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第12話

「殿下!フィリップ殿下!」


執務室に駆け込んで来たのはソフィアだ。


「ソフィア、どうした?」


聞くとソフィアが言う。


「リリー様が、リリー様がどこにもいらっしゃいません…」


リリーが居ないだと?!


「どういう事だ?」


聞くとソフィアが言う。


「昼食後のお散歩で屋敷内を歩いておりました。大広間に掛けられている肖像画に目をお留めになったのでご説明差し上げたんですが、その後から急に一人になりたいと仰られて…」


ソフィアが跪いて伏せる。


「申し訳ございません、お一人にするべきではございませんでした…」


既に外は日が暮れかけている。ソフィアの元へ行き、ソフィアの腕に触れる。


「顔を上げてくれ、ソフィア。君は良くやってくれている。君には感謝しか無いんだ。」


顔を上げたソフィアは涙を流している。心が痛む。ソフィアの涙を拭ってやる。


「泣かないで、何を話したのか、教えてくれないか。」


ソフィアを立たせ、ソファーに座らせる。


「肖像画についてお話したのです。フィリップ殿下が王妃殿下に良く似ていらっしゃる事、国王陛下の銀髪が美しい事、実際にお会いした事が無い事、そんな私でもフィリップ殿下にお仕え出来てまるで奇跡のようだという事…」


そこまで話してソフィアが私を見る。


「もしかしたら、リリー様は…」


ハンカチでソフィアの涙を拭う。


「何だい?」


聞くとソフィアが私を見つめて言う。


「改めてご自分のお立場を理解なさったのかもしれません。王太子であられるフィリップ殿下の婚約者ともなれば、ご成婚されれば王太子妃、果ては王妃殿下になられるのですから。」


そう言われて合点がいく。


「そうかもしれないな。リリーは今までモーリス家に閉じ込められていた存在だ。忌み子として忌避され、下女のように暮らして来た。そんな自分が私と婚約した事で地位が急に上がったのだ、戸惑うなんて言葉では言い表せないのかもしれない。」


ソフィアが言う。


「私では務まりませんと仰っておりました…」


私は立ち上がる。


「セバスチャン、ソンブラ。」


呼び掛ける。セバスチャンは少し頭を下げて、ソンブラは片膝を付いて、私の指示を待っている。


「さほど遠くには行っていないだろう。この辺りの地理も知らないだろうしな。屋敷の騎士たちを総動員させろ。見つけたら知らせてくれ。大事にはしたくない。大人数が動いたとなればリリーがまた心を痛める。」


セバスチャンとソンブラが言う。


「御意。」


すぐに動き出す二人を見送って、ソフィアに寄り添う。


「大丈夫だ、騎士たちもセバスチャンもソンブラも優秀だ。」



私は敷地内を出て、ただ歩いた。街の方へ行かず、森の中へと歩く。道は整備されていた。きっとほんの少し遠くへのお散歩にでも使っている道なのだろう。歩きながら俯く。フィリップ様は王太子様だ。その王太子様と婚約したのだから、当然、私は成婚すれば王太子妃になる。王位が順当に継承されれば、フィリップ様は国王に、私は王妃になるという事…。私は双子の妹、忌み子だ。この国ではこれほど忌避される存在は無い。そんな忌み嫌われている存在の私が王太子妃だなんて、王妃だなんて、とんでもない。今でさえ貴族のマナーや立ち居振る舞いを勉強している真っ最中で、それはきっと一朝一夕には身につかない。


それに。


東部の領主様と言えば、中年で醜く余命僅かという触れ込みだった。だからこそ私はここへお姉様の代わりに嫁いで来たのだ。そうよ、私は東部の領主様の元へ嫁いで来た。王太子様へ嫁いだ訳では無い。そう言えばこの立場から逃れられるだろうか。王太子様と東部の領主様が同じ人物だったなんて、知らなかったんだから。フィリップ様には私では無く、もっと洗練された、美しい人が隣に居ないとダメだ。ふとソフィアの顔が浮かぶ。そう、ソフィアのように、美しい金髪で碧眼、貴族としてのマナーや立ち居振る舞いも完璧で、私のような忌み子にも優しく、分け隔てなく接する事が出来る、そんな人…。


「危ない!」


急に声を掛けられて驚くと共に、体が引き戻される。倒れ込んだ私を守るように抱き留めてくれたのは、護衛騎士のベルナルドだった。


「ウェルシュ卿…」


私は慌ててベルナルドから離れ、立ち上がる。


「大丈夫ですか、お怪我はありませんか?」


ベルナルドは立ち上がりながらそう問いかける。私を抱き留めたのだから、ベルナルドの方が怪我をしていてもおかしくないのに。


「私は大丈夫です、ウェルシュ卿は大丈夫ですか?」


聞くとベルナルドは微笑みながら、マントに付いた土を払う。


「ご心配には及びません。」


引き戻されたのが何故なのか、行く手を見る。目の前には大きな湖があった。あと数歩踏み出していたら、私は湖に落ちていただろう。考え事をしていて、行く先を全然見ていなかった。それにしても。一人で歩いて来たと思っていたのに、ベルナルドがずっと付き添ってくれていたのだ。


「ずっと付き添ってくれていたのですね。」


言うとベルナルドは申し訳なさそうに言う。


「お一人になりたいと仰られていたのは存じておりますが…」


顔を上げて私を真っ直ぐ見る。


「敷地の外へ出られるなら、話は別です。私はリリー様の護衛騎士ですので。」


精悍な顔付き。きっととても優秀な人…一人で歩く私に付かず離れずで付き添って、その気配すらも感じさせなかった。それでも危険が及べば、身を呈して守ってくれる…。


「ご迷惑をおかけして、すみません…」


言うとベルナルドは慌てて言う。


「迷惑だなんて!そんな事はございません!」


そしてベルナルドは私の前に跪いて言う。


「私はリリー様の護衛騎士です。時に盾になり、時に剣になる…そして時には寄り掛かる壁になりましょう。」


ベルナルドは顔を上げて私を見る。


「リリー様の御心がどのように吹き荒れているかは、私には分かりません。私にはリリー様をお導きするような大層な知見もございません。なので傍で仕えてお支えする事しか出来ません。」


そこでベルナルドは少し微笑む。


「ですから私の事は壁だと思って話してください。どんな事でもお話くらいなら聞けます。そしてこの壁はそのお話を口外する事はございません。例え殿下であっても、殿下からの命令であっても口外致しません。」


ホロッと涙が零れる。その涙を見てまたベルナルドが慌てる。


「リリー様!何故、泣いておられるのですか!」


ベルナルドは立ち上がり、オロオロする。そんなベルナルドを見て少し笑う。こんなに体が大きくて、精悍な顔付きで、きっと戦ったら強い人なのに、私一人が泣いたくらいで、オロオロするなんて。


「リリー様、屋敷に戻りましょう。きっと屋敷中、大騒ぎですよ。もしかしたらフィリップ殿下は騎士団を総動員して捜索を指示されるかもしれません。」


私は湖を見る。


「もう少しだけ、眺めたいです。」


言うとベルナルドが頷く。


「リリー様の御心のままに。」



日が沈んで行く。帰らなければ。しばらく湖を眺めながら心の中を整理した。婚約は既に成立している。今更、私が慌てたところで覆るものでも無いだろう。フィリップ様はお優しい方だ。私が拒めばきっと無理強いはしないでいてくれる。でもそれではダメだ。私自身が誰にも臆さず、フィリップ様の隣に立てる人間にならなければ。手を組んで祈りを込め、息を吸い込み、吐き出す。目を閉じて心を落ち着かせる。


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