三日ほど経つ頃にはテイラーの新しい工房が完成した。完成した工房にテイラーが篭もりっきりになるのを見越して、工房にはテイラーの自室も作られた。別館に居た三日ほどでテイラーはいくつものデザインを描き、フィリップ様の指示で布地を売る商人が屋敷に来ていた。
「フィリップ様、お呼びですか?」
お部屋でソフィアとお勉強していた時にセバスチャンが来てお呼びだと言うので、応接室に来た。
「リリー、ちょっとこっちに来てくれるかい?」
応接室では所狭しとキラキラした宝石が並べられている。フィリップ様の隣に座る。
「リリー、この中で好きな物はあるかい?」
色とりどりの宝石。豪華なネックレスやイヤリング、指輪やブレスレット…。大きな宝石も小さな宝石もたくさん並べられている。キラキラしていて目が痛いくらいだ。好きな物と言われてもただ綺麗だと思うだけで、特に欲しいとは思わない。こんな宝石を付けている自分が想像出来ない。
「これはどうだい?」
フィリップ様が手に取ったのは黄金色の宝石が綺麗なネックレスとイヤリング、指輪のセット。
「そちらはイエローダイヤモンドでございます。」
宝石商だろうか、上品な感じの紳士が言う。イエローダイヤモンド…。
「フィリップ様の瞳と同じ色…」
呟くと急に周囲の空気が熱を帯びたように感じる。フィリップ様を見ると、フィリップ様は私から顔を背けている。ほんのり耳が赤い気がする。
「あの、私、何か失礼を…?」
聞くとフィリップ様は口元を隠しながら言う。
「あ、いや、別に、何でも無い。」
目の前の紳士が咳払いして言う。
「ご自分の瞳と同じ色の宝石を贈られるという事は、お二人が仲睦まじい証拠になります。」
仲睦まじい証拠…そう聞いて恥ずかしくなる。あぁ、そういう事…。後ろに控えていたソフィアが私に耳打ちする。
「リリー様もリリー様の瞳と同じ緑色の宝石を選ばれては?」
私の瞳と同じ色の宝石…。テーブルの上を見回して目に付いたのは薄緑色のカフスボタン。それを手に取ってフィリップ様に差し出す。
「これなどはいかがでしょうか…」
フィリップ様は微笑み、そのカフスボタンを受け取る。
「うん、いいね。すごく綺麗だ。」
そう言われると何だかくすぐったい。気恥ずかしくなり、テーブルを見回す。ふと目に付いた薄い青色のブローチ。これ、ソフィアの瞳の色だわ…。それを手に取ってソフィアに言う。
「ソフィア、あなたに似合いそう。」
ソフィアはビックリしたように私を見る。
「私は良いのです。」
それでもとても素敵なブローチを見つめる。フィリップ様が私の手の中にあるブローチに触れて、言う。
「君に似合いそうだ、ソフィア。」
フィリップ様が私の手の中からブローチを取り、ソフィアに渡す。ソフィアは遠慮がちにそれを受け取る。
「リリーが選んだんだ、受け取るべきだろう?」
そう言ってフィリップ様が微笑む。
「ありがとうございます。」
ソフィアはブローチを見て微笑む。
それからいくつか宝飾品を選び出すと、宝石商は帰って行った。
「テイラーの所にたくさんの布地を卸させた。布地も見に行くかい?」
フィリップ様に言われて頷く。完成した工房には既に何人かの針子たちが居て、楽しそうに作業している。私とフィリップ様が工房に入るとすぐ、全員が手を止めて挨拶してくれる。
「手を止めなくても良い、続けてくれ。」
フィリップ様が言う。テイラーが奥から出て来て、挨拶しようとするとのを、フィリップ様が制する。
「工房の様子を見に来たんだ、リリーに布地を見せてやってくれ。」
フィリップ様が言うとテイラーは頷いて、私とフィリップ様を奥へ促す。薄暗い倉庫にはたくさんの布が置いてある。
「どの布地も最高級の物ばかりです。」
テイラーが何だかとても嬉しそうだ。たくさんの布地を見ながら、これがこれからテイラーのデザインの服になるなんて、何だか不思議だった。
「何だか魔法みたい…」
私がそう呟くとフィリップ様が優しく微笑む。
「そうだね。服をデザインしたり、そのデザインを服として縫製したり、本当に頭が下がるよ。」
その服が派手であろうと、地味であろうと、作っている人が居る。さっきの宝石だって、ネックレスやイヤリング、ブローチに加工している人が居るのだ。そういう人たちに支えられて、豊かな暮らしをしているのだと実感する。
「お洋服、楽しみですけど、体、大事にしてくださいね。」
言うとテイラーが優しく微笑んで頷く。
「はい、リリー様にご心配頂く事の無いように、留意致します。」
ガシャーンと大きな音をたてて花瓶が割れる。
「お怒りをお収めください、王妃殿下。」
宰相であるマーカスが言う。怒りを収めろですって?どうしてこれが怒らずにいられるというの!肩で息をしながら割れた花瓶を見つめる。先代からの口約束だとしても、それはただの口約束では無かったの?!それでも聖女と認定されているモーリス家の長女ならまだしも、フィリップの元へ来たのは次女!双子の忌み子!忌み子がフィリップと一緒に居るなんて!フィリップは体が弱いのに、忌み子が来てしまっていたら、あの子の心も病んでしまうでは無いの!でも婚約は正式に決まってしまっている。私の夫である国王が調印したのだから。どうしたら良いの…いえ、待って。このままフィリップが中央へ戻らなければ、或いは…。
テイラーの作ってくれた服に袖を通す。驚く程に私の体にピッタリだった。何て素敵なんだろう。
「とてもお美しいです、リリー様。」
ソフィアがうっとりと言う。
「フィリップ殿下に見て頂きましょう!」
ソフィアはそう言うと私の手を引いて歩き出す。
「執務のお邪魔じゃないかしら?」
言ってもソフィアは微笑んで言う。
「リリー様がお邪魔な訳ありません!」
執務室の扉をノックする。扉が開いて顔を出したのはセバスチャンだった。
「リリー様。」
私は少し気まずい思いで言う。
「あの、フィリップ様はお手隙かしら…」
セバスチャンは微笑んで言う。
「大丈夫ですよ。」
扉が開かれる。執務室のデスクにフィリップ様が居た。
「リリー!」
フィリップ様は立ち上がって私の元へと歩いて来る。
「どうしたんだい?」
聞かれて俯く。服を見せに来たなんて、何だか恥ずかしい。
「テイラーさんの服を着たので、フィリップ殿下に見て頂きたくて、参りました。」
背後でソフィアが言う。
「道理で。今日のリリーはいつにも増して輝いて見えるよ。」
フィリップ様が手を差し出す。
「良く見せてくれるかい?」
フィリップ様の手の上に自分の手を重ねる。フィリップ様は私の手を引いて部屋の中央まで来る。そして私の周りをグルっと一周して言う。
「うん、いいね。とてもよく似合っている。」
フィリップ様は私の前に立つと私の手を取り言う。
「リリー、顔を上げて。」
フィリップ様を見る。フィリップ様は微笑んで言う。
「他の服が出来たらまた見せに来てくれるかい?」
こんなに些末な事でも時間を割いてくださるフィリップ様は何てお優しいんだろう。
「執務のお邪魔ではありませんか?」
聞くとフィリップ様は私の頭をポンポンと撫でる。
「邪魔なんかじゃないさ。リリーが私の所に来てくれるだけで嬉しいよ。」
不意にフィリップ様のお顔が曇る。
「何か、ありましたか?」
聞くとフィリップ様は苦笑いして言う。
「うん、中央から書簡が届いてね。」
フィリップ様はデスクの上に置いてある手紙を手に取ると私に差し出す。
「読んでもよろしいのですか?」
聞くとフィリップ様が頷く。手紙に目を落とす。そこには国王陛下がご体調を崩していらっしゃる事が書かれていた。
「フィリップ様、これは…」
フィリップ様は少し考え込んで言う。
「うん、今はまだ中央に居る神官で何とかなっているらしいから、そこまで心配する必要は無いみたいだけどね。」
フィリップ様に手紙を戻す。
「私は持病の療養の為にここに居るから、急いで中央へ戻らなくてはいけない事態では無いけれど、もしかしたら中央に戻らなくてはいけない時が来るかもしれないね。」