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63話 どこへ?


「わかった。じゃあ会社休まなきゃな」


「休まなくていい、ただ黙って僕の隣に座っててくれるだけでいいんだ」


「……?分かった」


湯井沢がそう言うなら俺は彼の言葉を信じるだけだ。



「じゃあもう寝るか。明日は久々の会社だし」


「ああ、そうだな」


「じゃあ、おやすみ」


湯井沢は立ち上がってあっさりとドアに向かって歩いていく。


……え?

いやいやいや?


「待て!湯井沢!」


俺は慌てて彼を呼び止めた。


「なんだよ」


なんだよじゃないよ。

こんな久しぶりに会えたのにもう寝るのかよ!?


「もうちょっと一緒にいたいんだけど」


「えっ……もう眠い」


さっきまで寝てたくせに!


「じゃあ一緒に寝ようぜ。それならいいだろ?」


「……まあ寝るだけなら」


よしっ!


「じゃあ俺の部屋で。今日だけは立入禁止解いてやるよ」


「ああ、ありがとう」


今日だけかよと思いつつも、ここで余計なことを言って湯井沢の機嫌を損ねるのは得策ではない。

俺は急いで歯を磨きに洗面所に走った。




「……お邪魔します」


俺がドアを開けた時、湯井沢は既にベッドに入って本を読んでいた。

俺は湯井沢が半分空けてくれていたスペースにそっと潜り込む。


「何読んでんの?」


そう聞くと、話題のベストセラー小説のタイトルが返ってくる。


「本なんか読むんだな」


「普段は読まないけど携帯ないから暇なんだ」


ああ、そういうことか。


「明日買いに行こう」


「ああ」


俺は叶さんに携帯を買った時のことを思い出していた。まだほんの数ヶ月前の出来事だ。

使う人がいなくなってしまったので解約はしたが、錆びて泥だらけの電話機自体は綺麗にして引き出しにしまってある。


「湯井沢の携帯は俺が買ってやるよ」


「なんで?携帯買うの趣味なの?」


湯井沢も叶さんのことを思い出しているんだろうか。


「趣味じゃないけど買ってやりたいなあって思っただけだ」


ずっと湯井沢の側にあるわけだし、俺と湯井沢を繋ぐ物でもあるんだから。


「ふーん、じゃあ最新機種買ってもらお」


「うっ、まあいいや。なあ湯井沢」


「なに?」


本を閉じてこちらを見た湯井沢は、瞬時に眉間に皺を寄せた。

それはそうだろう。俺は彼に向かって両手を大きく広げていたから。


「おいで」


「おいで?……まさかそこに入れってか?」


「ご名答」


それでも動かない湯井沢を、俺は手を伸ばして、引き摺り込むように両腕に閉じ込めた。


「なにすんだよ。あっ!おまえすごい冷たい!」


しまった。冷水を浴びて来たんだった。


「え?風呂入ったよな?なんでこんなに冷えてんだよ」


「まあ色々あってな」


「理解できない。風邪でも引いたら看病すんの僕なんだぞ」


悪態をつきながらも腕のあたりを擦って温めようとしてくれる。……湯井沢優しい。


「湯井沢」


「ん?」


見上げた額に口付けると、面白いくらい動きが止まる。


もう一度。


だけどその下心に気付かれたのか、湯井沢は急いで下を向いて俺にしがみついて来た。


「湯井沢?」


「大人しく寝ろ。部屋から叩き出すぞ」


「……はい」


ドスの効いた声でそう言いながら俺の胸に顔を埋め耳を真っ赤にする湯井沢は、腹立たしいほどに愛しい。俺は大人しく言われるがままに彼を抱きしめて目を閉じた。






翌朝、湯井沢は久しぶりにスーツに袖を通して俺と一緒に出社した。


「おはようございます」


「湯井沢久しぶりだな!出張お疲れさん。どうだった?」


朝早かったからか、諸先輩方もまだ部署にいたので湯井沢が質問攻めにあっている。

彼は上手にそれらを躱して得意の笑顔で煙にまいていた。

相変わらず愛されキャラの「フリ」が上手いやつだな。

そりゃ営業部の新卒女子達の間で湯井沢の推し活サークルが出来るはずだ。



「健斗」


「ん?」


「昼休みになったら付き合ってくれ」


「ああ、分かった」


久々だからさわらぎ亭かな?それともまんぼう?今日は唐揚げの日だから社食でもいいな。


十二時の鐘が鳴り、社内がザワザワし始めた頃、俺は湯井沢に誘われ、エレベーターに乗っていた。その四角い箱は上に向かっている。


……ははあ、さては今日は社食か。

唐揚げ楽しみだな。


点滅する階数ランプを眺めながらそんなことを思っていたが、社食のある二十階に止まっても湯井沢は降りようとしない。


「どうした湯井沢。降りる階間違えてるぞ。久しぶりだからってボケ過ぎじゃないか?」


「いいんだよ」


「ええ?」


社食どころかこれから上はもうなんの部署もない。

俺たちとは縁遠いセレブの領域だ。

つまり、役員室とかVIPルームだとか、社長室なんかが集まっている場所になる。


「ゆ、湯井沢……まさか田中常務に怒鳴り込み?!」


そんな俺を湯井沢は面白そうに見てるだけで返事はしない。

本当に意地悪なんだから。


皆がそれぞれの階で降りてしまったので、もうエレベータに残っているのは俺たち二人だけだ。ランプはどんどん上に上がり、三十階に着いた。


静かに開いたドアから先は、ふっかふかの絨毯がずっと先まで敷かれている。まるでレッドカーペットのように。


「どこ行くんだよ」


前を歩き出した湯井沢を慌てて追いかけながら問うが、返事はない。口をぎゅっと結んでいくつものドアの前を通り過ぎた湯井沢は、廊下の一番端まで行くと社長室と書かれたドアの前で立ち止まった。


「しゃ、社長室!!」


「健斗うるさい」


「すいません」


湯井沢は重厚なドアを乱暴にノックして、返事も待たずにガチャリと開けた。


ええ???

社長だよ?!

そんな感じでいいの?!


「失礼します。健斗も入って」


「あ、はい!失礼します!」


慌てて中に入ると、応接セットのソファに社長とその奥様らしき人が座っていた。



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