俺たちはリビングに続く和室に移動してこたつに入りあぐらをかいた。
「日本酒?珍しいね。いつもビールとかハイボールの印象だったけど」
「最近ハマってるんだ。日本酒は知れば知るほど奥が深いぞ」
そう言って父親は一升瓶を傾ける。
酒に疎い俺でも知ってる超有名銘柄。父がいい酒と言うだけあってグラスに注がれた透明の液体の中には金粉が舞っている。
「うわー値段も度数も高そう」
「まあそこそこな。ゆっくり飲むといい」
「うん、いただきます」
一口飲むと辛みとアルコールの刺激が舌を刺す。けれどそれはほんの一瞬で、その後はふくよかな香りと共に、清らかな水のように喉を滑り落ちた。
「……俺が前に居酒屋で飲んだのと全然違う。あれも有名な銘柄だったのに」
「そうだろう?最近は居酒屋でも有名な酒は置いてるけど同じ名前でもランクや種類があってな。これはなかなか手に入りにくい逸品なんだ」
「へえ……」
本当に奥が深いな。
俺はありがたくチビチビ舐めるようにその酒を楽しんだ。
「……困ったことはないか?」
「え?なに突然」
びっくりした。そんなことを言われるのも初めてなんだけど。
「親父もしかしてなんか病気……」
「いや、いたって元気だ」
「それなら良かった。でもなんで急に?」
「お前は小さい頃から我慢強くていい子だった」
「そ……そうかな」
ほんと何だよ急に。
俺はなんとなくソワソワとした気持ちになる。
「ああ、俺たちに心配をかけないようにいつも笑顔でな。海や空のことも可愛がる優しい思いやりのある子だったよ。……でも無理をさせてたんじゃないかと思ってな」
……驚いた。そんな風に考えていたなんて夢にも思わなかった。
「無理なんてしてないよ。むしろ手のかかる俺を沢山の時間と金を使って助けてくれた親父と母さんにすごく感謝してるんだ」
それを聞いて親父は複雑な顔をしながらぐい呑みに再び酒を注ぐ。キラキラと揺れる金粉がまるで今の父の心情のようで、俺は黙って残りの酒を一気に煽った。
「確かにあの頃はいつお前の病状が悪化するか心配で毎日生きた心地がしなかった。ただお前が一日でも長く生きられるならどんなことだって喜んでやる、それだけを考えて生きていたよ。だって一番苦しくて怖くて痛いのはお前なんだから」
そんなことないと言いたかったが、確かに当時の自分は毎日死の恐怖と戦っていた。そのことを考えるといつも叶さんの顔が浮かんでくる。俺のもうひとりの恩人。いつかみんなにも彼のことを話したい。
「お前が生まれてきてくれて本当に良かったよ」
「親父……?」
「実はこんな話をしたのは事情があってな」
親父はそう言うと、リビングの方を気にしながら小さく折りたたんだ白い紙を俺の目の前に置いた。
「……これは?」
「開いてみろ。声は出すなよ」
なんのことが分からず、言われた通りその紙を広げる。
……パソコンで打ち出された文字が淡々と並んでいる。けれどそれは短くとも衝撃を受けるには十分な内容だった。
「……親父…これ」
目の前が真っ暗になり手に汗が滲む。
その無機質な文字は俺と湯井沢がただならぬ関係だと密告するために悪意をもって書かれたものだった。
「朝の散歩に出る時に見つけたんだ。うちのポストに入っていた。母さんも海や空も気付いてない。……ここに書かれていることは本当なのか?」
……なんと言えばいい?
嘘は言いたくない。
けれど湯井沢に了解も取らずここで真実を話す訳にはいかない。
だって俺の一言で湯井沢の唯一の家族団欒が出来る場所を取り上げる事になるかもしれないのだ。
「……俺一人の感情で話せる事じゃないから時間が欲しい」
そう言う俺を父はじっと見ていた。それからおもむろに俺のぐい呑みに新たに酒を注ぐ。
「ちょっ!もう飲めないから」
「いや、飲め。一気にな」
「ええっ!?」
父からこんなに何かを強制されたことはない。仕方なく俺は勢いよくその盃を空けた。
「いい飲みっぷりだ。良かったな健斗」
「は?なにが?」
良かったってなんだよ。こっちは食道が焼けるほど熱いし目の前がフラフラするんだけど?
けれど目の前の父は嬉しそうに俺を見るばかりだ。
「なんで笑ってんだよ」
「言葉の通りだ。この手紙は真実なんだろう?」
「…………」
「まあ今は返事は聞かなくてもいいけど。嬉しい報告を聞くきっかけがこんな下世話な告発文じゃ湯井沢くんも可哀想だからな」
え?どういう意味だ?
「お前たちの気持ちは昔から気付いてた。でも思春期特有の同性への憧れ的なものだと思ってたから、どちらかが女の子ならよかったのにねって言ってたんだ」
え?どういうこと。理解が追いつかない。ああそんな温かい目で見るのはやめて欲しい……。
「まあお前は鈍感で自分の気持ちにも気付いてないようだったからヤキモキはしてたがな」
「……ちなみにそれを気付いてるのは他に母さんだけ?」
「いや母さんはもちろん海も空も知ってる」
「げほっ!!」
俺以外全員?!しかも、俺が自覚する前から?!
「……抵抗はないの?普通の親は反対するだろ」
「ははっ普通じゃないのかもな」
父が楽しそうに盃を重ねた。もう結構飲んでると思うけど意外と強いんだな。そんなことも知らなかった。
「もうお前が生きてるだけでなんでもいいんだよ。そしてそんなお前に湯井沢くんはずーっと寄り添ってくれてた。どっちかが女の子ならなんてほんとに大きなお世話だったよ」
「うん……」
「健斗が誰かを好きになったなら相手は誰でもいい。どんな人でも父さんたちは受け入れるよ。だってそんな未来がくることが信じられない毎日を乗り越えて来たんだから」
「……親父」