「なんかごめんな」
帰り道でもずっと黙り込んでいた湯井沢が家に帰り着いた途端にそう言った。
「ごめんて何がだよ。お前の家族に会えてよかったよ」
俺は背後からぎゅっと湯井沢を抱きしめる。そして珍しくされるがままになっている彼の髪や肩や頬にキスの雨を降らせた。
「あいつさあ普段もっと派手なんだ。化粧も濃いしブランドのスーツ着てて……」
あいつと言うのが継母のことだと気付いて俺は黙って話の続きを待つ。
「料理だってもう長年やってないはずだし、普段はハウスキーパーが家事をやるから家だってもっと綺麗で。高い絵とか食器も飾ってたはずなのになんもなくなってた。……まるで継母がうちに来た頃みたいだった」
……湯井沢の父親が美恵子さんと再婚した頃ってことか。確か最初は普通の家族だったって言ってたな。義弟のことも可愛がってて仲が良かったって聞いたことがある。
「絶対芝居だよな。わざとあんな地味な格好してあの頃を思い出させようとしてるって分かってる。分かってるんだ」
抱きしめた湯井沢の肩が微かに震えている。俺は初めて湯井沢のことを可哀想だと思った。
「湯井沢、このマンション売って安いとこに引っ越そう。二人で暮らすにはちょっと広いもんな」
「……え?」
「正直あの別荘は俺も譲りたくない。でもここならいいんじゃないか?俺も結構貯金あるし少しくらいいいところに住めると思うぞ。このレベルは流石に無理だけど……」
俺の言葉の真意を汲み取ったのか湯井沢が薄く笑った。
「……考えとく」
「うん、ゆっくり考えろ」
向こうの借金の返済期限や金額がどのくらいかは分からないし、湯井沢が肩代わりしてやる必要なんて微塵もないと思うけど。それでも母親の顔も知らない湯井沢にとって美恵子さんは初めて母と呼べる存在だったんだろう。たとえその時間は短くても家族であったことに間違いはないのだから。
それにあの別荘よりここのマンションを売った方が遥かにいい値が付くはずだ。
「湯井沢、飯食いに行く?お前、朝も昼も食べてないだろ」
「……健斗だって昼はローストビーフ1枚じゃないか」
「ああ……」
あれほど虚無の味しかしない肉を食ったのは人生で初めてだから食べた物に入れないで欲しい。
「中華?イタリアン?和食?それとも俺?なんてな」
湯井沢からの鉄拳を覚悟して目を閉じ身構えた俺の唇に柔らかい物が当たった。
驚いて目を見開くと目の前に湯井沢の顔がある。
「じゃあ健斗にする」
「は?え??」
冗談だったのに!いつも眉間にシワを寄せて舌打ちするじゃん!それなのになに?!その可愛い笑顔!
「なんだよ健斗はもう売り切れか?」
くすくす笑いながら俺にのしかかり、わざと下半身を押し付けて誘う湯井沢。俺に断る理由なんてひとつもなかった。
「かなりの大盛りだけど食いきれるかな?」
「僕に食べきれないものなんてない」
「そう言えばそうだったな」
俺たちは笑いながら飽きることなく口づけを交わしあった。
「おはよう!湯井沢さんどうぞ!」
出社するなり美馬が湯井沢に差し出したのは、有名某コーヒーチェーンのカフェラテだった。
「え?あ、ありがとう?」
戸惑いながらもそれを受け取り席に着く湯井沢を幸せそうな目で見ている美馬。こいつもどうにかしないといけない。
「そう言えば昨日実家に戻ったんだって?嫌な思いしなかった?可哀想な湯井沢さん。俺で良かったら話聞くけど今夜どう?」
「おい!流れるように誘うんじゃない」
まったく油断も隙もない。
「そうだ美馬、聞きたいことがあるんだけど」
思いがけない湯井沢からの問いかけに美馬は目を輝かせて走り寄った。
「何でも聞いて!何でも答えるよ。彼氏はいないよ。もう五年くらいフリーだ。好きなタイプは……」
「美馬、だまれ」
「は?沢渡には関係ないんだから黙っててくれないか?」
「なんだと?俺は彼氏だぞ」
そのまま幼稚な喧嘩に発展しそうだった俺たちは、氷の女王みたいに冷たい顔で眺めている湯井沢に気が付き、同時に押し黙る。
「……うちの継母から何かを依頼されるのは直接本人から?それとも部下から?」
「そのクールなとこもそそられるなあ。クールビューティーって言葉は湯井沢のためにあるのかもな。あっ、依頼はメールだよ」
……なんだこのメンタル化け物。
「メール……」
「一応本人の連絡先とは聞いてるけど別の人が代わりに連絡してたとしてもそれは分からないよ」
「そう……」
「なんかあった?」
「いや、もうひとつ。湯井沢家の経済状況はどんな感じ?」
「ああ、芳しくないね。次男の渡さんが投資詐欺に引掛って億単位の金を騙し取られたらしくて、事業所を一つ売却した」
「そう。ありがと」
「いいんだよ。知りたいことがあればなんでも調べてくるからいつでも聞いてね。君の為なら危ない橋だってスキップで渡りきるよ!」
「……どうも」
「美馬、そのへんにしとけよ」
こいつ最初のイケメン好青年キャラをあっさり捨て去りやがって。……それにしても美恵子さんの言ってたことは本当だったんだな。だとしたら本当に湯井沢とのことを後悔してるのかもしれない。わだかまりを捨ててもう一度家族としてやり直せたら、湯井沢にとってもいいことではあると思う。
だが……
もし嘘なら?
もし全部芝居だったら。
ただ湯井沢の持ち物だけが目当てだったら。
……今度こそ湯井沢に一生消えない傷をつけることになるだろう。
そう言えば以前誰かに頼んで湯井沢家のやってる不正を調べるって言ってたよな。それはどうなったんだろう。……ああでも美馬がいるこの場では聞けない。だって俺はまだ美馬を全面的に信用してないからな。
「美馬」
「なんだよ」
おい、俺に対する態度が湯井沢と違いすぎないか?
せめてそのめんどくさそうな顔は隠せ!
「営業部に作成済の書類を届けてくれ」
「えっそうやって湯井沢さんと二人きりになろうとして……本当にやり方が汚いんだから」
……お前。
「美馬、書類届けて、急ぎだから」
「はい!湯井沢さん!」