「もう、いかなきゃ……」
言って、お
秋月の輝きは、お里の面長の顔に塗りたくられた白粉を浮かび上がらせている。
娘らしからぬ、異常に白い顔の内で、紅い小振りな唇が、半開きになっていた。
開かれているそれは、笑むわけでもなく、言葉を発するわけでもない。
道端に立ち、客を取るお里の商売癖なのだ。
安っぽい
これから、お里の商売が始まるのだ……。
ある夜、たまたま通りかかったこの辻で、佐吉は佇むお里を見つけた。
小石を蹴って、人を待つ仕草をする、
そもそも、娘が明かりも持たず、夜更けに一人出歩く訳がない。
素人ではないと、すぐに見当がついた。
「あら、旦那」
目敏く佐吉を見つけたお里が、声をかけてきた。
二言三言、言葉を交わし、それが縁といえるのか。以来、佐吉は、この辻に足しげく通っている。
──先の暗闇で、声があがった。何か、話し声が聞こえるが、ほとんどお里の甘え声だった。
客を捕まえたのだろう。佐吉は、息をつく。
自分には、銭がない。
どんなに通い詰めようと、佐吉は、お里と挨拶程度の無駄口を交わすことしかできないのだ。
「ああ、あたしかい?里って言うんだよ」
人慣れした口調で、初めて名乗られた時は、佐吉は頭に血が上り、ぼおっとなった。
もちろん、源氏名に決まっている。それでも、名には変わりない。
里、お里……。佐吉は、一人、名を呟いた。
そして、自分は、この女に惚れてしまったんだと気がついた。
「やあ、今夜は、月がきれいだね。お里ちゃん」
どうにか、くだけた言葉を交わせるようになっていた。
それでも、銭を持たない佐吉ではそこまでが限界だった。
元締めに絞られるのだろう。実入りになる客を求め、お里は佐吉を軽くあしらい、すぐに闇へ消えて行く。
そんなお里の後ろ姿を、だまって見送る事しか出来ない我が身……。佐吉はいつも歯がゆかった。
銭さえ持っていれば。
吉原の花魁を相手にするわけでもない。岡場所の女以下、たかだか、辻に立つ女、なのに……。
小さめに結った
誰もが認める、羽振り良い風体なのに銭が無いとは情けない。
いや、こんな格好など、ぱっと、宙返りすればすぐできる。
そう、佐吉は人ではなかった。
狐、なのだ。
が、ただの狐ではなく、
銭だって、その気になれば、小石か木の葉を使えば……。
しかし、それは一晩明けると、使い物にはならない代物になる。
まやかしの偽銭を使ってまでお里を手に入れようと佐吉は、思ってはいなかった。
お里は、物ではない。佐吉の中では、かけがえのない女だからだ。
男から、銭を受け取らなければならないお里の事情も汲んでやりたい。
自分が、十分に銭を与えられれば、お里は身を犠牲にしなくても良いのに。
日々、想いと現実との板挟みで苦しんで、好いた惚れたごときにまどわされ立ち往生しているとは、情けない話だった。
と──、先の辻で、うわあっと、おおぎょうな男の声があがった。
追うように、お里の馬鹿笑いが響いてくる。
捕まえた客と、ふざけあっているのだろう。
指をくわえて見ているしかない佐吉の胸は、きりきり締め付けられた。
銭があったら、本物の銭を持っていたならば。
お里があんな下世話な笑い声をあげ、客の気を引くこともないだろうに。
いや、毎晩辻に立たなくとも……。
でも。銭があっても……。
佐吉は、あっと息をのむ。
お里は、佐吉の正体を知らないのだ。
人でないとわかったら、いくら、銭を持っていても、逃げ出すに違いない。
結局、佐吉にとって、お里は高嶺の花。一生かけても、近寄れない相手なのだった。
悔しさに押されるように見上げた夜空。月がやけに眩しかった。
「あらまっ、どうしたのさ。こんなところに突っ立って」
「お、お里ちゃん……」
暗闇で、男と戯れているはずのお里が現れて、佐吉は驚きを隠せない。
「ふふふっ、ちょっと、からかってやったのさ」
含み笑いながら、ちろりと舌をだし、お里は肩をすくめた。
その無邪気な仕草に、つい、佐吉の顔も緩んだ。
とはいえ、余所の男と軽口を交わしていたことに違いはない。
素直に笑い話とも受け止められず、なんと返せば良いのだろうかと、佐吉は口ごもる。
「ほら、こうやってね」
お里がふいに、顔を袖で隠した。
「どうだい?」
言って、ゆるりと袖から覗かせたお里の顔には、目も鼻も口もなく、まっ平らで、のっぺりしている。
「お、お里ちゃん?!」
佐吉は、腰を抜かした。
瞬間、ひゅっと旋風がまき起こり、お里は、くるりと宙返る。
「どうしたんだい?あんたも、人間を
くりりと愛らしい目をした犬が、ちょこんと座って、佐吉を見上げていた。
そして、ふさふさとした尾先は、二つに割れている。
犬の体をもち、尾が二股に分かれている──、と言えば、言わずとしれた……。
「
佐吉のあげた、すっ頓狂な声に、お里だったはずの獣は笑った。
「なんだよ。わかってなかったのかい?あたしは、あんたの事、臭いでわかっていたんだよ?」
まさか、お里も、人でなかったとは……。
佐吉の体から、いっきに力が抜けた。
「……同じ穴の
言って、へたりこむ佐吉に、
「まあ!あたしは、猫股だよ。
歯切れ良いお里の言葉が、浴びせかけられた。