「フィリップ殿下はお体が弱くていらっしゃるので、私がデザインしたお洋服を着ていても、なかなか人の目には付かなくて、それも残念なのですけれどね。」
サマンサは扇子を優雅に操って微笑む。その微笑みは何だか居心地が悪い。
「リリアンナ様はどちらのご出身で?あまり外には出られていないようにお見受け致しますけれど。」
何て答えようか迷う。私がモーリス家の忌み子だという事はまだ知られてはいないようだけど。
「何かお話になって頂かないと、こちらとしてもリリアンナ様のご意向を汲んで差し上げる事が出来ませんのよ?」
ご意向…そう言われても私には分からない。色んな提案をして貰ったけれど、どれも良く分からない。自分が好きな色もデザインも、初めて触れるものばかりで何が好きかも分からない。どうしよう、こんな私では失望させてしまう…。そう思った時、扉が開いてフィリップ様が姿を現した。
「王国の星、フィリップ殿下にご挨拶申し上げます。」
すぐさま、サマンサがソファーから立ち上がり挨拶する。フィリップ様は片手を上げてその挨拶をかわし、私の居るソファーまで歩いて来ると、私の隣に座る。
「サマンサ、私の婚約者を困らせないでくれるかい?」
フィリップ様は私に微笑んで頷く。
「君にはここへ来る前に説明があっただろう?リリーはまだ社交界にも出していない、私だけの秘密の花なんだ。これが何を意味するのか、分からない君じゃない筈だが?」
サマンサは下を向いて言う。
「申し訳ございません、殿下。」
あぁ、これは私が何も決められないからサマンサが怒られているのだと分かる。隣に居るフィリップ様の腕に触れる。
「フィリップ様、彼女は悪くないのです、私が何も決められないから…」
言うとフィリップ様が私の頭をポンポンと撫でる。
「リリーのせいじゃないよ。そうだな?サマンサ。」
言葉が強い。サマンサの顔色が白くなる。
「はい、殿下。」
フィリップ様は私の手を取ると、サマンサに言う。
「私がどんなふうに君に頼んだのか、一言一句違えずに言ってみろ。」
サマンサの体が少し震えている。
「婚約者様に服をプレゼントしたいので誂えて欲しい、婚約者様のご意向を取り入れて欲しいが無理強いはするな、と。」
フィリップ様が言う。
「それから?」
サマンサが震える声で言う。
「詮索はするな、私情を挟むな、と仰いました…」
フィリップ様が溜息をつく。
「君が無理なら他の者にやらせるだけだ。リリーは私の婚約者だ。失礼な態度は許さない。こんなに輝いているリリーの良さが分からない者に作らせる気は無いからな。いくら君が東部一のデザイナーであっても、だ。」
その場に居る全員がフィリップ様の言葉で固まる。
「普段は私の分しか作っていないから、急に女性用と言われても困ると、そう申したそうだな?」
サマンサは俯いたまま、何も言わない。
「それならば他の者にあたるとしよう。君でなければいけない理由はこちらとしては無いからな。」
サマンサは顔を上げたけれど、何も言えない。フィリップ様がサマンサを一瞥していたからだ。
「勘違いするなよ、私には君でなければいけない理由など無いんだ。君が東部で一番なのは、私の服を作っているという事が大きな理由である事は言わずとも分かっていると思っていたがな。」
フィリップ様は私に微笑むと言う。
「セバスチャン、デザイナーがお帰りだ。お見送りを。」
セバスチャンがサマンサに促す。
「お帰りはこちらでございます。」
「リリー、すまないね。嫌な思いをさせてしまった。」
フィリップ様が言う。
「いえ、私が何も出来ないので、返ってすみません。」
東部一のデザイナーを帰らせてしまった。
「サマンサは立場というものを理解していなかった。今までは私があまり外に出る事が無かったから、デザイナーなど誰でも良かったんだ。」
フィリップ様は私の手を取り言う。
「これからは違う。リリー、君が私の傍に居る限り、私は自由に動けるようになるだろう。今日もとても気分が良いんだ。だから出掛けようか。」
驚いてフィリップ様を見る。
「デザイナーを探しに行こう。街に出て君の気に入るデザイナーに服を作らせよう。」
馬車に乗る。目の前にはフィリップ様が微笑んでいる。昨日までベッドに伏せっていた人なのに。
「本当に大丈夫ですか?」
聞くとフィリップ様が微笑む。
「大丈夫だよ、リリーが居るからね。」
街に到着する。フィリップ様にエスコートされて歩く。
「どこが良いかな。リリー、気になったものは何でも教えて欲しい。」
こんなふうにエスコートされる事にも慣れていないのに、周りを見る余裕なんて無い。どうしよう。そう思っていると、後ろに控えていたソフィアが言う。
「殿下、リリー様がお困りです。そんなに急かさないでください。」
フィリップ様はクスッと笑う。
「そうだね、ソフィアの言う通りだ。」
王太子殿下であるフィリップ様にそんなふうに言えるソフィアはすごいなと思う。
「ソフィアこそ、少しフィリップ殿下に失礼なのでは?」
そう言ったのはウェルシュ卿だ。
「私はリリー様の専属侍女です、リリー様が一番なのですから、お相手が殿下であっても、それが苦言であっても申し上げます。」
フィリップ様がまた笑う。
「ベルナルド、良いんだよ。こういう事は客観的に見ている者の方が良く分かるものだ。ソフィアにはそうするように私から言い付けているからね。」
そんなやり取りを見ていて、私は心が温かくなる。お互いに思った事を口にして、それが多少失礼であっても許される、家族みたいだなと思う。私には縁遠いもの…。フィリップ様が私の顔を覗き込む。
「リリー?そんなに悲しそうな顔をしてどうしたんだい?」
ハッとする。すぐに笑みを作って言う。
「いえ、何でも…」
フィリップ様は私の手に自分の手を添えて言う。
「今すぐには無理だろうけど、いつかは、リリーが思っている事を教えてくれると嬉しい。」
こんなふうに優しくされる事に慣れていない。私はいつでも下女扱いだったから。不意に私の横にソフィアが来る。
「リリー様、殿下に言いにくいのであれば、私がお聞きします。」
屈託の無い笑顔。ここに居る人たちは本当に優しい。
「私でよろしければ、私でも。」
ウェルシュ卿が咳払いしながら言う。
「ベルナルドには言いにくそうだなぁ。」
フィリップ様が笑う。
「どうしてですか!顔が怖いからですか!」
そんなやり取りを見て笑う。
街を歩いてフィリップ様に街の事を聞く。王都と変わらない程、繁栄している東部にはたくさんの商人や貿易商などが滞在していて、街もそれに応じて大きくなったのだという。
「ここの気候が穏やかだから、私はここに居るけれど、王都と変わらないくらい栄えているからね、困る事は何も無いんだ。」
歩きながらふと、目に入ったのは、小さな服飾店。ショーウィンドウに飾られたドレスを見て、足が止まる。昔、童話で見たお姫様のドレスのような、淡い水色のドレス。決して派手では無いけれど、キラキラと光るガラス玉がドレスに散りばめられていて、大きなパフスリーブも付いていない。
「リリー?」
呼びかけられてハッとする。
「あの店が良さそうだね。」
フィリップ様が微笑む。
店に入ると出て来たのは体の大きな男の人。
「あのショーウィンドウに飾られているドレスのデザイナーに会いたいんだが。」
フィリップ様が言うとその人はぶっきらぼうに答える。
「あれを作ったのは俺だ。」
全員が驚きを隠せない。こんなに大きな体の男の人があんなに繊細なドレスを作ったというの?フィリップ様が笑う。
「そうか、君なのか。」