社内一斉メールで笹野さんの送別会の連絡が来たのは退社時間も近い夕方頃だった。
ずいぶんと急だな……そう思いながらも俺は参加のコメントを添えて返信する。
「……湯井沢さん。明後日笹野さんって人の送別会するってメール来たんだけど、俺参加した方がいいかな」
こいつは被っていた猫をあっさり投げ捨てたようだ。プライベートだけだと自分で言ってたタメ口を全面解禁したらしい。
「いいんじゃない?だって笹野さん知らないだろ?」
「まあ……湯井沢さんは?参加?」
「うん、僕は結構仲良いからね」
「……もしかして彼女とか……」
「あはは違うよ。なんでそんなの気になるんだよ」
分かってて聞いてる湯井沢の頭に悪魔のツノが見える。あんまり刺激しないで欲しい。
「……俺も参加する」
ほら~~!寝た子を起こしたじゃないか。当日は酔った勢いにかこつけて何されるか分かったもんじゃない。湯井沢から絶対離れないからな。
俺の視線に気が付いたのか、湯井沢が天使の微笑みを見せた。それは俺の隣で湯井沢を見ていた美馬にも被弾して、勘違いした美馬が顔を赤らめて相合を崩す。
「あの湯井沢さん、よかったら今日……」
「はい!じゃあ仕事しようか!」
俺はわざと大きな声を出して美馬の思惑を打ち破ってやった。
その日は仕事が早く片付いたので飲みに行こうとうるさい美馬をまき、二人でスーパーに寄って夕食の買い物をした。
「なんか新婚夫婦みたいじゃね?」
思わず浮かれてそう言いながら湯井沢の腰を抱いたら、思いのほか強い力で手の甲をつねられた。まあ外だしな。帰ったら思う存分イチャイチャしてやるから覚悟してろよ。
そんな俺の心の声が聞こえたのか、上着のポケットに入れていた携帯がけたたましく鳴った。
……海からか。
まあいい。気付かなかったことにしよう。せっかくの湯井沢との時間を邪魔されたくない。
そっとポケットに戻し、呼び出し音が切れたことにほっとしていると、今度は湯井沢の携帯が鳴り出す。
「……あ、電話だ。空ちゃんから」
さすが双子。とんでもない連携プレーを繰り出してきたな。
「出なくていいよ、大した用事じゃないだろうし!」
慌ててそう言うが、その時にはもう湯井沢は携帯をタップしていた。
「空ちゃん、どうしたの?え?健斗?隣りにいるよ。電話出なかったの?後で言っとくね」
ほら見ろ。きっと怒られるんだ。
みんなに優しい湯井沢は何故か俺にだけ厳しい。
「健斗」
「……はい」
覚悟を決めて電話を終えた湯井沢を見ると、何故か満面の笑顔で俺を見ている。
「え?なに?どうしたの?」
「カニ!!」
「……か、かに??」
「そう!健斗のお母さんがカニが沢山あるから食べにおいでって!」
「……ああカニね」
大好物な食材にご機嫌な様子でひとまず胸を撫で下ろしたが、それでも二人の時間を邪魔された事に変わりはない。
「今日は湯井沢の酢豚食べたい気分だったのに」
「大丈夫!今日材料買っといて明日作ろう」
「うん……」
仕方ない。きっとカニの前では俺なんて塵以下、1ミクロン程度の単細胞生物なんだ……。
「じゃあさっさと買い物して向かおうか」
「そうだな」
湯井沢が嬉しそうだからまあいいか。
この笑顔に勝るものはないもんな。
「こんなに沢山どうしたんだ?」
実家に着くと皿の上に山のように盛られた茹でガニ達が俺と湯井沢を迎えた。きれいな赤に色づいていてとても美味しそうだ。
「お父さんの部下だった人が転職してカニ漁師になったの。その人が送って来てくれたのよー」
母は忙しそうに別のカニを炭火で焼きながらそう教えてくれた。
「ゆいくん海の横に座ってー!」
「ゆいくん空の隣がいいよね?」
「じゃあ二人の真ん中にしようかな」
「「ゆいくん好きーー!!」」
思わず俺も好きー!と言いそうになり、自重する。
いいなあいつら。
今日は父親もいるので家族全員勢揃いだ。もちろん湯井沢もその一員だと俺は思ってる。
……でも……。
家族全員同じ気持ちではあると思うけど、それはあくまで『湯井沢』という個の人間に対してだ。
それが俺と付き合う事になって恋人という立ち位置になった時、家族はどう思うだろう。
世間体や今後の結婚の問題、孫が見られないことなんかをどんな風に感じるかな。
大事に育ててもらった手前、反対されたからって家を出るとか家族の縁を切ると言うのはできれば避けたい。でも最終的に、湯井沢か家族かとなったら俺は申し訳ないけど湯井沢を選ぶ。
……でもそうなるとこんな風にみんなで過ごすこともなくなるんだよな……
リビングのテーブルで海や空と一緒にカニと格闘している楽しそうな湯井沢を見て俺は複雑な気持ちになった。
「健斗」
「なに?」
いつの間にか父親が酒の一升瓶とぐい呑みを持って俺の横に立っていた。仕事で家を空けがちな父親のこんなリラックスした部屋着姿を見るのは久しぶりだ。
「酒でも飲むか」
「いいね」
父親は昔から寡黙だ。母親と海や空が喋ってるのをいつもニコニコしながら聴いているだけで滅多に言葉を発しない。
そんな父親から話しかけられるなんて何年ぶりだろうか。