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68話 通じない思い

「おはよう」


「……おはよう」


「先に行くよ。美馬が早く覚えたいから今日から朝の時間に仕事教えて欲しいって」


嫌な夢ばかり見て最悪な目覚めの俺に、湯井沢がトドメを刺してきた。


「……そうか。行ってらっしゃい」


「うん、また後で」



ドアの閉まる音が合図のように俺は椅子にどかっと座る。


「しっかりしろ俺!情けない顔してたら湯井沢を美馬に取られるぞ」


声に出すと更に現実味を帯びて、俺はため息をつきながら冷蔵庫の牛乳を一気に飲んだ。






会社に着くと、部署の周りに他部署の数名の女子がたむろしていた。


……女っ気のないアシスタント部に何の用だろう。

華やかだが落ち込んでる時は少しうるさく感じる。


「あっ!佐渡くん!」


「おう久しぶり」


声をかけてきたのは同期の蜜山さんだ。

確か配属先は企画室だったように思うが。


「こんなとこで何してんの?」


「湯井沢くんと美馬くんを見てるの」


「は?」


「横領の件でニュースが流れたじゃない?あれに美馬くんと湯井沢くんも映っててね」


「ああ」


あの記者にしつこくされた時か。


「その時の美馬くんがすごくかっこよく湯井沢くんを助けたって社内で凄く話題になってるの!」


「はあ」


「是非現物を見たくて見学に来たんだけどうるさくしてごめんなさい」


「いや、別に部屋に入ってるわけじゃないし俺は関係ないからいいけど」


「でも大丈夫よ!」


「なにが?」


「さどゆい女子もちゃんと存在してるから。まあ私たち美馬ゆい女子とは敵対関係だけどね」


……この会社大丈夫か?

俺は不安に駆られる。


「あ、そろそろ始業だから帰るわ!またね!」


「おおまたな」


何が美馬ゆいだ。

もう二度と来るな。

心の中で毒づいて部屋に入ると、パソコンを操作している湯井沢の後ろから覆い被さるように美馬が画面を覗き込んでいた。


近いんだよ!



相変わらず室内に人はいない。

集中してるのかこちらを見もしない二人に居心地の悪さを感じた俺は、コーヒー買ってくると誰に共なく呟いて入ってきたばかりのドアを出た。



「あれ?健斗くん」


そこに休憩室に行く手前のエレベーターから笹野さんが降りてきた。

彼女の職場である秘書室はもっと上のはずなのに?


「どうしたんですか?こんなとこで」


「ちょっと引き継ぎでね」


「引き継ぎ?」


「そう。今月いっぱいで辞めることになったの」


「えっ?何かあったんですか?まさかまた多田が……」


「違うわ。多田はまだ警察署にいるしね」


「じゃあなんで……」


最近は仕事も楽しくてなってきたと言ってたのに。


「コーヒー買いに行くの?私もご一緒するわ」


確かにこんなとこでプライベートな話はしにくいだろう。

俺たちは同じ階にある休憩室へと向かった。



俺はいつもの紙カップのアイスコーヒー、笹野さんは熱いモカを選んだ。相変わらずここは人気がない。


「田舎に帰ろうと思うの」


「急ですね」


「うん、母が倒れてね。大したことなくてもう元気なんだけど私一人っ子だからいつかは戻らないといけないじゃない?それなら早めに帰って向こうで結婚でもしようかなって」


「相手は決まってるんですか?」


「うーん以前から私を好きだって言ってる幼馴染がいて、うちの両親も結構世話になってるみたいなの。その人かな」


「……そうですか。寂しくなります」


その相手のことを好きなのかとか、本当にここをやめて後悔しないのかなんて俺が言っていいことじゃない。


俺に出来るのはただ彼女の幸せを祈ることだけだ。人生自分の思い通りに生きられる人の方が少ないんだから……


今日のコーヒーはいつもより少し苦く感じた。



「ところで健斗くんはどうしたの?」


「どうしたとは?」


「やだもー隠さなくていいのよ。何かあったんでしょ?」


さすがこの人には敵わないな。


「単なるヤキモチです」


「まあ!素直ね!」


笑い飛ばされて少し気持ちが軽くなった。


「湯井沢くんにも正直に言った?」


「……それは」


「言ったほうがいいと思うけど」


「分かってるんですけど……俺たち男同士じゃないですか」


「うん」


「そうすると相手が男性でも女性でも妬いちゃうわけですよ。キリがないんです。どっかで自分を納得させないと湯井沢は友達も作れなくなるんです。だからあまり言いたくなくて……」


「そっか……。男女の仲も難しいと思ってたけどまた違う意味で難しいんだね」


「はい」


「でも健斗くんが気持ちを隠しちゃうと湯井沢くんも言わなくなると思うの。だから妬いてますくらい言ってもいいんじゃない?好きな人からそんなこと言われたら私なら嬉しいかな」


「嬉しい?」


その考えはなかった。


「……素直になってみます」


「それがいいと思うわ。じゃあそろそろ行くわね」


「はい、今度送別会しましょうね」


「ありがとう。健斗くん最後にハグして良い?」


「勿論です」


俺たちは友情の証のような軽いハグを交わし、それぞれの仕事場に戻った。



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