扉がノックされる。
「失礼します。」
そう言って入って来たのはソフィアだ。
「おはようございます、フィリップ殿下。」
支度をしながらソフィアに言う。
「おはよう、ソフィア。」
そして微笑んで言う。
「ソフィア、君に頼みがある。」
テキパキと支度を済ませてくれるキトリーにされるがままになる。扉がノックされる。
「入りなさい。」
キトリーが言う。失礼しますと言って入って来たのは一人の女性。私と歳は同じくらいのように見えた。
「ソフィア・アゼルタインと申します。フィリップ殿下より、リリー様の侍女として仕えるよう、申しつかりました。」
完璧な所作で挨拶する。とても綺麗な人だ。
「ソフィアはこの屋敷に最近、入って来た子のようです。リリー様、ご挨拶を。」
言われて私は慌てる。
「あの、よろしくお願いします…」
お辞儀をするとソフィアが駆け寄って来る。
「頭など下げてはなりません。リリー様はフィリップ殿下の婚約者様でいらっしゃいます。こういう時はよろしくね、と一言仰るだけで良いのです。」
キトリーがクスクス笑い出す。
「ソフィア、リリー様はこういう扱いにまだ慣れていらっしゃらないのです、なのでソフィアが傍に付いて、リリー様に内緒で耳打ちするのですよ?」
ソフィアは微笑んで頷く。
「かしこまりました。」
ソフィアは私の手を取ると言う。
「リリー様、これから誠心誠意、お仕え致します。」
広間に行く。テーブルには私とフィリップ様の分しか並んでいない。座りながら私はソフィアに聞く。
「貴方の分は?」
聞くとソフィアが耳打ちする。
「私はリリー様の侍女にございます。なので、お食事はご一緒出来ません。」
そうか、そうよね。私もモーリス家に居た時は誰とも食事を一緒にしなかったもの。
「ソフィアも一緒が良いかい?」
フィリップ殿下に聞かれ、私は迷う。こんな我儘言って良いものなのか。しかも来たばかりで。俯いて答えられないでいる私を見てフィリップ様が微笑む。
「食事は多い方が楽しいだろう、ソフィア、君も食事をとりなさい。」
顔を上げてフィリップ様を見る。フィリップ様は優しく微笑んで頷く。
「さぁリリー様、とりあえず湯浴みしてしまいましょう。」
食事を終えるとソフィアがリリーを連れて行く。
「打ち解けたようですね、殿下。」
セバスチャンがお茶をいれてくれる。
「そうだな、ソフィアが上手くリリーを和ませてくれると良いな。」
セバスチャンはお茶を飲んでいる私を見て目を細める。
「ん?何だ?」
聞くとセバスチャンが微笑む。
「このようにお体を起こしてお食事をし、食後のお茶まで飲まれるのは、いつぶりでしょうか。」
そう言われて笑う。
「そうだったな。」
セバスチャンは目元を押さえ言う。
「ご無理はなさらぬよう、お願い致します。」
お茶を飲みながら言う。
「あぁ、分かっている。」
ホッと息をつき、セバスチャンに聞く。
「リリーは何が好きかな。」
セバスチャンは咳払いをして言う。
「女性に一番最初に贈られるのなら、お花が良いかと。」
窓の外を見る。
「花、か。」
リリーを思い出す。白百合のような白い肌…。
「百合は咲いているか?」
セバスチャンが頷く。
「はい、殿下。」
セバスチャンに言う。
「なら百合をリリーの部屋に。」
セバスチャンは視線を下げて言う。
「かしこまりました。」
湯浴みを手伝って貰うなんて初めてだった。
「リリー様の御髪はとても綺麗ですね。」
ソフィアが言う。そんな事、考えた事も無かった。長くては邪魔になるので切ろうと思っていたくらいだ。いつもキトリーに止められて切るのを断念していたけれど。
「リリー様はお痩せになっていて、私は心配です。」
そう言われて苦笑いする。痩せているのは分かっている。それも仕方なかった。食事が無い事は良くあったから。それでも体に傷は無い。あの不思議な力で自身の傷も治せるからだ。
湯浴みから戻ると部屋には百合の花が飾られていた。真っ白な百合とその香りが部屋に広がっている。
「まぁ、素敵ですね、リリー様。」
私の髪を拭きながらソフィアが微笑む。
「きっとフィリップ殿下からですね。」
身支度が整う。
「今日はこのまま屋敷をご案内させて頂きますね。」
ソフィアにそう言われて私は頷く。今までの私ならもうこの時間にはモーリス家の屋敷内を掃除して回り、洗濯をして、干して…そんなふうに下女としてバタバタと動いていただろう。今は簡素ではあるけれど、着た事の無いような服を着て、屋敷の中を歩いて回っている。今日はソフィアの提案で若草色の服を着ている。すれ違う使用人たちは私が通り過ぎるまで頭を下げていて、ついこの間まで私も同じように頭を下げる立場に居たのに、不思議な気分だった。
「こちらがフィリップ殿下の執務室でございます。」
執務室の前には護衛騎士が立っている。護衛騎士の方も私が目の前に来ると頭を下げて挨拶してくれる。フィリップ様の執務室は意外と寝室に近いのだなと思う。
「寝室に近いのですね。」
言うとソフィアが微笑む。
「フィリップ殿下はお体が弱いので、移動はなるべく避けておいでです。リリー様がいらっしゃる前までは執務はほとんど寝室のベッドの上でなさっておいででしたので。」
ベッドの上でも執務をしなくてはいけないというのは何だか可哀想だなと思う。お体が弱いのはきっと辛いだろうに。どこか 痛かったり、苦しかったりするお時間が少しでも減るように、尽力したいと思った。
屋敷を出て少し歩くとそこには温室があった。温室は花でいっぱいだ。温室の真ん中にはティーテーブルと椅子が設置されていて、その後ろにはソファーまであった。
「時折、フィリップ殿下がここへいらっしゃるのですよ。」
きっとお体が辛い時の為のソファーなんだろうなと思う。この屋敷の敷地内には至る所に椅子やソファーが置かれていて、きっとフィリップ様の為なんだろうと察する事が出来た。私は生まれてからずっと、病気一つした事が無かった。風邪をひいて熱を出しても翌日には治っているし、切り傷程度ならば、ほんの少しその傷に光をあてるだけで治ってしまう。今までで一番、その光の力を使ったのはキトリーの時だけ。そう思い至ると、私は恵まれていたのかもしれないなと思った。
「リリー様、お時間を頂けますでしょうか。」
部屋に戻ると執事のセバスチャンが言う。
「えぇ、もちろん。」
セバスチャンについて行くと到着したのはフィリップ殿下の執務室だった。中に入るとフィリップ様がソファーに座って休んでいるようだった。顔色があまり良くない。私はフィリップ様に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
聞くとフィリップ様は少し苦しそうに息をして言う。
「すまない、少し、傍に居て貰えるだろうか。」
私はフィリップ様の横に座り、その手を取り、背中をさする。白い光が私の手から溢れ出して、フィリップ様の体に溶け込んで行く。フィリップ様の呼吸が徐々に整って行く。
「あぁ、すごいな…君に触れていて貰うと本当に体が楽になる。」
私はフィリップ様に言う。
「お辛くなる前に呼んでください。いつでも私はフィリップ様の元へ参ります。」
フィリップ様は私に微笑み、言う。
「ありがとう。でもあまり力を使い過ぎると昨日のように倒れてしまわないか、心配でね。」
フィリップ様の背中をさすりながら言う。
「昨日はここへ着いたばかりで、疲れていたのだと思います。たくさん睡眠をとらせて貰いましたし、ここへ来る前は屋敷の掃除などをして働いていたので、元々体力はあるんです。」
そこまで言って、ハッとする。フィリップ様は私が前の屋敷で下女のように働いていた事を知っていらっしゃるのかしら、と少し不安になる。