目の前の彼女が急に倒れる。
「リリー!」
顔が赤い。キトリーとセバスチャンが駆け寄って来る。リリーに触れると体が熱かった。
「熱があるようだな。」
言うとキトリーが苦笑いする。
「リリー様はこれまで屋敷の外に出た事が無かったのです、ここまでの旅程でかなりお疲れなのでしょう。」
入口で控えていた護衛騎士のベルナルドに言う。
「ベルナルド、彼女を運んでくれ。」
ベルナルドが彼女を抱き上げる。キトリーがベルナルドを誘導しようとするのを制して言う。
「私のベッドに。」
そこに居た皆が驚きの表情を隠さなかった。
「リリー様、リリー様。」
呼びかけられる。ここは…?あの小屋の中?あぁ、夢だったのね、そうよね、こんな都合の良い話なんかある筈無いもの。
「リリー様、リリー様。」
キトリーの声だわ。もう起きる時間かしら。寝返りを打ち、目を覚ますと目の前にはフィリップ様の美しいお顔があった。ハッとして起き上がった途端、クラクラして倒れ込む。
「リリー、大丈夫かい?」
フィリップ様が聞く。
「あの、私は…」
キトリーが言う。
「お嬢様はやっぱりお熱をお出しになられたのですよ。なのでお部屋にお運びしようとしたのですが、殿下がどうしても、とお譲り下さらなくて。」
良く見れば私はフィリップ様のベッドに横になっている。
「すみません、すぐにどきますので…」
そう言う私の腕にフィリップ様が触れる。
「いや、居てくれると助かる。」
フィリップ様は微笑んだまま言う。
「リリーが傍に居るだけで、体がすごく楽なんだ。私の我儘だが、傍に居て貰えるかい?」
この人にそう頼まれて断れる人が居るんだろうか。
「リリー様も横になられた方がよろしいかと思います。まだお熱がありますので。」
キトリーが優しく言う。体を横たえる。
「私は熱を出して、気を失ったの?」
キトリーに聞くと、キトリーが答える。
「お嬢様は長い旅程でお疲れだったのでしょう。」
すぐ横に居たフィリップ様が私に布団を掛けてくれる。
「きっと私の体を気遣って、治癒を施してくれた事も重なっているんだろう。」
キトリーが私の額に濡れた布を置いてくれる。冷たくて気持ち良かった。
「熱があるんだ、眠ると良い。」
フィリップ様は横になると、私に手を差し出す。
「触れても?」
聞かれて私はおずおずとフィリップ様の手に自分の手を重ねる。淡く白い光がフィリップ様と私の手を包む。
彼女が眠る。眠っている彼女を見つめる。白百合のように白い肌、亜麻色の髪、透き通るような翠眼。熱のせいで薄く紅く染まった頬、なのに手は荒れていて、痩せている。どこか影のある彼女には紛れもなく聖女の力が備わっている。しかも無自覚だ。これ程の神聖力があるにも関わらず、無自覚だなんて。今までどんな生活をして来たのか。彼女を起こさないようにベッドを出る。セバスチャンが私を支えようとするのを制する。
「大丈夫だ、歩ける。」
彼女の神聖力での治癒で体がかなり楽になった。今のうちに事情を聞いておく必要がある。執務室に移動する。キトリーとセバスチャンがついてくる。
「で、どんな様子だった?」
キトリーは厳しい顔付きで言う。
「お送りしたお手紙の通りでございます、殿下。」
溜息をつく。
「そうか。」
キトリーからは定期的に手紙が届いていた。この八年、ずっと。先代からの口約束でモーリス家との婚約、婚姻は決められていた。私の病は生まれ付きだった。歴代の聖女や神官たちによってその都度、治癒は受けて来たけれど、完治は出来なかった。そして今の代になってモーリス家の双子に聖女の兆しが見えたと聞いて、運命的な何かを感じた。だからキトリーをモーリス家に送ったのだ。
先代まではモーリス家の評判は良かった。しかし、今の当主になってからはあまり良い噂は耳にしなかった。聖女であるエリアンナは聖女である事を盾にして身勝手に振る舞っていると聞いていたし、その父であるモーリス家当主は聖女と認定されているエリアンナを政治の道具として、より良い家門との繋がりを画策しているようだった。
その影に隠れて、リリーはモーリス家によって隠されていた…?
いや、違う。家の誰もがエリアンナを聖女として疑ってはいないんだろう。忌み子であるリリーが聖女だとは誰も考えもしなかったんだろう。家から出る事を許されず、こんなにも神聖力に溢れているのに、それを誰も知らずにいたのは不幸中の幸いだったのかもしれない。きっと家の者も彼女自身もリリーが聖女であるとは思っていないんだろう。だからこそ、彼女はここへ婚約者として送り込まれたのだろうから。
「あれ程の力を持っていながらにして、家の者たちは彼女の力について知らないのか?」
聞くとキトリーが諦めたように少し笑う。
「モーリス家の者たちは姉のエリアンナ様が聖女だと思い込んでおられます。なので忌み子であるリリー様にそんな力がある筈無いと思っているのでしょう。それに、リリー様ご自身も無自覚ではありますが、そのお力を隠しておいででした。私の見聞きの及ばないところで、もしかしたらリリー様は誰かにそのお力を抑えるように強く言われていたのかもしれません。」
セバスチャンが言う。
「リリー様は大変、お痩せになっておられます。その神聖力によってご自身の体は護られているとしても、私は心配です。」
そう言われて笑う。
「そうだな、たくさん食べさせて、たくさん笑って貰えるように、私たちが努力しよう。」
人は自分が見たいものしか見ない。モーリス家にとって忌み子であるリリーが聖女である事なんて有り得ない。長子であるエリアンナこそが聖女でなければならないのだ。それが事実でなくても。体調が良いうちに執務をしておこう。
「セバスチャン、リリーの侍女にはソフィアを付けようと思うんだが。」
執務をしながら言うとセバスチャンが微笑む。
「それが良いと思います。」
ソフィアは最近になってこの屋敷に来始めた伯爵家の三女だ。貴族としてのきちんとしたマナーも身に付いている。何よりも心根が優しい。
「明日の朝一番にソフィアを呼んでくれ。私から言おう。」
深夜になり、ベッドに横になる。リリーは熱が下がったのか、スヤスヤと眠っている。彼女の手に触れる。フワッと白い光が彼女の手から漏れ出し、私の手を伝う。ずっと重苦しかった呼吸が楽になる。これまで受けたどんな治癒でも、こんなに短時間でここまで楽になる事は無かった。リリーの神聖力の深さと大きさはどれ程のものなのか、計り知れないなと思う。
温かい…柔らかい…ふと目が覚める。
「目が覚めたかい?」
目の前ではフィリップ様が微笑んでいる。ハッとして私は急に恥ずかしくなり、布団を被る。
「おはようございます…殿下。」
言うとフィリップ様が笑う。
「おはよう、リリー。体調はどう?」
聞かれて私は言う。
「たくさん寝かせて頂いたので大丈夫です…」
フィリップ様はクスクス笑って言う。
「それじゃあ、朝食にしよう。」
ベッドを出るとキトリーが来る。
「リリー様、お部屋にご案内致します。」
見れば私はドレスを着ていなかった。キトリーがガウンを掛けてくれる。少し慌てる私にキトリーが耳打ちする。
「昨日、お熱を出されたので、私がドレスを脱がさせて頂きました。なのであらぬ誤解はされませんよう。」
キトリーは微笑んで私を促す。歩きながら思う。誤解も何も。私のような何の価値も無い人間がフィリップ様のベッドで眠ってしまっただけの事だ。
「フィリップ様に失礼では無かったかしら。」
言うとキトリーが微笑む。
「失礼だなんてとんでもございません。フィリップ殿下ご自身がそうなさるように言い付けたのですから。」
部屋の扉が開く。
「こちらがリリー様のお部屋にございます。」
そこはとんでもなく広く、キラキラと輝いているように見えた。
「この部屋が、私…の…?」
キトリーは微笑んで頷く。
「はい、リリー様はこれからここで過ごされるのですよ。」
私が今まで過ごして来た小屋とは天と地ほどの差がある。私には価値が分からないけれど、恐ろしく高価な物である事くらいは分かる調度品の数々。清潔な部屋。
「こちらをお召しになってくださいませ。」
キトリーが出して来たのは淡いベージュの服。私が見ても仕立てが良いのだと分かる服。今までの私を囲む環境とは違うのだと実感する。