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92話 本音

ここを売ってその金を渡すことで湯井沢と家族との仲が戻るならいいが、騙されてる可能性もあるのだ。裏切られた時の精神的な傷を思うともう少し慎重になってほしいと思う。


「湯井沢、部外者の俺がこんなこと言うのはおかしいかもしれないんだけど、やっぱりもう少し実家の様子を探ってからにしたらどうだ?」


湯井沢は少し悲しそうに微笑んだ。


「お前、もしかして……」


騙されたなら騙されたでいいと思ってるのか。


「僕は……」


「言わなくていい」


俺は立ち上がって湯井沢を力一杯抱きしめた。そのまま一つの生き物になるんじゃないかと思うくらいに。


「好きだよ、浩之」


「えっ?!やっ、やめろよ」


真っ赤な顔で耳を抑える湯井沢の頬を掴み、嵐のようなキスをする。

……そんな悲しいこと言わせたくないし聞きたくない。

湯井沢には悪いけど俺は俺で動く。


「なんだよ急に……」


「キスしたくなったんだ」


俺の誰よりも大切な人に……。






翌日業者が部屋の査定に来たので俺は自室で湯井沢の家の情報を集めた。美恵子さんが持っている会社はそこそこ有名企業なので調べればある程度内情が分かった。

スタンダードとはいえ東証にも上場していて以前は手堅く売り上げを出していたが、ここ半年くらいで株価も底を打っていた。


「株主が離れていくような事情があったはず」


調べてみても表立って事件や不祥事はなかったが株主は些細な出来事にも敏感だ。掲示板の投資板を除くと人事に問題があり大量にベテラン勢が退職したことが分かった。

製造業でこれはかなりの痛手だ。しかも下からの声を乱暴なやり方で黙らせて、かなり恨みもかっているようだ。


「これが原因か。しかも対策が悪手だな」


美恵子さんのインタビュー記事や最近テレビで敏腕女性経営者として取り上げられた時の映像も見たが、金でテレビ枠を買ったんじゃないかと思うくらいに薄っぺらい話しかしていなかった。ファンドマネージャーや投資家はこう言った番組を欠かさず見る。株価の低迷もこれが理由かもしれない。


「これは株主総会が紛糾するだろうなあ。湯井沢の父親はなんでほったらかしなんだろう……」


そっちも調べてみるかとキーボードを叩いていると湯井沢が顔を覗かせた。


「業者帰ったよ。忙しい?昼飯作るけど何食べたい?」


「ああ、そっち行くよ」


ひとまずはっきりするまで黙っていよう。俺はノートパソコンを閉じて立ち上がった。






「このマンションなんだけど一億三千万くらいにはなりそうだって」


「一億三千万!凄いな!」


「築年数は結構経ってるんだけど立地が良くて欲しい人多いんだって。この辺りはもう土地がないから新しく建てられないらしい」


「そうか」


……それで売るのか?と聞きたかったが多分本人も迷ってるだろう。俺は黙って湯井沢が作ってくれたサラダと牛丼を食べ進めた。


「……健斗はどうしたい?」


「いやそれは湯井沢に任せるよ。湯井沢の持ち物なんだから」


「でももう健斗の家でもあるだろ」


「俺の家?」


湯井沢は「今更気付いたのかよ」と笑った。


「業者と一緒に部屋を見て回ってる時にさ、『ああこの棚は健斗の頭の位置だからぶつけないようにリフォームしようと思ってたんだ』とか『ここで洗濯してるといつも健斗が来て後ろから抱きつくよな』とか思い出して……」


……そうか。確かにまだ住み始めて間がないとはいえこの家は既に二人で暮らした思い出のある場所になっている。


もし本当に騙されたとしたら湯井沢は自分じゃなく俺たちのために後悔するだろう。そして俺に負い目を感じてしまうかもしれない。


「湯井沢、やっぱり無理だよ」


「え?なにが?」


「この件に関しては全面的にお前に任せようと思ってた。自分は部外者だし口出す権利もないよなって。でも違う。俺たちは家族になるんだから不安も心配も分け合っていいんだよな」


「そりゃそうだけど。どうした急に……」


「湯井沢の気持ちは尊重するし最終的に下した判断にも反対はしない。でも俺は美恵子さんを信じてない。湯井沢はどう思う?」


湯井沢はしばらく黙ってから「ちょっと考えさせて」と自分の部屋に戻った。

俺はリビングで見るともなしにテレビを見ながら今後のことを考えていた。

あんな言い方をして湯井沢の機嫌を損ねたかもしれない。でも黙ったままでいるのは無理だった。

湯井沢の気持ちは尊重したいが昔の思い出が彼の目を曇らせているのだとしたら、その曇を取り払うのは一番側にいる自分だと思った。


いつの間にか窓の外には夕焼けが広がり少しずつ夜の帳が広がっている。

俺は立ち上がってキッチンに向かった。


湯井沢がいつもいるこの場所はとても機能的に片付けられていて几帳面な正確をあらわしている。

俺は冷凍室から出したご飯を温め玉ねぎを刻んだ。そしてなるべく散らかさないように卵を焼き、オムライスを完成させる。最後にケチャップで卵の上に絵を描きながら以前叶さんにも同じように作ったことを思い出していた。


「……叶さん、湯井沢を助けてやってください」


彼ならきっとこんな状況も何でもないことのように笑い飛ばすだろう。そしてとてもシンプルに答えをだして『何を悩んでるの?』と首を傾げそうだ。


ああ、今湯井沢のそばにあなたがいてくれたら……





「いい匂い……」


「丁度呼びに行こうとしてたんだ。さすがいい鼻してるな」


ふらふらとリビングに戻ってきた湯井沢はストンと椅子に座る。俺は彼の前にオムライスとスープを並べた。


「健斗の料理なんて食べるの初めてで不安」


「ほんとに一言多いな」


「ふふっでも美味しそう。すごく暖かいね」


「まあ今作ったとこだからな」


俺はフライパンを洗いながら当たり前の言葉を返した。


「違うよ。温かいんじゃなくて暖かい」


「あ?一緒だろ?」


「言葉って難しいね」


「??早く食えよ」


「うん、いただきます」


そう言って湯井沢はスプーンを持った。俺が描いた歪なハートを崩すのが勿体無いとめんどくさそうな食べ方をしている。その姿に限りなく深い愛情を感じて何だか涙が出そうになった。


「……健斗、考えたんだけどさ」


「うん」


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