「殿下、リリー様にお伝えしなくて良かったのですか?」
ソフィアと共にリリーが部屋を出て行った後、セバスチャンが聞く。
「あぁ、良いんだよ。リリーはまだ貴族としての生活に慣れてない。ここへ来て一ヶ月、やっと貴族らしいマナーや振る舞いが覚束無いながらも出来るようになって来ている。」
書簡に目を落とす。
「食事の量も増えて、やっと豊かな暮らしを享受出来るようになって来たんだ。それなのに、政治的な事まではまだ早いだろう。」
溜息をつく。
「父上の体調不良に暗殺の疑惑があるだなんて知ったら、心優しいリリーの事だ、きっと心を痛めるだろうし、不安も募るだろう。我々王族が常に暗殺の危険に晒されている事はもっと後になって知っても遅くは無い。」
セバスチャンを見る。
「リリーがそれを知るまでは、リリーにそれを知らせるまでは、我々がリリーを守ってやらなければいけないよ。」
セバスチャンが凛として微笑む。
「心得ております。」
ここ東部は豊かな土地だ。気候が温暖で療養地としても名高いが、貿易が盛んで各地方の貿易商が数多く滞在している。中央からは三日程かかる遠方でも中央への道は王太子である私が居る事で整備されている。東部の領地が広いのは対外的には王族の親戚が領主を務めて治めているからだと思われているが、その実は王太子である私が治めているからだ。貿易が盛んである一方で、治安が悪くならないように、密かに王室騎士団の精鋭たちが目を光らせている。
その筆頭がセバスチャンだ。
セバスチャンは私が幼い時から私に付いてくれている。そうしたのは国王である私の父上だ。セバスチャンは私が幼い頃、騎士団の団長を務めていたが、その才は騎士だけでなく、多岐に渡る。私に仕えるようになってからは本人の努力に伴い、その才覚は周りを圧倒した。思慮深く、常に警戒心を持ち、主人である私に忠実に従い、忠誠を誓ってくれている。実はセバスチャンのような人物が王になれば、もっと国が栄えるかもしれないとさえ思う程だ。それをセバスチャンに伝えてもセバスチャンはいつも笑ってそれを否定する。
「私めが程よくその才を発揮出来ているのは、殿下に仕えているからであって、私自身が何かを成し得るに値する程の価値はございません。」
いつだったか、雑談をしている時にセバスチャンにそう言われた。
「決断をするという事はそれはそれは大変な事にございます。私にはそれが出来ません。常に決断を迫られている我が主君に選択肢をご提示するのが私の役目、ありとあらゆる可能性を考慮し、どの選択肢を取ってもそれが最良になるように努めるだけでございます。」
こんなふうに言って貰える私は本当に幸せだ。だからこそ、その期待に応えなくてはいけない。今までは持病のせいで最低限の執務しかこなせなかった。リリーが来て治癒を施して貰えるようになってからは、こうして体を起こして執務に当たる事が出来るようになった。お陰でこなせる執務は格段に増え、セバスチャンの負担も少なくなっただろう。最近ではセバスチャンも使用人たちと雑談が出来るようになったと聞く。リリーが来てからこの屋敷の中は活気づいている。心無しか敷地内の草花も生気を取り戻したように感じる。
苛立っていた私はその怒りを何とか収め、国王の部屋を訪れる。
「あぁ、デルフィーヌか。」
私の夫であり、この国の王であるグレゴリーがベッドに横たわっている。何者かが毒を盛ったとも言われているが、真相は分からない。
「お体の具合はどうですか?」
聞くとグレゴリーは苦笑いする。
「どうだろうな…意識は保てているが、体を起こすと目眩がする。」
国王に毒を盛る事の出来る人間は限られている。王室侍医からは詳しい話は聞けなかった。
「お倒れになったのは何故です?」
聞くとグレゴリーが少し笑う。
「暗殺などでは無いから案ずるな。」
そしてグレゴリーが溜息をついて言う。
「王妃であるお前に話していなかったな。」
そこでグレゴリーが咳き込む。咳き込んでいる我が夫が可哀想でならない。
「我が一族は元々、体が弱いんだ。原因不明、完治不可の病にかかる者が多かった。いわゆる、不治の病だ。そんな一族が王族である事はこの国にとっては脅威だ。だからこそこの事は一族の者以外は知らぬ。」
グレゴリーが私を見る。
「デルフィーヌ、君に今まで話していなかったのは、私がまだ元気だったからだ。私が健勝に過ごしていれば、この国が揺らぐ事は無い、そう思っていた。」
そこでグレゴリーが少し悲しそうに笑う。
「君が子供を産んだ時に話すべきだったのに。」
グレゴリーの手を取る。
「フィリップの体が弱いのも、そのせい…」
グレゴリーが私の手を握り返す。
「あぁ、そうだ、すまない。」
本来ならこの人を憎んでも良さそうなのに、私にはそれが出来なかった。心から愛していたから。政略結婚とは言え、グレゴリーは私を慈しんでくれた。それを私自身が一番良く分かっている。
「フィリップは東部で健勝に過ごしていると便りがありました。婚約者であるモーリス家次女の献身のお陰だとか。」
グレゴリーが目を細める。
「モーリス家か。聖女の認定を受けているのは長女であったな。」
グレゴリーの頬を撫でる。
「そうです。なのにフィリップに嫁いだのは忌み子の次女…」
グレゴリーが少し笑う。
「まぁそう言うな。フィリップが健勝ならば、それで良い。」
心の奥底に埋めた希望と絶望が顔を出す。
「もしフィリップに何かあれば、その時は…」
「デルフィーヌ。」
グレゴリーに制される。
「その事は口に出さぬと決めたであろう?」
そう言われて俯く。
「そうですね…」
心の中に灯った淡い光がまた遠のく。
「あれはあれで努力を重ねている。実力だけで今の地位まで登って来ているのだ、それは奇跡に近い。母であるお前が手を貸したくなるのは分かるが、それをすればあれの行く手を阻むかもしれん。」
グレゴリーが微笑む。
「最善の策を取ったのだ、悔やむ事も多かろうが、堪えてくれ。」
お昼の食事を終え、治癒を施すとフィリップ様はまた執務へと戻られた。広大な領地を治めるのだから、その執務の量も多いのだと物知らずな私でも分かる。
「少しお散歩でもなさいますか?」
ソフィアの提案で屋敷内を歩く。大広間まで来て、壁に掛けられている肖像画に気付く。大きな肖像画は三人の人物が描かれている。
「国王陛下と王妃殿下、フィリップ殿下ですね。」
ソフィアが言う。フィリップ様はまだ幼く、それでもその金色の髪や瞳は目を引く。
「フィリップ様は王妃様に良く似ておられるのですね。」
言うとソフィアが微笑む。
「はい、金色の髪も瞳も王妃様から受け継いだのでしょう。」
眩いばかりの金色の髪や瞳。
「国王陛下の髪色は銀色…」
ソフィアがうふふと笑う。
「そうです、国王陛下は銀髪でいらっしゃいます。国中を探してもここまでお綺麗な銀髪の方はなかなかおりません。その瞳もまた銀色なのだとか。」
ソフィアを見る。
「お会いした事は無いの?」
聞くとソフィアは慌てて言う。
「私のような身分でお会い出来る方ではありません。中央の王都に居れば、祝祭の折に遠くからそのお姿を拝見出来る事もありますが、私は東部から出た事が無いのです。」
ソフィアは微笑んで言う。
「ですからここでフィリップ殿下にお仕え出来ている事も奇跡のような出来事なのです。フィリップ殿下は王国の太陽であらせられる国王陛下の嫡子でございますから。」
そう考えると先代の口約束とはいえ、私がフィリップ様の婚約者だという事は、とんでもない事のような気がして来る。もしこのままフィリップ様と結婚したら、私は王太子妃という事になる。
「リリー様…?」
体が震える。
「ソフィア、どうしましょう…」
ソフィアを恐る恐る見る。ソフィアが私の手を取って聞く。
「どうされましたか?」
このまま順当に行けば、フィリップ様はこの国の王になるお方…。
「私、自分の事でいっぱいいっぱいで、先の事など全く考えていませんでした…」
あぁ、どうしよう。私のような忌み子がフィリップ様と婚約だなんて、やっぱり大それている。
「ソフィア、やっぱり私では務まりません…」
ソフィアは私の手を優しく握って言う。
「そんな事はございません、リリー様は素晴らしい方ですもの。」
ソフィアの手を解く。
「リリー様…?」
フラフラと歩き出す。
「リリー様?どこへいらっしゃるのです?」
後に付いて来るソフィアに言う。
「少し一人になりたいので、下がって貰えますか。」