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第2話

 雲然が振り向くと、三頭の馬がこちらに向かって駆けて来るのが見えた。いずれも若い男性が乗っており、彼等もまた、雲然から見ると時代劇コスプレだった。

「お前たち、どうした」

先頭を走っていた馬が雲然のすぐ側で止まり、馬上の青年が声を掛ける。髪を高い所でお団子に結い、頭全体を帽子の様な布で包んでいる。雲然のゆったりとした服装とは違い、比較的体に沿った上着を着ていた。袖は幅がなく筒袖だ。肩にはマントをつけてる。青年は美しい顔立ちだが、いかにも身分の高い者が下々しもじもに語り掛けるような、冷たい横柄な話しぶりだった。

 林雲然は、いらっとした。確かに自分はずぶ濡れでみすぼらしいかも知れないが、そんなに下に見られるいわれはない。

「失礼な人ね。困っている女性にはもう少し親切にするべきだわ」

雲然はつんとしてそのまま歩き続けた。青年を見上げた碧珠の方は小さく悲鳴をあげ、瞬時に拱手きょうしゅした。拱手とは、両方の腕を胸の前に突き出して組み合わせ、お辞儀をする礼儀作法だ。

「雲然様、このかたは監察司の李元承リガンショウ様です! 早く拱手してください! 礼儀も忘れてしまったんですか?」

碧珠は雲然の耳元で声を落として囁いた。

「監察司って警察署だっけ? 警官だったら何だって言うの? こっちは悪いことは何もしてないのよ。警官は市民に優しくするべきでしょう?」

雲然は相変わらずむくれている。だいたい、この青年は警官のような武官には見えなかった。

「何てことを! 李元承様は皇帝の第二皇子でもあるのですよ!」

碧珠の必死の囁きに、今度は雲然もはっとして、慌てて拱手した。いくら中身が現代人の雲然でも、皇帝の第二皇子がどれ程の身分かは理解できた。

(どうりで威張っているはずだわ。皇子なら大部分の人間は自分より身分が下ですものね)

「無礼な女子おなごめ」

 追いついて来た二騎のうちの一騎の青年が、いまいましそうに言った。身なりは元承とほぼ同じだった。

「まあ、良い。この女子はずぶ濡れだ。訳を訊こうではないか」

話し方は冷たいが、意外にも李元承は怒った様子がなかった。雲然は顔を上げた。

「恐れながら申し上げます。私はこの先の屋敷の娘、林雲然と申す者です。侍女の周紅珠を殺害した疑いをかけられております。それを苦に自害しようと湖に飛び込みましたが、自分の手で自分の潔白を証明すべきと思い直し、今は屋敷に戻るところです」

雲然はしっかりした口調で決意を述べた。碧珠は雲然の話しぶりにぎょっとした。まるで、初めて会った人を見るように雲然を見た。

(身投げしたから濡れてるの! ついでにタイムリープだか異世界転移だかしてるんだけど、あなたに言ってもわからないでしょうね!)

雲然は元承に向って、頭の中ではこんなふうに付け足していた。

「ほう、それは面白い」

 元承は興味津々と言った顔つきになった。

「私の馬に乗れ。屋敷まで連れて行ってやろう。ちょうど侍女の死亡の件で林家に向っていたところだ。屋敷に着いたら、その潔白の証明とやらを聴かせてもらおうか」

そう言うと元承は、自分の馬に雲然を引っ張り上げ、自分の前に座らせた。彼は肩にかけていたマントを外し、ふわりと雲然を包んだ。

「初夏といえども、まだ気温は低い。潔白の証明とやらを聴く前に、風邪をひかれては困るからな」

元承は冷たい口ぶりでつっけんどんにそう言った。

「あ、ありがとうございます」

雲然は礼を言いながらふと思った。

(あれ? この人は見た目よりも優しいのでは?)

一緒にいた青年の一人も元承を倣い、碧珠を自分の馬に引き上げた。

「それでは林家に向けて出発だ」

元承はそう言って馬を走らせた。その口調には、どこか楽しそうな響きが含まれていた。


 李元承の一行が林家の屋敷に到着すると、上を下への大騒ぎとなった。何しろ元承はこの国の第二皇子であり、監察司の長官でもあるのだ。

「これは、これは、李元承様。このようなしずにおいでいただけるとは」

いつもは優雅にもったいぶっているあるじ林東平リントウヘイも、この日ばかりは門前に転がるように出て来た。彼の屋敷は賤が屋どころではなく、大邸宅だったのだが。

「街でこちらの家の噂を耳にしたので寄ってみた。道中で拾い物をしたぞ」

李元承は冷たい横柄な態度でそう言うと、自分のマントでくるんだ人物を林東平の前に押し出した。

「雲然ではないか。どうしたのだ」

東平は、濡れて髪がべったりとしている自分の娘を見て仰天し、心配そうな表情を浮かべた。

「早く湯浴みをさせてやれ。私はその女子の言い分を聞きに来たのだ」

元承はそう言い放ったが、その言葉の響きに雲然はどこか優しさを感じた。碧珠が進み出て雲然の手を取った。

「まあ、まあ、これはどうしたことですの? 雲然、あなたいったい何をしたの?」

煌びやかな中年女性がやって来た。雲然を見つけると、頭ごなしに鋭い言葉を投げつける。ここの娘の林雲然は、父には愛されているけれど、母には愛されていない、と二十一世紀の林雲然は直感した。

「話は後だ。早くしろ」

元承は中年女性には目もくれず、雲然と碧珠の後ろ姿に声をかけた。中年女性はその様子を見て、慌てて元承に拱手した。


 雲然が碧珠に伴われて屋敷の中に入ると、これもまた飾り立てた若い女性が二人に近づいて来た。

「李元承様が来られたって本当なの?」

女性は嬉々として取り乱さんばかりだったが、雲然の様子を見ると胡散臭そうに鼻に皺を寄せた。

「まあ、汚い。こんな大事な時に、雲然ったら何て恰好をしているの? とてもじゃないけど、あなたを元承様にお目にはかけることはできないわね。あら、違った。あなたは人殺しだから、監察官の元承様に引き渡すべきだったわ」

そう言うとこの若い女性はそそくさと門前に向った。雲然ははっきりと、自分はこの女性に憎まれていると思った。何て刺激的な家庭!

「雲然様、楚然ソゼン様の言っていることは気にしないでください。私は誰が何と言おうと雲然様を信じていますから」

碧珠が耳元で囁く。あれは、私の姉か妹ってわけね、似た名前だもの。ふーん。雲然は湯浴みをすると同時に、この家の人々の情報を頭に叩き込まなければと思った。そこで頼りになるのは碧珠だ。

 日当たりの良い、大きな部屋の一角に風呂桶が設置された。桶は細長い形をしており、長さは一メートルほど、幅は人の肩幅くらいだ。木製だったが、まわりに美しい花の模様が描かれ、湯浴みする人を楽しい気分にしようという心遣いがあった。次々に侍女たちが小さな桶を持って表れ、どんどん液体を満たしていった。沸かした熱いお湯と冷たい水を混ぜて、丁度いい温度にしてくれている。お風呂に入るにはこのように手間がかかるのだ。水面には小さな巾着袋が浮いている。各種のハーブが入っているらしく、とても良い香りがした。この世界の林雲然がお嬢様であることに、雲然は感謝した。

 風呂に入る前に彼女は部屋を見回した。ここは、雲然自身の部屋なのだろう。調度品はどれも女性用で美しかった。中でも直径20センチほどの金色の板のような物に雲然の目は吸い寄せられた。八枚の花弁を持つ花のような形のそれには、鳥や草花の文様が描かれている。雲然が手に取って裏を返すと、ぴかぴかの磨き上げられた鏡が現れた。

(こういうの図鑑で見たことあるわ。確か八稜鏡はちりょうきょうっていう銅鏡よ。でも、私が見たのは遺跡から出土した物だから錆びて色が変わっていたわ。新品はこんなに綺麗なのね)

感嘆しながら、雲然は鏡に映る自分の顔を眺めた。なんと、二十一世紀の雲然とほぼ同じ顔だった。この世界でも私は私なのだ。しかし、こちらの方が幾分若い。

「あの、私って何歳だっけ?」

雲然は思わず碧珠に訊いた。

                           つづく

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