それだけ言うと東堂課長は手を振って部屋から出て行ってしまった。
信じてって……どう言う意味?
東堂課長は何か知ってるのか?
引き留めようにもあっという間に東堂課長は姿を消してしまった。
俺は仕方なく自席に戻り仕事を再開するが
、心ここに在らずでまるで進まずに定時を迎えた。
その日、帰宅してもやはり湯井沢は帰っていなかった。
俺はスーパーで半額になっていた弁当を温めもせずモソモソと食べる。
携帯にも変わらず連絡はない。
こちらからの未読のメッセージが増えていくばかりだ。
「なあ湯井沢。こんなにお前に会えないの初めてだな」
約束なんかしなくても、俺の隣にはいつも湯井沢がいた。
祖父がこの世を去った時も。
祖母が俺のことを忘れてしまってからも。
……ちゃんと俺の側に戻って来てくれるんだろうか。
このままどこかに行ってしまうなんてことはないよな。
「佐渡くーん」
社食の前を通ると、蕎麦を食べていた東堂課長が俺に手招きをした。
食欲はなかったけどスルーも出来ず、俺はフラフラと課長の側に行き促されるままに隣に座る。
「お疲れ様です」
「ん?どうした?一緒にランチ食べたかった?」
「……呼びましたよね?」
まるで俺が自分からここに来たみたいに言われるのは納得できない。
「まぁまぁ」
そう言いながら彼は俺の目の前に親子丼の丼を置く。
「……何ですか?」
「せっかく買ったから食べてよ」
「えっ」
「最近飲み物しか飲まないんだって?休憩室に行く時ここ通るかなと思って」
……待っててくれたのか。
「……ありがとうございます」
俺は箸をパキリと割って卵を掬った。
「それだけで足りる?」
「十分です」
「もっと食べなきゃだめだよー」
いつもざるそばしか食べてない人のセリフじゃない。
「随分やつれてない?湯井沢が戻ったら怒られるよ」
「東堂課長、湯井沢のこと……!」
「知ってるよ。こう見えて顔広いんだから」
「どこまで知ってるんですか?連絡は取れるんですか?あいつ何かに巻き込まれてるんじゃないんですか?」
俺の矢継ぎ早な質問に、課長は箸を置いて口元を拭った。
「一度だけ連絡がきたけどそれだけだ。それに湯井沢から健斗くんには言わないでって言われてる」
「どうして……」
俺はしょんぼりと箸を置いた。
「俺、頼りないですけどこんな時くらい頼って欲しいです」
「あー。頼りにならなんじゃなくて心配かけたくないだけだと思うよ」
東堂課長は困ったような顔で苦笑いする。
分かってる。湯井沢はそういう奴だ。
今まで俺はそれに甘えてあいつに頼りきりだったのだから。
あいつなら大丈夫。
あいつなら上手くやる。
それは湯井沢に対する周りの人間からの評価でもあった。
本当の湯井沢は繊細で怖がりで恥ずかしがり屋な普通の人間だ。
俺はそれを知っているはずなのに。
「まあ終わったらちゃんと戻ってくるから」
「終わったらってなんですか。それじゃ嫌なんです」
俺はまだ残っている親子丼の上に箸を置いた。
「あーもうほんとに!そんな顔すんの反則だよ。ものすごく俺が悪い人になった気がする」
東堂課長の突然の意味の分からない言葉に俺は面食らって彼を見た。
「俺も知ってることは少ない。あいつは人に頼らないからね。でも一度状況を整理しよう。今夜飲みに行くよ」
「えっ?飲みに?」
「うん、笹野さんも誘ってさ」
ようやく僅かでも湯井沢に近づけるかもしれない。俺は黙って頷いた。
場所は課長の行きつけのおしゃれな居酒屋。
雑多なインテリアは好みが分かれるところだが、料理はどれも斬新な組み合わせで味も満点だった。
「カフェバー以外にもいい店ご存知なんですね」
俺の他意ない褒め言葉に、同時にむせる課長と笹野さん。
結構お似合いなのでは?と思ったがもちろん口には出さない。
微妙な雰囲気でありながらも食事を終えて、いよいよ本題に入った。
「まず、最初に二人にお詫びしたい。この度はうちの湯井沢が心配かけて申し訳ない」
課長が俺たちに頭を下げる。
「湯井沢くんも課長も悪くないです。多田が原因ならむしろこっちの責任ですから……なにか分かったんですか?」
二人が従兄弟同士だと既に知らさせていたのか、笹野さんは「うちの」と言う言葉に驚きもせず質問を返した。
「まず発端は君たちも知っての通り、多田が湯井沢に脅迫メールを送られたと訴えを起こしたことだ」
「はい」
「通常その訴えを元に秘密裏に内部調査が始まる。センシティブな問題なのでどちらか片方の話を鵜呑みにするようなことはない。……普通は」
「ということは今回は普通じゃないんですね?」
「そうだ。因みに湯井沢は社内での噂や疑心を避ける為に出張というていにしているが、本当は自宅待機を命じられている」
「……ん?自宅には帰ってませんけど?」
「それについては後で話すね」
そう言って課長は今回の事件の経緯と疑問点をかいつまんで説明してくれた。
いわく、自宅待機という措置のスピードが速すぎる、そして本来であれば常務理事のような立場の人間がそこに関わることはない。
そして人事部に当該の田中常務から湯井沢に不利になるように圧力がかかっている、そんな内容だった。
「多田の味方をして常務に得があるのかしら」
笹野さんは綺麗に塗られた爪でカクテルのマドラーを不愉快そうにくるくると回す。
「可能性とすれば常務理事が多田の親族とか?」
「聞いた事ないわね。もしそうならあの男のことだから普段から権力を傘にきて吹聴して回るんじゃないかしら」
なるほど。
「健斗くん、この間は田中常務とどんな話をしたのかな?」