その時、携帯にメッセージが届いた。
慌てて開くと湯井沢から(しばらく出張に出る。心配するな)とだけ書かれていた。
え?これだけ?
しかもこんな急に出張ってなんだよ。
すぐに返信するも既読は付かず、電話してもやはり出てくれない。
一体なんなんだ……
心配するなと言われても、そうですか分かりましたなんて言える訳がない。俺は部署の戸締りをすると鞄を抱えて急いで家に帰った。
湯井沢のマンションに着き、貰ったばかりのカードキーを翳す。
急いで入った部屋に、やはり湯井沢はいなかった。
一緒に帰るはずだったのに。
夕飯の算段とか明日の朝食は何にしようとか。
そんな浮かれたことを話しながら帰るはずだったんだ。
それなのになんで俺を一人にするんだよ。
ふと、思い立って湯井沢の部屋を開けた。
まだ出入り禁止だけど緊急事態だしいいよな?
部屋の中は昨日と変わらない。
けれど少しクローゼットやローテーブルが乱れている。
昼間に出張の荷物を取りに戻ったようだ。
俺は真っ白なシーツのかかったベッドに横になった。
微かに湯井沢の使っているコロンの香りがして気持ちが少し落ち着く。
待っていればいい。
あいつが帰るのはここしかないんだから。
そんなことを考えているうちに、俺はゆっくりと眠りに落ちていった。
携帯のアラームが鳴っている。
……うるさいな。
俺はシーツの上に手を滑らせて騒音の在処を探した。
「七時か……仕事に行かないと」
まだ覚醒してない頭で周りを見渡す。
ああ、結局あのまま寝ちゃったのか……
湯井沢の部屋、広いベッドに彼の帰って来た痕跡はなかった。
「おはようございます」
出社するが、やはり湯井沢の姿はなく俺は自分の席についてパソコンを起動させた。
隣のデスクには俺の好きだった苺の飴。
叶さんがいなくなってから不思議と食べる気が失せて、中身が減る事はなくなったそれを一つ口に放り込む。
湯井沢……
どこにいるんだよ。
何で連絡寄越さないんだよ。
「佐渡久しぶりだな。どうした?元気ないな」
「佐野さん、おはようございます!元気ですよ」
一ヶ月の出張に出ていた部署の先輩が手にまんじゅうを持って俺の側に来た。
佐野さんは面倒見が良く仕事もできる我が部のホープなので、営業部で引っ張りだこなのだ。そのせいでなかなかこちらに返して貰えないけど……。
「湯井沢も出張だって?」
佐野さんがまんじゅうの包装紙を剥がしながらそう言った。
「どうして知ってるんですか?」
「人事部の子に聞いた」
そう言いながら剥き身にしたまんじゅうを俺に向かって差し出す。
……なんで剥くの?餌なの?
それでも受け取ってありがたく食べていると、佐野さんが不可解な顔をしてうーんと唸りだした。
「どうしました?」
「朝にな、人事から内線があってその話聞いたんだけどさ、そもそもなんでうちの子が人事の仕事に関わるのかも不思議なんだよね。その辺りは教えてもらえなかったんだけど」
「……そうですか」
俺の知らないところで何があったんだろう。湯井沢のことなのに俺が蚊帳の外って訳わかんないんだけど。
窓から見える空は、むかつくくらい晴れていて昨日と何も変わらない。
それなのに湯井沢だけがいないのだ。
……そんなのおかしいだろ
その時、ふと昨日の記憶が蘇った。
そうだ!笹野さんのとこ行かなきゃ!
「佐野さん、俺ちょっと出てきます」
「おう」
始業時間までまだ間があることを確認して、俺は急いで部屋を出た。
笹野さんは昨日の伝言を聞いたと言ってすぐ出て来てくれた。二人で飲み物を片手に、まだ誰もいない休憩室の椅子に座る。
「私も人事の同期に聞いただけだから詳しくは分からないんだけど」
そんな前置きで始まった話はにわかには信じられないものだった。
「湯井沢が多田に嫌がらせ?」
当然だが嫌がらせを受けることはあっても仕掛けることは断じてない。
……まあ、湯井沢は結構短気だから本当に嫌がらせなんてされたら黙ってないだろうけど。
「そうなの、脅迫されたって言い張ってるのよ。証拠のメールもあるんだって。でも絶対捏造よ」
笹野さんはため息をついて両手で顔を覆った。
「私のせいだわ」
「笹野さん……」
「私のせいで多田なんかに目をつけられたのよ。私が多田と会って話をするわ」
「ダメですよ。そんなことしたらますますあいつを増長させます。それにあいつには笹野さんへの接近禁止命令が出たんですよね?」
「そうなんだけど……」
「でもおかしいです」
「何が?」
顔を上げた笹野さんの目の下のクマは以前より更に濃くなって激しく自己主張をしていた。
「出張ってなんですかね。通常であれば謹慎ですよね。それに湯井沢と全く連絡が取れないんです。普通の状態じゃないです」
「……確かにね」
「俺も調べてみますから笹野さんは多田に近付かないで下さい。なんかあったら戻ってきた湯井沢に俺が怒られますから」
「……分かったわよ」
仕方ないとでも言うように笹野さんはため息をついた。
その後、部署に戻った俺を待っていたのは、相変わらずニヤニヤしてる多田と、社内報でしか見たことない取締役の田中常務理事だった。
「お疲れ様です?」
俺はとりあえず彼らに頭を下げておく。
……でもあんな偉いさんがうちの部署になんの用だろう?そう思いつつチラリと二人を見ると田中常務と目が合った。
あ、やば。
ああ、なんか近づいて来た。怖い怖い。
「佐渡くんだね?ちょっといいかな?」
突然のことに俺は緊張を隠すこともできず、とりあえず「はい」と答える。
それにしても諸先輩方はどこに行ったんだろう。
キョロキョロと部屋の中を見渡す俺に、田中常務は笑顔で「他の人にはちょっと席を外してもらってるんだ」と言う。
なにそれ余計に怖いんですけど。
ビクビクしながらも促されるままに椅子に座ると、田中常務は俺の真ん前に鎮座した。
「君に話があるんだよ、佐渡くん」
「はい……?」