お父様が溜息をつく。


「それはやはり、国王陛下のご容態が思わしくないという事でしょうか。」


王太子殿下が微笑む。


「今はまだ大丈夫だ。けれど、いつ情勢が変わるか分からない。だからこそ、地盤を固めておきたい。」


お父様が微笑む。


「諸事抜かりなく。」


王太子殿下も微笑んで頷く。


「よろしく頼むよ。」


一息ついて、王太子殿下が言う。


「リリーについて、だが。」


王太子殿下がリリアンナ様に微笑む。


「貴殿らも見た通り、リリーは神聖力が使える。神殿から聖女として認定はされていないが、リリーは聖女だと確信している。」


お父様が少し考えて言う。


「リリアンナ様が聖女と認定されていないのは、神殿側に何か思惑が?」


王太子殿下が首を振る。


「それは今、調べさせているが、神殿側というよりは、モーリス家に問題があったと私は見ている。」


お茶を一口飲んでお父様が言う。


「まぁ分からなくもない話ではあります。双子の妹でありながら聖女でもあるとなれば、その扱いはとても難しいでしょう。それならばいっその事、双子の姉が聖女であるとする方が自分たちも、周りの人間も受け入れやすいでしょうから。」


そして自嘲的な微笑みで付け足す。


「先程までの私のように。」



私はずっと黙ったまま、お父様と王太子殿下のお話を聞いていた。その間ずっと王太子殿下とリリアンナ様をつぶさに観察しながら。リリアンナ様は何も仰らず王太子殿下の隣で微笑んでお話を聞いているだけ。なのに何故か今すぐにでもお膝元に跪いて、それまで自分が考えて来た事や、良からぬ思いを吐露し、許しを乞いたくなる。リリアンナ様が王太子殿下の手にご自身の手を乗せ、神聖力で王太子殿下を癒して差し上げるのを見た瞬間、私はなんて浅ましい考えを持っていたのかと、恥ずかしくなった。お声を聞いただけで王太子殿下に魅了された私は、心のどこかで王太子殿下がずっとベッドの上に居て、私だけを見てくれれば良いと思っていたのだ。外に出る事も無く、領主の執務はお父様に全て任せて、私はずっとお傍に居ながら、誰の目にも留まらないように、私だけのものにしたかったのだと。大局を見ようともせず、目の前の自分の欲望のみしか考えていなかった。侯爵家の人間として恥ずかしい限りだ。視線を下げる。


私はそれまでの人生をほぼ完璧に生きて来た。東部唯一の侯爵家の令嬢として生まれ、礼儀作法や貴族の振る舞い方、東部という領地についての歴史や貿易領としての勉強など、最高とも言える人たちから、時には侯爵である父から学んだ。幼い頃から見た目にも気を遣い、東部唯一の侯爵家の令嬢として、恥ずかしくないように努力して来た。他の令息や令嬢が自分の身分よりも低い者たちを見下したりしても、気にしなかった。そしていつしか私もどこかで自分よりも身分の低い者を見下していた。どんなに努力しても出自は誤魔化せないし、平民が爵位を賜るのには、相当な努力と忍耐が必要である事は、誰しもが知る事実だからだ。戦争で功績を立てたり、優れた能力で他の人間を圧倒したり。そんな事が無ければ平民はずっと平民のまま。ましてや忌み子など、本来ならば生まれて来る事ですら許されない。私の中にはそういった独断と偏見があった。それは長い間、ずっと脈々と受け継がれてきた血のように、親から子へ受け継がれる伝統だった。


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