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71話 素直に

あらぬ方を向きながら椅子に座り湯井沢に背中を向ける。……湯気がすごくて助かる~。


「なあ健斗」


湯井沢の手が俺の肩を掴み、泡にまみれたタオルが俺の背中を優しく……


「いだだだっ!」


「あ、ごめん」


今ので俺の背中の皮死んでない?

そう疑ってしまうくらい湯井沢の力は強かった。

こいつ……運動神経だけじゃなく力も強いとは……


思い詰めてうっかり湯井沢を襲ったりしようものなら返り討ちにあうな。

……まあその方が安心だけど。


「……なあ、今日のことだけど」


「え?」


「美馬のこと」


ああ、それを話そうと思って風呂に誘ったのか。それなのに不埒なことを期待するなんて俺の馬鹿。


「俺、実は美馬が継母が寄越したスパイなんじゃないかって疑ってたんだ」


「えっ?それは考えてなかった」


「だから健斗に近づけさせたくなくて……健斗、もしかして美馬にヤキモチ妬いたのか?」


「そうだよ。器がちっちゃいって引くなら引けよ」


開き直った俺は強いんだからな。


黙り込んでしまった湯井沢をチラリと横目で見た。引くなら引けとは言ったけど、ドン引きされて愛想尽かされるのは困る。


「ううん、ヤキモチ嬉しい」


「へ?」


湯井沢はそれだけ言うと俺の背中を急いで流し、あっという間に湯船にどぼんと体を沈めた。


「嬉しい?」


「……うん。今まで僕ばっかり妬いてたから」


初耳だ。

それに俺は美馬だけじゃなく、東堂課長や笹野さん、それに湯井沢の周りにいる人や改札の駅員さん、コンビニの店員さんにまで……つまり湯井沢に関わる全人類に妬いてる。


……でもそれを口にしたことはなかったと気がついた。


「俺に妬いてたって叶さんのことで?」


「それだけじゃない。今まで健斗の周りにいた全部の人を邪魔だと思ってた」


「……そんなの俺もなんだけど」


驚く湯井沢の向かいに身を沈めて彼を見た。驚いた顔も可愛いな。セレブのマンションだから湯船も広くて男二人余裕なんだけど、こんな時はもう少し狭くてもいいなと思ってしまう。


「……なんだ。もっと早く言えばよかった」


裸で身を守るものが何もないからだろうか。驚くほど素直に思っていることが口から出てきた。


「ずっと両思いだったのに遠回りしちゃったな」


「ああ、せっかく付き合えたのに何やってんだろうな」


ふふっと笑い合ってわだかまりも一緒にお湯に溶かす。会話って偉大だ。


「健斗……」


少しのぼせたのか、湯井沢が潤んだ瞳で俺を見た。ああなんだその顔、俺の忍耐力を試すのはやめてくれ。


「健斗、キスしたい。ダメか?」


「……!!」


ダメなわけない!

ダメなわけないだろ!!


俺はザブンと波を立てて向かいにいる湯井沢に近づき、両手で頬を包んだ。そしてびっくりした顔で俺を見ている湯井沢の唇を塞ぐ。


技巧も情緒もない。

ただ重ねるだけの唇から始まった痺れが、背中までゾクゾクと繋がる。

柔らかくて甘い唇にただ押し付けるだけのそのキスはこの間とは全然違うものだった。


「……うっ」


「えっ?」


湯井沢の呻き声に驚いて慌てて顔を離すと真っ赤な顔をした湯井沢が荒い息を吐いている。


「大丈夫か?!」


「……息が出来なくて……」


「……?!ずっと息を止めてたのか?」


「仕方ないだろ!どうしたらいいのか分かんなかったんだから!もう上がる!」


そう言うなり湯井沢はザバザバと湯をかき分けて出て行ってしまった。


取り残された俺は湯井沢の可愛さにやられて一人バスタブで悶絶する羽目になったのだ。




風呂から上がると湯井沢はすっかり寝巻きを着込んでソファで水を飲んでいた。


おかしいな。いい雰囲気に持っていけるはずだったのに。それがあんな中学生みたいなキスで終わりとは……。


俺はがっかりしながら同じように椅子に座って水を飲んだ。


……思ったより湯井沢はピュアだった。これは作戦を考えないとこれから先前に進めない。


そんな不埒なことを考えていたら湯井沢と目が合った。


「……やらしい目で僕のこと見るんじゃない」


えっ?びっくりした。何でバレたんだ?


「……すいません」


「そんなことより、健斗に話がある」


「もうやらしい目で見ないから別れ話はやめてほしい」


「……」


あ、せっかく治ってた湯井沢の頬の赤みがまた戻ってきた。俺本気で言ったんだけどな。


「そんなんじゃない。美馬のことだ」


せっかくのスイートタイムにまたあいつの話?面白くない。


「不貞腐れるんじゃない。あいつが継母の寄越したスパイだったとしたら俺が健斗と付き合ってるのがバレるとまずいんだ」


「……なんで?」


「狙われるからだ!仲のいい友達と思われてただけで誘拐されそうになったんだぞ。恋人同士なんてバレたら何されるか分かんないだろ」


「恋人同士……」


思わず頬が緩む。

あ、湯井沢が呆れたを通り越して殺意のこもった目で俺を見てる。自重しよう。


「だからしばらくは社内であんまり僕に話しかけるな」


「……嘘だろ?会社行く意味ある?」


「仕事しろ!」


なんてことだ。とりあえず美馬を絞めればいいのか?自然と退職に持っていくには……。


「余計なこと考えんな。健斗の悪巧みなんてすぐバレるんだから」


「失礼だな」


まあ確かに小細工には向いてないと自覚しているけど。


「それじゃ毎晩一緒に寝てくれよ。会社で一緒にいられないならその分家でいちゃつかないとやってられない。付き合い始めの一番楽しい時期なんだから」


「…………」


思案しているのか呆れているのか、湯井沢は黙って目を逸らしている。ここは強引にいくしかない。


俺は湯井沢に近づいて、その細い体を持ち上げた。


「なにするんだよ!」


お姫様抱っこは難しかったので抱えるように持ち上げて湯井沢の部屋へ向かう。そして足でドアを開け、ベッドの上に湯井沢を放り投げた。


「健斗!」


文句を言う口を自分の口で塞いで強く抱きしめると、段々と力が抜けてきた。そして大人しくなった体を布団で包んでその上から抱きしめ、眠りの体制に入る。


「……え?健斗?寝るの?」


「え?まだなんか用事あんの?」


「……別にない」


「じゃあいいだろ」


「……ほんとお前って何がしたいのか分かんねえ……」



そうして二人で抱き合ったまま眠ったが、翌朝目覚めて、湯井沢はキスより先のことをほのめかしていたのだと思い至り、俺は後悔に身悶えた。


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