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64話 意外な繋がり

「座りたまえ」


六十を過ぎたくらいだろうか。ロマンスグレーが紳士然としている社長は入社式で会って以来の再会だ。

まあ向こうはミジンコほども覚えてはいないだろうけど。

大企業の代表者らしく、穏やかそうな見た目とは裏腹にその目つきは厳しい。

奥様も綺麗な人だが、キリッとした表情から察するに一筋縄ではいかなさそうな強さがあった。


「失礼します」


そんな彼らを前にして臆することなくソファに腰を下ろした湯井沢は、突っ立っている俺を見て、目線で座れと促した。


「それで?持って来たのかね?」


社長の言葉に軽く頷いた湯井沢はいつの間にか抱えていた茶封筒をテーブルに置く。それを手にした社長は中の書類を確認してため息をついた。


「本当だったんだな」


「僕は嘘はつきません」


何のことかわからず固唾を飲んで見守っていると、向かいの社長夫人がニコッと笑いかけてくれた。


あ、思ったより優しい人なのかも……。


「これで十分ですよね?あとは頼みます」


「……いや、まだだ」


社長の目がぎらっと光った。

思わず俺の息が止まる。

一体何が始まるんだ……。


「他に何か?」


湯井沢も負けてない。

いやもうここは負けとけ!

弊社の社長だぞ?

トップだぞ?


「……分かってるだろう?」


「……」


「あなた、そのくらいになさったら」


夫人がそう諌めてくれるが、社長の目は湯井沢から動かなかった。


「湯井沢、なんか分からんけど失礼だぞ!それくらいにしとけ」


小声で叱責するが、湯井沢はこちらを向きもしなかった。


「……一度だけでいいんだ」


「……はい?」


社長の目から鋭さが消え、フニャリと情けない顔になった。


「一度くらいはおじさんと呼んでくれてもいいだろう!」


「いやです!」


「??????」


……おじさん??


「……あら、この子はあなたには何も説明してなかったのね」


社長夫人は、驚いて声も出ない俺にかいつまんで経緯を説明してくれた。


いわく、社長は東堂家三姉妹の長女の旦那さん、湯井沢から見て、亡くなった母親の姉の夫らしく。

目の前で説明をしてくれているこのご婦人は湯井沢と血の繋がった伯母さんというわけだ。


「え?えええ????」


理解が追いつかない。


今更ながら湯井沢はとんでもない血筋の生まれだったということに驚きを隠せない。


「うちの母は駆け落ちで家を出た時に勘当されたと聞いてます。なので僕は東堂家とは何の関係もありませんから。そもそも健斗だって僕を助けてくれた人に会いたいと言うから仕方なく連れて来たんです」


「そんな冷たいことを。もうお祖父様もお祖母様も亡くなったんだからそんなこと気にしなくていいんだよ」


「そうよ、ひろくん」


「その話はまた今度。それより田中常務と多田の件、きっちりお願いしますね。行こう健斗」


「あっ!湯井沢!……失礼しました!」




俺は名残惜しそうな二人に頭を下げて、湯井沢の後を追う。

エレベーターの前で追いついた湯井沢は、悔しそうに唇を噛んでいた。


「……勘当なんてされなかったら」


「え?」


「親父がクズだって分かった時点で母さんは実家に帰れたのに」


「湯井沢……」


「分かってる。あの人たちは何も悪くない。全部母さんの軽率な行動と弱い心のせいだ。しかもあの人たちは母さんの行方も知らなかったんだから。……でも……さっさと親父と別れてたらあの人はまだ生きてたんじゃないかと……」


「……湯井沢」


俺は、泣きそうな顔の湯井沢を引っ張って、近くのトイレに入った。

手洗いでハンカチを濡らし、湯井沢の目に当ててやる。珍しくされるがままだが、その喉は懸命に嗚咽を堪えていた。


……なんでも相談しろとは言ったが、こんな時どうすればいいかなんで何も思いつかない。


普通の家庭に育った俺は、湯井沢の気持ちを想像することしかできない。そんな俺が何を言っても彼の心には届かないだろう。


「なあ湯井沢」


「……なんだよ」


「俺今日中華食いたいな。この前行った食べ放題行かね?」


「……いいけど」


「帰りはコンビニで新発売の高いアイス買おうぜ。あ、その前に携帯屋に行かないと」


「……そうだな」



少しずつ、いつもの声に戻ってきた。

湯井沢はハンカチを取って鏡で自分の顔を見ている。


「そんなに確認しなくてもいつも通り可愛い……」


あっ、しまった。可愛いは禁句だったのに。


「そんなの当たり前だろ」


「えっ?怒んないの?」


「なにが?」


「男に可愛いって言われんの死ぬほど嫌がってたじゃん」


「……お前ならいい」


「……!!!!!」


なんだこの破壊力!!そしてその照れた顔!


「え?これからは可愛いって言ってもいいのか?」


「別に言いたきゃ言えばいいじゃん。彼氏なんだし」


「湯井沢~!!」


誇らしい!

俺は唯一、湯井沢から可愛いと言ってもいい許可を貰った男なんだ!やったー!!


いや、まて。

それより今、俺のことを彼氏って言ったか?


「えええええ、湯井沢、本当に可愛いな!」


だが湯井沢は、抱きしめようと伸ばした俺の腕をするりと躱し、イライラした顔で眉間に皺を寄せる。


「なんだよ可愛い顔が台無しだぞ」


「……やっぱり可愛いって言うの禁止」


「えー!!」


調子に乗った俺に機嫌を損ねたのか、残酷な言葉を残してさっさとトイレから出ていってしまった。


「まてよ!!俺を置いていくな!」


慌てて追いかけたが、一足遅く、エレベータは俺の目の前で動き出す。

そして無情にも湯井沢だけを乗せて滑り降りてしまったのだった。



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