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55話 足掻く男

引っ越し当日の夕食は二人で近くにある食べ放題の中華に行った。


「ここ凄く美味しいんだけど一人じゃ食べ放題受け付けてくれないんだよね」


嬉しそうにメニューを見る湯井沢。


「俺と来るのが楽しみだったとかじゃなくて?」


「あ?まあどっちにしても楽しみにしてたんだからいいじゃん」


恋人同士になったとこなのに中華料理と同列に並べられるなんて扱い雑すぎない?


そのうちテーブルに所狭しと料理が並べられると、湯井沢の意識は完全に俺から逸れた。友達だった時となんら変わらない様子だが、居心地の良さに加えて不思議な安心感を感じる。

この先ずっとこんな風に楽しく過ごせたらいいな。




そして週明け、俺たちは仲良く同じ家から出勤した。

こそばゆいような浮ついたような変な気分で駅までの道を歩く。


……帰りも同じ家に帰れるんだなあ。


それはなんとも奇妙なワクワク感を俺に与えた。

そんな幸せな気持ちで出社したのに、部署のドアを開けた途端、その気持ちは音を立てて崩れていった。


何故って目の前にいたのはあの多田だったからだ。

早速自席から俺たちを睨みつけるが、口も手も出して来ないところを見たら何かしら制限があるのだろう。今度やったら逮捕だぞ、みたいな。

後で笹野さんに聞いてみよ。


「さっ仕事しよー」


そう呟いた湯井沢は多田など相手にせずにパソコンを立ち上げている。俺もそれに倣って、多田の視界に入らないように椅子に深く腰掛けた。


今日も今日とて営業アシスタント部の先輩たちは精力的に客先に出かけて、部屋にはいつものように俺たちと多田だけが残っている。

気まずい雰囲気に流されないように仕事に打ち込んでいると、湯井沢のデスクの内線が鳴った。


文字を整えたら湯井沢にも確認してもらおう。

そう思ってパワポの文字を整えていると電話を終えた湯井沢が俺をみて困った顔をした。


「どうした?」


「人事に呼び出されたから行ってくる。しばらく帰れなさそうだけど大丈夫か?」


「俺は大丈夫だけど……。人事ってこの時期になんの用だ?」


「分からん。とりあえず来てくれって言うから行って聞いてくる」


「分かった。後で教えてくれ」


「了解」


片手を挙げて部屋を出ていく湯井沢。

それを見ていた俺の目の端に、同じように湯井沢を見送る多田の姿が映った。


……なんか笑ってる?さっきまであんなに俺たちを睨んでたのに。

まさかよからぬことを企んでいるのでは……。



……その予感が的中したと知ったのはその日の夕方、就業時間が過ぎてからだった。

湯井沢は結局は戻って来ず、人事の事務方の女性が湯井沢の鞄とジャケットだけを引き取りに来た。

何があったのか彼女に尋ねるも、硬い表情で自分からは何も言えないと繰り返すばかり。それが余計に不安を煽った。


多田は多田で、先ほどからチラチラと訳ありな雰囲気でこちらの様子窺っている。


「湯井沢さんの本日持参された荷物はこれで全部でしょうか」


「そうですが……」


腑に落ちない顔の俺に、彼女が「私、秘書課の笹野さんと仲がいいんです」と笑った。


「え?」


なんで今笹野さんの話?


「それだけです。では失礼しました」


ニコリと笑って彼女は去って行く。


仲がいい?それってもしかして……


「湯井沢が捨てた女の友達だって?」


いつの間に側に来たのか、多田が俺の目の前に立っていた。


……鬱陶しいな。


「元カノの友達ってわざわざ言うくらいだから湯井沢のこと恨んでるって意味だよな。だから何も教えてくんないんじゃねーの?それにしてもあいつ何しでかしたんだろうなあ」


「……多田さん何か知ってるんですか?」


「さあね。あいつ生意気だし敵も多いからな。なんかあったんじゃねーの?あ、定時だし俺もう帰るわ。戸締りしとけよ」


そう言うと多田はさっさと鞄を持って部屋を出て行ってしまった。


自業自得?どういう意味だ?敵なんてこの会社内でもお前だけだろ。でもあいつは絶対何か知ってる。


俺はとりあえず湯井沢に電話をかけた。

けれど何度鳴らしても出ない。そしてメッセージに既読も付かない。


一体何があったんだ……


……そうだ笹野さん!


さっきの人事の女性は、以前湯井沢が目を腫らしていた時にタオルを持って来ていた中の一人だ。それなら湯井沢の味方の可能性が高い。その人が笹野さんの名前を出したと言う事は笹野さんに事情を聞きに行けと言うことではないだろうか。

とりあえず秘書室を尋ねてみよう。




「すみません笹野さんおられますか」


「え?ああ、笹野さんならもう帰りましたよ?」


「帰った……」


エレベーターがもどかしく、階段を駆け上がって来たのに……。でももう定時を過ぎている。そりゃ帰るよな……。だが、俺は彼女の連絡先を知らない。


「用事ですか?明日出社したら何か伝えておきましょうか?」


「お願いします!明日の朝、また来るとお伝えください」


「分かりました」


笑顔でそう言ってくれた女性に頭を下げて俺は部署に戻る階段を降りた。


良くない予感が俺の背中をざわつかせる。

……湯井沢同じ家に帰るんだから夜になったら会えるよな?

ちゃんと待っててくれてるよな?


祈るような気持ちで俺は会社を飛び出した。


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