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102話 嵐

湯井沢side



本当に馬鹿だ。

何してるんだろう。きっと健斗に呆れられた。

会社からの帰り道、僕はゆっくりと家までの道を辿る。

チラチラと後ろを振り返るが健斗は追い付いてこない。仕事は終わったはずなのに何してるんだろう……。


健斗にあんな態度をとってしまったのは恥ずかしかったからだ。健斗の両親はとてもいい人で優しくて大人としてもきちんとしてる。それに比べてうちの親は金にばかり執着して美馬を罠に嵌め、それでもまだ猿芝居をして僕から全てを取り上げようとしているのだ。


はたしてそれを親と呼べるのだろうか。


健斗は全てを知っているから今更取り繕う事なんて何もない。それでもまだ自分も知らない彼らの悪事が健斗の知るところになるのには抵抗がある。


「本当嫌になる」


あんな両親も素直になれない自分も。


一昨日くらいからやたらイライラする。これはストレスなんだろうか……。

僕としたことが食欲もないなんて、生まれて初めてだ。


「ちゃんと謝ろう。健斗の好きな物を作ってケーキも買おう」


何がいいかな。前に作った塩麹の唐揚げはいたく気に入っていた。あれにしよう。


帰り道にあるケーキ屋に寄って健斗が美味しいと言っていたケーキを二つ買う。半分ずつすればどちらも食べられるだろう。


さっきまでの鬱々とした気持ちが少しだけ晴れた気がする。

健斗が帰ったらちゃんと謝ろう。そして一緒に報告書を読めばいい。


軽くなった足取りで買い物を終え、自宅のドアを開けた。


だが……?


「……健斗?帰ってるのか?」


けれど返事はない。

だが何だろうか、この違和感は。

慣れ親しんだ空気の中にほんの微量だけど違う匂いが混じっている。

どこかで嗅いだことがある気がするが、それが何か思い出せない。


……俺かな?スーパーですれ違った人の香水でも付いたのか?それともどこかで咲いてた花の匂い?

念の為に全ての部屋を確認して誰もいない事を確かめた。


考えすぎだったか。

うちはカードキーだから複製は作れないはず。あるのは二枚だけで僕と健斗がそれぞれ持ってるだけだ。

緊急用に暗証番号も設定されてるけどそれを使ったことはないし……。


少しナーバスになってたから何でもないことが気になっただけだ。

そう考えて気を取り直し、唐揚げの下準備に取り掛かった。





「もうこんな時間か……」


丹念に時間をかけて用意した料理はどんどん色褪せて味が落ちていく。それは自分の心と同じ色だと自嘲のため息が漏れた。

心なしか気分も悪くなり食欲など全く湧かない。

僕としたことが……。


「それにしてもどうしたんだろう。こんなに遅いなんて」


何かあったのかと不安になり、携帯を開いたり閉じたりしていると健斗からメッセージが届いた。

だが、そのメッセージは心を深くえぐるものだった。


「今夜は帰らない」


たった一言だけのそっけないメール。

怒ってるのか呆れてるのか……。

それとも誰かに誘われて夜を共にするつもりなのか?


それを知るのが怖くて僕は返事もせずに慌てて携帯を冷蔵庫に突っ込み思い切り扉を閉めた。






「あー湯井沢まだ怒ってるかなー」


自宅に帰る道をトボトボと歩きながら俺は途中のケーキ屋で湯井沢の好きなケーキを買った。


昨夜は美馬が読んだ本の考察やら感想やら自分ならこう演技する的な話をとうとうと語ったせいで、眠ったのはもう明け方だった。

そのせいで目が覚めたのは夕方。そろそろ陽が落ちる頃だ。


週末は湯井沢と映画に行こうと約束していたのに!


慌てて湯井沢に連絡を入れてみたが返事がないどころか既読さえつかない。


「これはケーキ程度じゃ許してもらえないかも。下手したら追い出されそう」


ついでに飲み物の自販機で湯井沢の好きないちごミルクも買っておく。お詫びの品は多い方がいい。……はたして受け取ってくれるかは別だけど。


「ぐずぐずしてても仕方ない!誠心誠意謝って映画は明日行こう!」


自分を奮い立たせるためにそう声に出して、俺はマンションのエレベーターに乗り込んだ。



ドアの前でしばらく気持ちを落ち着かせてからガードキーをかざす。ガタンと重い音がして鍵が開いた。


静かに入るべき?いや、驚かせてしまったら困る。俺は意を決して大きな声で「ただいま!」と叫んだ。


ガッシャーン!!!


「ええ?なに?!」


部屋の中から何かが割れたような音がしたので俺は慌てて靴を脱ぎ部屋のドアを開ける。

するとそこには粉々になった花瓶を前に床に座り込んでいる湯井沢がいた。


「どうした?!けがしてないか?!」


急いで手を取り、立ち上がらせて全身をくまなく見回すが怪我をしている様子はなく、俺はほっとして湯井沢の顔を見た。


「どうした?」


「どうしたって……それはこっちが聞きたいよ」


まだ怒ってるのだろう。目の周りを赤くして俺を見つめる湯井沢。


「……ごめん」


「どうして謝るんだ。僕に黙って謝るようなことをして来たのかよ……」


「え?」


えええ???

昨日のこと謝ってるんだけど??

黙ってってなに?


「出てけ!」


湯井沢は俺に向かってクッションやらスリッパを投げつける。


「え?いや待って!割れた花瓶踏んだら怪我するから!先にそれだけ片付けよう?!な?!」


「うるさい!浮気者!もう別れる!」


「えええ??!!浮気なんてしてないけど!!」


「……嘘ばっかり」


湯井沢の手が止まる。

射殺すような眼差しで俺を見ていた湯井沢の瞳から滝のような涙が流れ出した。


「うわ?!湯井沢なんだよ!そんなに嫌だったのか!」


「嫌に決まってるだろ。何でこんな簡単に裏切るんだよ……」


しゃくりあげて泣く湯井沢の言葉が所々引っかかる。裏切る?裏切るってなんだ?


「ちょっと一旦落ち着こうか。まず手に持ってる置物をテーブルに置いて」


あんな物投げられたら流血沙汰だ。ひとまず落ち着いてもらわなければ。


俺は湯井沢の手からガラスの置物を取り上げてそっとテーブルに置いた。


それからしばらくの間、ソファで湯井沢を抱きしめてひたすらその背中を撫で続けた。湯井沢はされるがままに俺に抱かれてずっと大人しくしている。


「湯井沢」


「……なんだよ」


「昨日はごめんな。自分の家族の問題だもんな、口を出されたくないこともあるよな」


「……何の話?」


「えっ?なに?覚えてない?じゃあむしろ何で怒ってんの?」


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