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86話 湯井沢の実家訪問

どんな格好でもいいと言われたが俺はスーツを選んだ。それも就職したお祝いに親父が買ってくれたフルオーダーのスーツ。もったいなくて普段は全然着ないので、母親からは体型が変わったら着られないんだからと小言を言われている代物だ。


「一応友達と一緒に帰るって伝えてあるんだけど」


「……友達のふりした方がいい?」


フリも何も友達でもあるんだけどな。


「あいつらに付き合ってる人ですなんて紹介なんてしたくない」


「オッケー」


一度も行ったことない(ということにしておく)湯井沢の実家は相変わらず庭に植物の一つもなく空気が澱んでいる。あの時、簡単にピッキングされたことにショックを受けたのか、鍵は新しいものに取り替えられていた。


「よし行くぞ」


「ああ」


湯井沢がインターフォンを鳴らすとしばらくして玄関のドアが静かにほんの少しだけ開く。


「…………」


「…………?」


え?誰も出てこないの?なんで開いたの?自動?


仕方なく門を開けて「失礼します」と言いながらドアに手をかけて大きく開け放った。


「うわっ!!」


「え?」


すると、ドアノブに手をかけていたのだろう、小太りのネズミみたいな顔をした男がタタラを踏んで俺の胸に飛び込んで来た。


「ええっ?」


湯井沢も目を丸くしているが、俺の胸筋もだいぶびっくりした。


「な、なんだよ!誰だお前!」


ねずみ男は真っ赤になって喚きまくった。


「ああ、湯井沢の弟くん?俺はお兄さんの友達で沢渡だよ」


わざと子供に対するような態度を取ると、額に青筋を立てて口をぱくぱくと動かしている。


「かっ!帰れ!」


「あそう?じゃあ帰ろうか湯井沢」


「ああ」


「ちがう!お前だけだ!」


二十歳も超えているであろう男の取る態度ではない。俺はどうしてやろうかとじろりと奴を見た。


「ひっ……」


1月の気温より空気が冷えたところで奥から女性が顔を出した。地味な服に白いエプロンをして髪を一つに束ねている年配の女性だ。 


……お手伝いの人だろうか?


「いらっしゃい。どうぞお入りになって」


「ありがとうございます」


ドアの前に立っている義弟をチラリと見ると、渋々彼は道を開ける。


「お邪魔します」


営業のような愛想良さで俺は魔窟の門を潜った。


案内されたのは玄関を入ってすぐの客間。以前忍び込んだ時には入らなかった場所だ。

家のメインとなる部屋だからさぞかし成金的に飾り立てているだろうと想像していたが、少し雑然としたよくある家庭の居間という感じで俺は拍子抜けした。


……もっとモデルルームみたいな無機質で冷たい部屋を想像してたのに。


「おかけになって」


そう言われ四角いテーブルを囲むように置かれていたソファを勧められた。


「ありがとうございます」


俺が座るとその女性は一度頭を下げてから俺の方に向きなおる。


「初めまして。浩之の母で湯井沢美恵子です。いつも浩之がお世話になっております」


えっ!この人が湯井沢の継母さん?!

俺はまたしても想像と違うことに驚き、言葉をなくす。


「…健斗?」


「あっ……」


湯井沢の呼びかけにはっと我に返って、慌てて自己紹介をする俺をその人は穏やかな目で見ていた。


「浩之にこんな素敵なお友達がいるなんて知らなかったわ。どうぞこれからも仲良くしてやってね。そうだ、浩之ご飯まだでしょ?貴方の好きなカニグラタンを作ったの。ちょっと待ってて」


「必要ない……あ、ちょっと!」


美恵子さんは湯井沢の言葉も聞かず部屋から足早に出て行ってしまった。


「……いらないのに……」


苦々しい顔で湯井沢が呟くと、少し離れた所に座っていた義弟がキッとこちらを睨んだ。


「母さんがせっかくお前の好物を作ってやったのに何が不満だ。本当に相変わらず感じ悪いな!だいたいいつも……」


え?、感じ悪いって?おまいう??

……いや我慢だ我慢。湯井沢の家のことなんだから。だがいつもなら負けずに言い返す湯井沢は黙ったまま止まらない罵詈雑言を聞いている。どうしたんだろうと様子を伺うが、彼はまっすぐ前を見て言葉のパンチをサンドバックのように受け身も取らずに浴び続けている。


「いやあ弟くん、流石にちょっと言い過ぎじゃないかな?」


早くも湯井沢より先に限界を迎えた俺が、こめかみの血管をピクつかせながら口を挟むと、義弟はハッとしたようにようやくその汚い口を閉じた。


「そんなことより俺とおしゃべりしようぜ。こうして話すのは初めてだよなあ。名前なんて言うの?」


「……なんだよ馴れ馴れしいな。ほんと浩之の友達なんて碌な奴いない」


ボソボソと独り言のようなつぶやきは、半分以上が空気に溶けて消えていき俺の耳まで届かない。

……なんだ?どうして目を合わせない?


最後あたりは完全に聞こえなかったので俺は立ち上がって義弟に近づいた。


「ひあっ!」


ドシン!!


「えっ?」


何故か義弟はソファから転がり落ち、這いずって物陰に隠れてしまった。

なに?どうした?


「……おい、大丈夫か?」


「来るな!!」


義弟はさっきとは打って変わった声量で叫んだかと思うと、そのまま走って部屋から飛び出してしまった。


……ほんとなんなの。


「ぷぷっ」


「?どうした湯井沢」


「あははは!あの怯えよう超絶面白いな!」


「……え?お前こうなること分かっててわざと黙ってたのか!」


「いやそんなつもりでもなかったんだけど、相手にしたら千倍になって返ってくるからめんどくさいんだよ」


「まあめんどくさそうな相手ではあるな。……いやそれよりなんで逃げられたんだ?俺怖がられてんの?」


さっきのあいつ、獣にでも襲われたときのような反応だったんだけど。


「昔は怖がってたけどさっきの態度見てたら今もみたいだな。最初は虚勢張ってたけどな」


「なんで怖がられてんの?俺あいつと接点あったっけ?」


まるで覚えがないんだが……。


「まあおんなじ町内だったし」


……それだけだよな?


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