「まあおんなじ町内だったし」
ああ、そうか。心臓移植の大成功例だもんな。近くにそんな奴がいたら話題にもなるか。けどそれでなんで怖がられてるんだろう……?
「お前元気になってからどんどん体大きくなったし、ボクシングジムとか行ってただろ?だからかな」
「……そっち?」
でも別に俺は乱暴者じゃないし筋肉をひけらかしたりもしてない。ちょっと悲しい気持ちになりお気に入りの大胸筋を見下ろした。
「……まあでもそれならあいつが湯井沢に何かしたら俺が出ていけばいいわけだ」
「それがそうでもない。あいつ弱いんだけどずる賢いし、人を貶めることに関しては全力で取り組むタイプだから」
人を貶めることに全力か……他にあるよなあ。もっと全力を出すにふさわしいことがさ……。
「嫌いなら無視すればいいのに。とにかくなんでか僕を敵視してるんだよ。だから気をつけないと」
「……そうか、分かった」
家族相手にそんなことまで考えなきゃならないなんて湯井沢が気の毒でならない。
その時、美恵子さんがトレーを持って部屋に入ってきた。
「遅くなってごめんなさい。他にも色々と作って来たのよ」
そう言いながらテーブルに肉料理やグラタンなど洋食屋さんのような料理を並べる。どれもきれいですごく美味しそうだ。だが当の本人は冷めた目で言葉も発さずその様子を見ていた。
おい……気まずいだろうが!
仕方なく俺はテンションを上げて「美味しそうですね!」とはしゃいで見せる。
「こんなのうちでは見たことないです。うちはもっと茶色でどーーんとした大皿料理がメインなんです」
「まあ、それも素敵ね。私の手料理がお口に合うといいんだけど。さあ召し上がれ」
「ありがとうございます!いただきます!」
俺は早速料理の皿に箸を伸ばす。……が、湯井沢は食べるどころか微動だにしない。
……え?あの湯井沢が食べないだと?……もしかしてこれは食べない方がいい?毒とか入ってる系?
箸を戻すことも料理を掴むことも出来ない俺は一時停止状態のまま湯井沢の様子を伺う。
「父さんは?」
目の前の料理などないもののように湯井沢が低い声を出した。
「急に仕事が入っちゃってもう出かけたの。言うの遅くなってごめんなさい。でも……」
「じゃあ日を改めます。健斗帰るぞ」
そう言うと湯井沢はおもむろに立ち上がった。
え?帰っちゃうの?
俺はどうしたらいいのか考えあぐねた。そして仕方なく小皿に取ってしまったローストビーフだけを口にほおりこみ、ごちそうさまでしたと頭を下げた。
「でも沢渡くんがまだ食事の途中じゃない。もう少しだけいてほしいわ」
「結構です」
「そんなこと言わないで。今日は貴方に話があるの」
切々とした表情で湯井沢を見上げる恵美子さん。……俺はここにいていいのか?そう思いながらとりあえず口の中の気分的に味のしないローストビーフを噛み締めてみる。
「……話って何ですか?」
仕方なさそうにソファに座り直した湯井沢の声は固い。まあそりゃそうだろうな。
「今までのこと謝りたいの。今更って言われても仕方ないけど貴方といい関係でいたいのよ」
「人を監禁しといて?」
「監禁じゃないわ。貴方が自宅待機と聞いて迎えをやったのよ。部下にちゃんと伝わってなかったみたいで乱暴な真似をしたのは謝るわ」
そう言うと美恵子さんは泣き始めたので余計に肉の味がしなくなる。
「はっきり言ったらどうです?僕の持ってる別荘が欲しいんですよね」
「なんて事言うの。そんなんじゃないわ。実は……」
「はい?」
「あの別荘が必要なのは渡なの」
仕方ないとでも言うように美恵子さんは深く深呼吸をしてから口を開いた。
「あの子新卒で就職に失敗してから引きこもってて。しかも投資に手を出して大損したの。それを補填できるだけの資産がもううちにはなくて……あの使ってない別荘を売ればどうにかなると思うんだけど助けてもらうわけにはいかないかしら……」
「は?どうして僕が?」
「分かってるわ。あなたに冷たい態度をとったこと後悔してるの。あの頃の私はまだ若くて自分が生んだんじゃない子とどう関わっていけばいいのか分からなかった」
「子供の頃のことはもういいです。ぼくが言ってるのは大人になってからのことですよ」
美恵子さんの涙を見ても湯井沢の表情は変わらない。
「信じて貰えないかもしれないけど私の本心じゃなかったの。渡のことで切羽詰まってどうかしてた。これからやり直せない?良い家族になれると思うわ。そうだ!帰ってらっしゃい。それであのマンションも別荘と一緒に売ればいいわ。ね?沢渡さんもそう思うわよね?」
「ごほっ!!」
俺?!
「いやぁ、まあ湯井沢はあの別荘を特別大事にしているので……」
湯井沢だけじゃない。今となっては俺にとっても大切な場所だ。それにマンションを売って実家に帰れなんて。あそこはもう俺たちの愛の巣なんだけど。
「お願い!このままじゃ一家心中だわ!助けて浩之……家族でしょ?」
悲壮な表情で床に崩れ落ちた美恵子さんは嗚咽とともにまた涙を流す。
湯井沢の気持ちは分かるしこの人は彼を傷つけた悪人だ。だが自分の母親と同じくらいの人がそんな風になっているのを見て、俺は罪悪感で胸が締め付けられた。
「……泣き落とししようと思って僕を呼んだんですか?ふざけてる。もう帰ります。健斗行くぞ」
「浩之!」
追い縋る哀れな声を振り切るように湯井沢は振り向きもせず外に出た。
一歩ずつ実家から離れていく湯井沢を美恵子さんは立ち尽くして見ている。
俺はかける言葉が見つからず黙って湯井沢の隣を歩いた。
初めての彼氏のお宅訪問はそんな風になんともやるせない雰囲気で幕を閉じたのだった。