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69話 湯井沢side 言えないこと

湯井沢side



「湯井沢さんの教え方は凄くわかりやすいな」


昨日の夕方、就業時間を終えて帰り支度をしていると、約束通り敬語を取っ払って美馬が話しかけてきた。


「そうかな。人に教えるの初めてだから分からないけど美馬の物覚えがいいんじゃないかな」


「そんなことないよ」


謙遜するが、確かに美馬は頭がいい。すぐ理解するし実行に移せる。

それなのにありえない不可解な失敗が多いのだ。

まるでわざとやってるみたいに。


「湯井沢さん」


「なに?」


「実はちょっと相談があって。少しでいいから帰りにご飯でも食べながら聞いてくれない?」


「いいよ」


普段なら絶対行かない。

ましてや健斗と約束をしているのに。

携帯がないから連絡もできなくてごめんと心の中であいつに謝った。


「どこ行こうか。この辺あんまり知らないんだよ」


「じゃあ僕のおすすめでいい?」


「うん助かる」


なるべく近くで個室じゃないとこ。

そう考えながら頭の中で店選びをする。


「楽しみだな。俺、湯井沢さんとは仲良くなれる気がする」


「それは光栄だな」


あははと笑いながも、僕は美馬を疑っていた。

距離の詰め方が早すぎる。それに僕と健斗のどちらに仕事を教えて欲しいかと聞いたら僕だと即答した。


……自慢じゃないが、僕は男に好かれない。この外見のせいで頼りなく思われるのだ。

それなのに俺を選んだ。


まあ継母が差し向けたかもしれない奴を健斗の側に置いておきたくないから良いんだけど。


俺はこれから少しでもこいつと仲良くなって逆に弱みを握ってやる。


そう思いながら美馬と飲みに行った。





……けれどそのせいで健斗との仲がギクシャクしている。俺のせいだと思い、謝りたかったが今はまだ俺と美馬の仲がいいと思ってもらった方がいい。

怪しいから近づいてますなんて言ったら、あいつは心配して挙動不審になり、美馬にバレてしまう。


それほどに美馬は油断できない男だと本能で感じたのだ。


……俺の考えすぎなら良いんだけど。


けれど渋々行った食事の席で聞かされた美馬の相談は、「ここでやっていけるか自信がない」などという理由も根拠もない一般的な愚痴のようなものだった。


はっきり言って時間の無駄過ぎて最後は表情を取り繕うのに苦労した。


(ごめんな健斗)


今東堂課長に美馬のこと調べてもらってるから。解決したらちゃんと話すから、もう少し待ってて欲しい。

命を狙ってくるような継母からお前を守るのはこれしかないんだ。




「湯井沢?」


「ああ、ごめん。なに?」


しまった、考え事をし過ぎた。


「いや、これはここであってる?」


「ああ、大丈夫。やっぱり覚えが早いな」


「良かった」


美馬は引き続きキーボードを打ち始めた。


……健斗遅いな。


出社するなりコーヒーを買いに行ってもう三十分以上帰ってこない。

流石に心配になって来たので、美馬に一言声をかけて休憩室まで様子を見に行った。





うちの会社は自席でのんびりする人が多く、休憩室で休む人は稀だ。

静かだし照明も少し落としてあるので気分転換にここでコーヒーを飲んでるのかも。そう思い一列に並んだ自動販売機の前を通り過ぎてテーブルの方に足を進めた。



だが、そこにいたのは抱き合う一組の男女。

そのどちらにも嫌というほど見覚えがあった。



健斗……どうして?


驚きなのか怒りなのか。

僕は震える手を握りしめて声をかけることさえ出来なかった。


そのうち話し声が聞こえ、足音が近づいてきたので僕は足音を立てないようにその場から逃げ出した。




「どうかしたのか?」


部屋に駆け込んできた僕を見て美馬が驚いている。


「別に……」


そう言いかけて、罠に嵌めるチャンスだと思い直した。


「好きな人のことでちょっと……」


わざと悲しそうな顔を作り、そう告げる。


「ちょっとじゃないだろう、泣いてるじゃないか」


「え?」


あ、ほんとだ。


よほど先ほどのことがショックだったんだな。僕は。

けれどそれさえも利用しようとしていることを健斗が知ったらどう思うだろう。


やっぱり僕みたいな人間に健斗はもったいなかった。差し出された手を握るべきじゃなかった。


(ごめん、叶さん。健斗を幸せにするって約束したのに……)


美馬の口から出てくる薄っぺらい慰めの言葉は何一つ耳に入らない。

手を握られて撫で回されるのが気持ち悪くて仕方ないだけだ。


(叶さんに会いたいな)


ぼんやりとした頭で考えられるのはただそれだけだった。





ーーーーーーーーーー



休憩室で俺は湯井沢にミルクティーを、美馬には適当なコーヒーを買って部署まで戻った。


嫌ってばっかりじゃだめだよな。

美馬がどんな人間かも分からないのに。

まずは美馬を知ることにしよう。

その上でもヤキモチを妬いてしまう場合は素直に湯井沢に伝えよう。


だが、ドアを開けると手を握り合っている二人がいた。

……前言撤回だ。美馬、潰す!!


「美馬!お前……!」


奴の胸ぐらを掴もうと近寄ると、湯井沢が泣いているのが見えた。

俺は慌てて美馬を押し退け湯井沢の元に駆け寄った。


「何があったんだ?まさか美馬に何か?!」


「俺は何もしてないです!」


美馬が慌てて手を振る。


「じゃあどうしたんだよ湯井沢」


「……何でもない」


何でもないことあるか!


「湯井沢、一緒に飯食いに行くぞ」


「……うん」


「あ、俺も一緒に行っていいですか?」


「……なんで?」


美馬の言葉にそう返すと、奴はしょんぼりしてずっと一人で食べてたから寂しいんだと宣った。


「いい大人が何言ってんだ。一人で食え!」


「ええっ??」


思っていたのと違う反応だったのだろう、美馬は慌てて湯井沢に助けを求める。


けれど湯井沢が何かを言う前に俺は彼を早めの昼休憩に連れ出した。


後ろでぐずぐず言ってる声がするけどもう遠慮はしない。

俺はシャツの袖で湯井沢の目元を拭いながら階段を降りた。


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