「キトリーから聞いているよ。働き者だったそうだね。」
フィリップ様は微笑んで言う。そうか、キトリーはフィリップ様がモーリス家へ寄越したんだった。ならばフィリップ様へ報告が行っていてもおかしくは無い。
「働き者だなんて、そんな…それしか私の生きる術が無かっただけです。」
フィリップ様が俯く私の頬に触れる。
「顔を上げて。」
フィリップ様の美しい笑みが目の前にある。
「君はもうモーリス家の忌み子では無い。東部を治めるグリンデルバルド家の正式な婚約者だ。胸を張って良い。」
フィリップ様が私の頭をポンポンと撫でる。
「それに私の癒し手でもある。」
フィリップ様は微笑んで私に言う。
「もういいよ、ありがとう。とても楽になった。」
そして私を見て、セバスチャンに言う。
「セバスチャン、グリンデルバルド家の婚約者にはそれ相応の対応を、当主である私が自らやらなくてはいけないな?」
セバスチャンは微笑んで頷く。
「はい、殿下。」
フィリップ様は片手を上げると言う。
「屋敷に東部一のデザイナーを呼べ。リリーの為に何着か作らせろ。」
驚いてフィリップ様に言う。
「そんな、お止めください。」
フィリップ様は微笑んで首を傾げる。
「何故だい?」
何故って、だって…。
「私の為になんて、恐れ多いです…」
言うとフィリップ様が笑う。
「リリー、これはね、内緒の話なんだけどね。」
フィリップ様の顔が近付く。
「私はひと月に何着か服を作らせないといけないんだ。作らせて欲しいとデザイナーの方から頼まれているんだよ。きっとデザイナーの方も私の服ばかりで飽き飽きしているだろう?たまには女性の服も作りたいだろうからね。だからこれは人助けだよ。」
フィリップ様とお昼を一緒に食べる。
「リリーは何が好きかな。」
フィリップ様に聞かれ、私は笑う。
「特に好き嫌いはありません。」
食べられれば何でも食べた。そうしなければ生きられ無かったから。
「これからは色んなものを食べて、色んなものに触れて、好きか嫌いかを教えて欲しい。」
フィリップ様は目を細める。
「リリーの周りはリリーの好きなもので埋めてあげたいんだ。」
そんな事を言われたのは初めてだった。この人はそれが出来てしまう程の人…そしてそれは私に向けられている。
執務室に戻る。
「セバスチャン、ベルナルドを呼んでくれ。」
セバスチャンがすぐにベルナルドを部屋に入れる。
「お呼びですか、殿下。」
ベルナルドは私の側近であり屈強な騎士だ。子爵家の三男坊だが剣の才があり、その身一つで騎士団で頭角を現した。
「ベルナルド、君にリリーの護衛を命じる。」
言うとベルナルドは視線を下げて言う。
「殿下の仰せのままに。」
お昼を食べ終えて、部屋に戻る。すぐに扉がノックされる。
「どうぞ。」
私が言うと入って来たのは赤髪の精悍な騎士。この人はフィリップ様に付いていた騎士の人だと分かる。
「フィリップ殿下よりリリー様の護衛を命じられました、ベルナルド・ウェルシュと申します。」
礼儀正しくお辞儀をするその人は表情一つ変えない。
「ウェルシュ卿、リリー様が怯えてしまいます、そんな怖いお顔をしないでください。」
ソフィアが笑う。
「怖い顔と言われましても、元からこういう顔なのです。」
少し困った顔をするウェルシュ卿は何だか少し可愛かった。ソフィアはウェルシュ卿に近付くとウェルシュ卿の頬をつねる。
「ほら、笑ってください。」
そんな様子を見て私も笑う。こんなに大きな体格の騎士にも物怖じしないソフィアはすごいなと思う。
「リリー様、ウェルシュ卿はこんな怖い顔をしていますが、心根は優しいので、ご安心くださいね。」
「リリー様、これからは空いているお時間に私とお勉強しませんか?」
ソフィアが言う。
「お勉強?」
聞くとソフィアが頷く。
「フィリップ殿下からリリー様の事情についてはお聞きしています。今まで淑女としてのお振る舞いなどを学ぶ機会が無かったと。なので私がお教え出来る事は全てお教え致します。」
そうだ、私は下女として生きて来た。こんなに素敵な服を来て優雅にお茶を飲むような立場では無い。フィリップ様と婚約したのだから、私が下品な振る舞いをしたら、それはフィリップ様にもご迷惑をかける事になる。
「よろしくお願いします。」
言うとソフィアが笑う。
「そういう時もソフィア、お願いねと一言仰るだけで良いのですよ。」
その日からソフィアは私に貴族としての振る舞いを教えてくれる事になった。食事のマナーやお茶のマナー、自分よりも下の者に対する振る舞いや、目上の人に対する振る舞い…。学ぶ事がたくさんあって、また熱が出そうだった。
「少し休憩にしましょう。」
ソフィアに言われて息をつく。お茶を飲んでいると扉がノックされる。
「どうぞ。」
言うと入って来たのはセバスチャンだった。
「リリー様、デザイナーがいらっしゃいました。広間へお願い致します。」
広間へ入る。思ったよりも多くの人たちが居た。その中から一際目立つ女性が私の前に来る。紫色の派手なドレス、完璧に施されたお化粧、目の前に現れただけでその存在感に圧倒される。その人は私を見ながら挨拶をする。
「王太子殿下の婚約者様であらせられるリリアンナ様でございますね。私は王太子殿下のデザイナーをさせて頂いております、サマンサ・カーターと申します。本日はリリアンナ様のお洋服のデザインのご相談に参りました。」
実はデザイナーの人にはあまり良いイメージが無かった。モーリス家は裕福ではあったけれど、デザイナーを呼べるほどの家柄では無い。それでもお姉様が聖女であった事で何人かのデザイナーが出入りしていた。そのどのデザイナーも高飛車で高慢、自分の自慢ばかりだったから。この人もそうなんだろうか。挨拶を終えたサマンサは顔を上げて私を見る。一瞬、緊張する。
見極められている、と感じた。
サマンサは貼り付けたような笑顔で聞く。
「リリアンナ様にお洋服を提案させて頂くので、採寸をしたいのですが、お手を触れても?」
触れても良いか?と私に聞いているの…?傍に居たソフィアが私に耳打ちする。
「リリー様、微笑んで頷くだけで良いのですよ。」
言われて私が頷くと、サマンサが促す。
「それでは、こちらへ。」
採寸を終えると、今度はデザインの相談だった。カタログを見ながらサマンサが捲し立てる。
「リリアンナ様はどのようなデザインがお好きで?私が見るにリリアンナ様はお痩せになっているので、このようなデザインは似合いませんわね、それでしたら、こちらのデザインなら体型をカバーして優雅に見せる事も出来ますが…」
サマンサはそこで一つ息をつく。
「何せ急なご依頼なので、こちらとしても驚いておりますのよ、普段はフィリップ殿下のお洋服しか作っておりませんので、女性用と言われましても、ね。」
棘のある言い方。でもこの程度なら以前の屋敷では当たり前だった。特段、気にする事でも無い。ソフィアが部屋を出て行くのが見えた。
「フィリップ殿下は素晴らしいお方ですわ、この私を重用してくださって、私のデザインをお気に召していらっしゃる、お目が高いお方です。今日もフィリップ殿下のお洋服をお作りするのでは?と思ってこちらに出向いたのですけど、残念ですわ。」
あぁこの人もモーリス家に来ていた人たちと同じなんだ、とそう思った。