今、目も前にいる見目麗しいこの人が、あの醜悪極まりないと噂の領主様…?いや、何かの間違いに違いない。
「ねぇリリー、そんな格好で屋敷の中をウロウロしないで頂戴。」
私は目を伏せ、跪いたまま言う。
「かしこまりました。」
周りにいるお姉さまの侍女やこの屋敷の使用人でさえ、その様子を見てクスクス笑っている。
「ホント、使えないあなたと双子だなんて信じられないわ。」
お姉様はそう言うと私のすぐ傍にあった花瓶をわざと倒す。花瓶の水が私にひっかかり、花瓶は床に落ちて割れる。
「着替える口実が出来たわね。」
そう言ってお姉様が笑う。
「何事なの?」
花瓶の割れる音が大きかったのか、お母様が現れる。お母様は私とお姉様を見て、溜息をつくと言う。
「エリアンナ、そんな子と話したらダメよ。あなたは聖女なんだから、忌み子と一緒に居たら、汚れるわ。」
扇子で口元を隠し、そう言うお母様の視線は冷たい。
「それもそうですわね、お母様。」
お姉様がそう言いながらお母様の手を取る。お母様は私を一睨みすると言う。
「さっさと片付けなさい。」
そう言い捨ててお母様とお姉様、侍女が歩き去る。私は床を雑巾で拭き、割れた花瓶の片付けをする。
「痛っ…」
花瓶の欠片で指先を切る。血が滲んでいるけれど、そんな事に時間を使えない。箒と塵取りを持って来なくちゃ。立ち上がると使用人の一人が駆け寄って来る。
「大丈夫ですか、リリーお嬢様。」
そう声を掛けてくれたのはこの屋敷の中で唯一、私をお嬢様と呼んでくれる使用人のキトリーだ。
「大丈夫よ、キトリー。」
キトリーは私の濡れた格好を見て、悲しそうな顔をする。
「そんな顔しないで、キトリー。片付けしちゃいましょう。」
私とお姉様であるエリアンナは双子として生まれた。この国では双子は忌み嫌われている。その昔、王家に双子が生まれた事で骨肉の争いが起こり、国が転覆しかけた事がきっかけだったそうだ。通常なら双子として生まれたならば、後から生まれた者はその場で生まれなかった事にされる。死産という形で。けれど、私の場合は生まれた瞬間にお姉様に聖女としての兆しが見えた事で、命が救われた。幼い頃からお姉様とは区別され、私は忌み子として嫌われ、この屋敷から出る事も許されず、下女の扱いを受けて来た。使用人たちからも忌避され、敷地内にある小さな小屋に住まわされている。
それでも。
生きていられるだけ、有り難い事だと思っている。本当ならば私は生を受けてはいけない子だからだ。
双子はその魂を互いに分け与えていると考えられている。本来は後から生まれて来た者の魂を先に生まれた者に帰すという意味合いを込めて、間引いていたようだ。しかし、生まれて来たのが聖女の場合はそれに該当しない。お姉様と私が生まれた時、聖女の兆しを見たお母様とお父様が神官様を呼んで私たち二人を神官様に見て頂いた。神官様は私たち二人を見て、妹である私も育てるように進言したのだそうだ。
屋敷中を掃除して回り、洗濯をする日々。私が屋敷の中に居られるのは掃除している間だけ。それもお姉様の部屋やお父様、お母様の部屋には入ってはいけないと言われている。いつも煌びやかなドレスを着て、眩いばかりの宝飾品を身につけ、優雅にお茶をし、時には夜会に出掛けて行くお姉様とは違い、私はいつもお下がりの侍女服を着て、下を向いて掃除している。食事はお姉様たちの残りの物を頂くだけ。それも使用人たちによっては無い日もあった。
その日一日を終えて小屋に戻る。指先の傷が痛む。周りを見回し、誰も居ない事を確認して、私は指先の傷に❝光❞を当てる。傷が治って行く。どうして自分にこんな事が出来るのかなんて知らないし、知ろうとも思っていない。ただ傷が治せるのは私にとっては有り難かった。今までもお姉様やその侍女によって怪我をした事は何度もあった。その度に不自然にならない程度に傷を癒して来た。こんな事が出来たところで、私の出自は変わらないのだし、扱いだってきっと変わらない。お腹が鳴る。この小屋に戻る時には今日の分の食事が無かった。今日は夕飯抜きかな…そう思っていると、小屋の扉がコンコンと叩かれる。開いた扉から現れたのはキトリーだ。
「お嬢様、食べる物をお持ちしました。」
キトリーはたまにこうして屋敷の中の者たちの目をかいくぐって私の元に来ては、食べる物を分けてくれる。
「いつもありがとう。」
そう言うとキトリーは微笑み、私の傍に座ると言う。
「では❝いつもの❞お願い出来ますか?」
キトリーは私に背を向ける。キトリーの背中に手を当てるとふわっと柔らかい光がキトリーを包み、キトリーの体に溶け込んでいく。
「ありがとうございます。こうして頂くと痛みが和らぎます。」
キトリーは数年前にお姉様の戯れ事で暴れた馬によって怪我をした。一時は生死をさまよったのだ。聖女としての力があるお姉様が嫌々ながら治癒をしたけれど、快方には向かわなかった。私はキトリーを失いたくない一心で人の目を盗み、キトリーの元へ行き、この光を当てた。キトリーは見る見るうちに良くなり、それはお姉様の手柄となった。でも治癒を受けた本人であるキトリーはお姉様では無く私が治癒をした事をちゃんと認識していた。そしてそれを何故か誰にも言わなかった。
時折、あの小屋から溢れ出す淡い光を見て思う。あれは治癒の力…。あの小屋には妹のリリーが居る。忌み子で嫌われ者のリリー。あの子が治癒の力を使えると言うの?!そんな筈は無い。聖女として認定されているのは姉である私。大怪我をしたキトリーだって私の治癒の力で治ったんだから。それでも不安はあった。ここ最近はその力も弱まっているような気がしている。昔なら傷なんてすぐに治せたのに、今は絞り出さなければ擦り傷すら治せない…。今はきっと弱まっているだけだわ。そうよ、私が聖女なんだから。
「リリー!リリーは居るか!」
屋敷を掃除していた時に久々に聞いた声。お父様だ。お父様は私を見つけると眉間に皺を寄せて言う。
「ちょっと来なさい。」
呼ばれるがままにお父様に付いて行く。入った部屋は応接室。お父様は応接室のソファーに座ると入口に立っていた私に言う。
「扉を閉めなさい。」
言われて扉を閉める。お父様は溜息をつくと言う。
「お前に縁談がある。」
え?今、何て…。お父様は眉間を揉むようにして俯く。
「先代の時の口約束でな、我がモーリス家と東部の領主であるグリンデルバルド家との婚姻が決まっている。」
グリンデルバルド家…。世間の話に疎い私でも知っている家門。東部の広大な土地を治める領主様…その領主様は確か…
「現当主であるフィリップ閣下は人前に姿を現さない事で有名だ。ご病気を患われていて余命僅かだと聞いている。」
お父様がまた溜息をつく。
「それで、聖女として認定を受けているエリアンナにこの話が来た訳だ。」
ご病気を患っているのなら、それも頷ける。
「だがな、我がモーリス家の宝であるエリアンナを余命幾ばくもない、中年の男に嫁がせる訳にはいかん。」
それで私に行けと…。
「口約束と言えど、約束を違えてしまえばモーリス家としても家門に泥を塗る事になるからな。」
お父様はそこで口元を隠す。この仕草をしている時のお父様の口元はきっと笑っている。
「東部は遠い。一度嫁に出してしまえば、おいそれと追い返す訳にもいかんだろう。それに、これはリリアンナ、お前にとっても悪い話じゃないだろう?」
お父様が立ち上がる。
「ここに居てもお前は忌み子として、このままモーリス家に仕えて死ぬんだ。東部でうまくやれば東部の未亡人として今よりは豊かに暮らせるぞ?」
お父様はすれ違いざまに私を一瞥すると言う。
「出立は三日後だ。まとめる荷物も無いだろうが、最低限の物は持たせてやるから心配するな。」